オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

年に数回は猛烈に不安になる時があるのでその対処法など書いてみた。

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僕はどちらかというとネガティブな考えの人間で、何事にも慎重。なかなか新しいことに手が出ないというのがコンプレックスでもある。

 

それがすごく悪い方に出たのが、ほとんど家にいるか外に出ても社会に参加することができなかった半引きこもり兼ニート時代だった。

 

とにかく毎日が不安で胸が苦しい。自分の将来のことを考えれば考えるほどその先にあるのは絶望しかなくて明らかに心臓の鼓動が早くなり胸の中に何かこう大きな異物が突っかかっているような感覚。

 

その状態が続くのがつらくてつらくて時には「もう死んでしまいたい」なんて思うこともあったけども、結果として今は死ななくてよかったと本気で思っている。こうやってブログを書いたり、新たな出会いがあったりと生きていなければ得られなかったものがたくさんあるからだ。

 

たまに来る猛烈な不安感

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そんなわけでいつからか毎日のように不安感で胸がいっぱいになるような事はなくなったんだけど、それでも時々ふとした時に「グワッ!!」と不安が僕に襲い掛かってくることがある。唐突に前触れもなく突然やってくるのでびっくりしてしまう。

 

「なんで僕は時々こんなにも不安になってしまうのだろうか?」

 

というのを考えた時にやはり両親の影響というのは大きいのではないかと思う。僕の両親は父親が大学を卒業してそのまま定年まで同じ会社に勤め、母親は短大卒業後数年して父親と出会い結婚。僕の姉が生まれてから母親は専業主婦になりその後は僕が生まれてからもずーっと専業主婦(時々パートはしてたけど)でいるというステレオタイプの家族である。

 

僕は彼らの姿を見ていて無意識ではあるがぼんやりと「将来は大学を出て就職をして結婚してという感じになるんだろうなぁ。」と思っていた。おそらくそれが自分の中で不通というか当たり前なんだろうと思っていたのだ。

 

でも僕は道を外れてしまった。大学を卒業してほとんど家から出れなくなり、その後はどうにか社会復帰してアルバイトをし再び学校に入り、卒業後は仕事に就くが体調崩して退職。

 

今は時々短期のアルバイトをしたりブログを書いたりはしているが、収入は乏しくいい年こいて実家に世話になっている30オーバーのおじさんだ。僕が抱いていた「普通」という感覚からかなり遠い感じになってしまったわけだ。僕はその普通に捉われすぎてしまったのだと思う。

 

それでも毎日不安でしかたなかったときに比べれば自分の気持ちというのをコントロールできている気がする。そういう自分に対して「考えすぎてもまた不安でどうしようんもなくなるだけだから。」と必要以上に考え込ませないようにすることでどうにかこうにか不安感を自分から遠ざけることに成功している。

 

でも僕の中で自分は「普通に生きれなかった。」という感覚はどこか違和感として残っているのだろう。「どうして普通に生きれなかったんだろう?」「自分はこのままでいいのか?」という疑問が常に自分の中にはある。そしてその疑問が蓄積して不安という感情がひょっこりと顔を出すのだろう。

 

「自分なりの生き方ができればいい。」

 

そういいつつなかなか「普通」という人生の呪縛から逃れられていないのが現状な気がする。この呪縛というか思い込みはやっかいだ。

 

 

結局今のダメな自分を受け入れて生きるしかない

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とはいえこの不安感というのも一時的なものだというのも理解している。不安でどうしようもない時には考えすぎず寝る、散歩に行くもしくは感情に任せて思いっきり泣いてみるというのも一つの手だ。

 

最近は若い時に比べて涙腺がユルユルで、ドキュメンタリー番組を観たり本の中にちょっといい話が載っているとそれだけでポロポロと涙を流してしまう。今の僕を泣かせるのは相当簡単だろう(笑)でも、そうやって何でもいいので感情のままに涙を流してみると、意外とスッキリするし胸のつっかえが取れていたりもするのでオススメだ。

 

「いい年こいてみっともない」と思わず、家族がいる人なら隠れて涙をダーッと流してみてほしい。寝る、歩く、泣く。不安でどうしようもない時にはいったん考える作業をやめて別の事をやってみよう。

 

不安感がとれると「結局のところダメな自分を受け入れてどうにかこうにか生きていくしかないんだよな」という考えになる。ダメだろうが生きるのが下手だろうが生きていくしかない。ここまで来ればもうだいぶ不安感というのは遠のいているような気がする。

 

 

不安になるのは抽象的なことを考えるから

 

あなたが不安になるのはどんな時だろうか?断言はできないけどおそらく「抽象的なこと」について考えた時のことだ。例えば将来のことを考えた時。将来といったってものすごくぼんやりしているし、自分の老後のことなんてどうなっているのかわからない。ものすごく抽象的なものだ。

 

そのことに対していくら考えても具体的な答えは出ないわけだからそのことについてあーだこーだ考えても仕方がない。僕が半引きこもりの時には将来のことばかり考えていたから答えが出ないしんどさからずーっと不安だったというのもある。

 

「親と同じように普通に生きれなかった自分は将来どうなってしまうんだろうか?」

そんなことばかりを考えていのだ。今思うとそのことばかり考えてしまって必要以上に苦しめてしまったとも思っている。将来に目を向けるのは悪いことではない。でも明日とかせいぜい数日後ぐらいを意識すればいいんじゃないか?10年先なんて誰にもわからない。

 

もしいま「何か不安感で胸がいっぱいになってしまっている」という人がいるとしたらもしかしたらそういう抽象的なことに対してあれこれ考えすぎてしまっているのかもしれない。

 

それに対して今あなたができることはない。いやっ正確に言えば「今やれることをやればいい」と思う。どうにも動けないなら誰かに相談することでもいい。そういう具体的なことをやってみると意外と不安感というものは薄れるものだ。

 

「今できることって何だろうか?」

 

そのことを考えてみてほしい。

 

それでは今回はこの辺で!!

最後までご覧いただきありがとうございました♪

次回もよろしくお願いします!!