オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

引きこもりだからといって別に犯罪者予備軍なんかじゃないですよ。

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まぁ時々目にしますよね。「引きこもりは犯罪者予備軍なんじゃないか?」っていう書き込みとか。

 

まぁ、一言で言ってしまえば「そんなことはない」でおしまいなんですよね。

 

引きこもりが犯罪者予備軍だと示すデータはない

僕も色々調べてみたけど、引きこもりが犯罪予備軍であるなんて事を示すデータは出てきませんでした。(出てきたら僕の調査不足だからぜひ教えてください。訂正しますから。)

 

じゃあ、なんで世の中には「引きこもり=犯罪予備軍」と声高に叫ぶ人たちがいるのか。それは単なるイメージからでしかないと思います。

 

時々テレビのニュースなんかで事件が取り上げられて「容疑者は引きこもっていたようです。」なんてことが言われるじゃないですか?やっぱりフリーターとか会社員が容疑者よりも引きこもりっていう響きの方がインパクトは強いですよね。印象に残るわけです。マスコミなんかもけっこう大々的に取り上げたりします。

 

それにそういうことを言う人っていうのは「引きこもりは犯罪予備軍である」と決めつけに近い感覚を持っているわけですから、引きこもりの人が起こしたニュースに過敏に反応します。そして「ほれ見ろ。また引きこもりが犯罪を犯したじゃないか」と叫ぶわけです。いやいや、他のニュース見てよ。普通に会社員も学生も社長も公務員も事件を起こしてるでしょ?って話です。

 

そんなわけでひきこもりが犯罪予備軍だということを明確に示すデータはないし、引きこもりの人の中に犯罪者が多いというデータもないはず。つまり根拠がないわけですから、それを真に受ける必要なんてありません。そんな声は無視しましょう。

 

引きこもりを受け入れる方が社会にとっていいんじゃないかな?

引きこもりの人の立場になって考えてみると「自分は犯罪者予備軍と思われている」っていうのは相当辛いしショックなことだと思うんですよ。実際にはそうじゃないのに、声でかい人にそうだろって言われたら「自分はそうなのかな‥‥‥」って思ってしまう人や自分を責めてしまう人もいるかもしれない。でも、それを真に受ける必要はないということは先ほどもお伝えした通りです。

 

そんで、これはいつも思うんだけど犯罪者予備軍とか、お荷物だとか決めつけちゃうような社会に引きこもりの人たちだって戻りにくいよね。だって、自分たちの存在が否定されちゃってるわけですから。自分を否定する、拒否するところになんて誰だって戻りたくないですよ。だってメチャメチャ居心地悪いじゃないですか?

 

そうじゃなくて引きこもりの人がこれから外に出ようと思った時や一歩踏み出そうと思った時に「おお、お疲れ。またぼちぼちやっていこうぜ。」って受け入れてくれたり「こうしたらいいんじゃない?」ってアドバイスを送ってくれる社会の方が引きこもりの人だって楽なんじゃないかな?そんぐらい寛容な方が引きこもりの人も一歩踏み出しやすいだろうし、結果として引きこもっていた人たちが社会に参加してくれれば社会にとっても有益なんじゃないかな?と思うわけです。一回立ち止まることも許されないんでしょうかね?

 

まとめ

今回書いたことをまとめました。

 

  • 引きこもりの人は別に犯罪者予備軍じゃない。なぜならそれを示すデータがないから。だからそんな声は無視しよう。
  • 引きこもりの人を責めるよりも、受け入れる方が結果として社会にとってもいいはず。

 

今回の記事を書きながら改めて「勝手な決めつけで誰かを傷つけたり非難するのは良くないなぁ」と思いました。人の振り見て我が振り直せじゃないけど、自分ももしかしたら知らず知らずのうちに誰かを傷つけてるんじゃないか?と改めて考えるきっかけにしたいと思います。

 

それでは今回はこの辺で失礼します!