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日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

回避性パーソナリティ障害とは何か??その特徴について本から学んでみた。

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先日こんな本を読んだ。

 

 

タイトルは「生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害」 

 

この本は精神科医の著者が回避性パーソナリティ障害について書いたものだ。この障害名を初めて聞く方もいるだろう。本書の言葉を借りると回避性パーソナリティ障害とはこういう状態の事をいう。

 

回避性パーソナリティ障害は、自分への自信のなさや人から馬鹿にされるのではないかという恐れのために、社会と関わることや親密な対人関係を避けることを特徴とする状態である。

引用元:生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)著者 岡田尊司 朝日新聞出版

 

この説明を聞いて、こう思った人もいるのではないだろうか??

 

「これって私のこと??」

 

慌ててはいけない。これだけで判断するのは時期尚早である。ここではさらに本書に記されているアメリカ精神医学会の診断基準から「どういった人が回避性パーソナリティ障害」に該当するのかを見ていこう。

 

 

回避性パーソナリティ障害の診断基準は?

 

診断基準

社会的抑制、不全感、および否定的評価に対する過敏性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち4つ(またはそれ以上)によって示される。

⑴批判、非難、または拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある職業的活動を避ける。

⑵好かれていると確信できなければ、人と関係を持ちたがらない。

⑶恥をかかされる、または嘲笑されることを恐れるために、親密な関係の中でも遠慮を示す。

⑷社会的な状況では、批判される、または拒絶されることに心がとらわれている。

⑸不全感のために、新しい対人関係状況で抑制が起こる。

⑹自分は社会的に不適切である、人間として長所がない、または他の人より劣っていると思っている。

⑺恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的な危険をおかすこと、または何か新しい活動にとりかかることに、異常なほど引っ込み思案である。

(日本精神神経学会監修 高橋三郎他訳 『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』「2014」より引用)

引用元:生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)

 

※不全感とは十分に機能・活動しないという感じ。状態が不完全であるという考え。「自己不全感」などの表現において用いられる

引用元:不全感とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

 

この診断基準を読んでみてあなたは何個当てはまっただろうか??もしかしたら4つ以上当てはまる人もいるのかもしれない。ただ、ここで一つ疑問点がわいてくると思う。

 

「4つ以上とあるけど、じゃあ3つしかなかったら回避性パーソナリティ障害ではないのか?」

 

僕もこの基準を見た時にそう思った。その1つの違いで健常なのか障害なのかを見極めるのは危険なのではないか?もちろん、著者もそのことには疑問を呈していてこのようなことを言っている。

 

三項目と四項目の違いは紙一重でしかない。それで、障害か健常化を区分けされたら、たまったものではない。障害か健常という区別にこだわるよりも、むしろ、一つの傾向、特性を持った状態として理解した方がよいだろう。

引用元:生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)

 

僕もこの考えに賛成だ。「自分はこういう傾向にあるんだなー」という今の状態を把握することができればいい。あくまでこの診断基準はそのためのツールに使えばいい。3つだとか4つだとかそういった数字にこだわる必要はない気がする。

 

障害であるとかないとかそういうものにこだわる必要もない。あくまでそういう特性や傾向にあるということで捉えてもらいたい。

 

ちなみに、僕は自己診断をしてみたところ4つぐらいに当てはまるんじゃないかと思う。僕もやや回避性パーソナリティよりの人間なのかもしれない。でもそれだけだ。そういう傾向があるんだなと自分の状態を把握するだけでいい。もちろん、より詳しく知りたいなら病院などで診断を受けてみてもいいだろう。

 

ちなみに僕がなぜ「回避性パーソナリティ障害」について取り上げたのかというと、「もしかしたらニート、ひきこもり系の中にはこの傾向にある人が一定数いるのではないか?」と思ったからだ。僕自身もそういう傾向にあるからね。

 

もちろん、全てとは言わないけど感覚としてある程度の人数はいるような気がしている。だとすれば本書の内容はそういった人の役に立つものなのではないかと思っている。

 

次に、先ほどの診断基準を基に「回避性パーソナリティ障害」の特徴を細かく見ていくことにしよう。

 

 

回避性パーソナリティ障害の特徴

他人の批判や拒否に敏感

 

まず、第一の大きな特徴は、対人関係においてとても傷つきやすく、特に、拒否されたり、否定的なことを言われたりすることにきわめて過敏だということだ。そのことをいつも気にしていて、ちょっとでもそうした兆候が見られると、一気にナーバスになり、気持ちが下がり、落ち込んでしまう。相手に悪意がなくても、冗談のつもりで言った言葉にも馬鹿にされたように感じて傷ついてしまう。

 

傷つきやすいがゆえに傷つかないように人と接することや、社交の場を避けてしまうのだ。本人が「自分は傷つきやすい」ということを自覚しているため、そういう場を回避してしまうというわけだ。

 

ただ、筆者が本書でも述べているように、他人との関係や人からの評価について過敏になってしまうということは、同時に他人から認めてもらいたいとか、他人から評価してもらいたいという思いもあるからだ。それゆえ批判や否定を極端に恐れてしまう。

 

評価はされたいけど、自分に自信がないから批判や否定はされたくないという相反する思いが、自分の中に存在しているのだ。

 

ただ、少なからず人は他人からの批判や否定を恐れるものだし、傷つくという人もいるだろう。なので、単に「他人からの批判や否定で傷つく」というだけでは回避性パーソナリティには該当しない。そういう傾向の人でも人と接したり、仕事をしている人もいるからだ。ここでのチェックポイントは

 

「社会的な活動に支障をきたしているかどうか」

 

である。例えば家から出れないとか、批判や否定が怖くてなかなか就職活動に踏み切れないとか、業務でも対人業務を避けてしまうといった感じだ。そういう人の場合この特徴に当てはまる人と言えるだろう。

 

僕も少なからずそういう傾向にある人間であると思う。他人からの評価に対して敏感になりすぎてしまう部分がある。だから、なかなか自分から動き出せないことも多い。でも、人の評価を気にして何もできないのはもったいないという感覚もあるので、徐々にではあるがこの傾向は薄らいできているようにも感じてはいる。

 

 親密な関係になるのに臆病

 

拒否されたり馬鹿にされたりすることを恐れる気持ちは、回避性のもう一つの大きな特徴をもたらす。他者と親密になることに極めて臆病だということだ。

 

こういう人は拒否されること、馬鹿にされることを恐れるあまりなかなか相手に対して本心をみせることが出来ない。

 

本心が話せないということはどこか上辺だけの感じになってしまうし、相手からしてもよそよそしさを感じてしまうこともあるだろう。

 

実は、こういう人にも行為や関心を寄せてくれる相手はいる。でも、そうやって近づいてきた人たちに対して、なかなか距離を縮めることが出来ない。最初は近づいてきてくれた人たちも回避性の方のそっけない態度や反応を見て「自分には関心がないのかな」と捉えるようになり、いなくなってしまうということがけっこうあるのだ。

 

でも、本人は他者と親密になることに臆病だということに気づいていないことが多い。壁を作っていて知らず知らずのうちによそよそしさとか距離をとっていることに気付けていなかったりする。

 

そのため、相手が自分のもとを去っていってしまったことで「自分のようなやつはやはり関心を持たれないのだな」と勘違いをしてしまう。むしろ逆だ。自分がもう少し相手に対して距離を近づけていたり、親しみのある反応をしていればもしかしたら続いていた人間関係もあったのかもしれない。これは非常にもったいないことだと思う。

 

ただ、こういった人も全く人と関係を持たないわけではない。これは僕もそうなのだが、最初は確かに他人となかなか距離を詰められないことも多い。だが、最初の関係構築の部分さえうまくクリアをできればその後、仲のいい関係になれるという人もいるのだ。

 

ちなみに「もし自分が回避性の人と親密な関係になりたい」と思った場合どうすればいいだろうか?本書ではこのように述べられている。

 

相手が明らかに自分に対して、関心や行為を示して、しかも、熱心に、何度も接近してくれたときだけである。行為や関心が、あまりにも明白で、自分が熱望されていると確信がもててはじめて、拒否されることや、「勘違いして」と笑われることはないと得心がいき、重い腰をあげられるのだ。この点が、診断基準の一項目として取り入れられているのである。

したがって、回避性の人の懐に入り込むために必要はことの一つは、拒否にもめげない熱意と粘り強さである。一度や二度話しかけて、ちっとも気がない反応しか返ってこなくても、悪い兆候と思う必要はない。そんなことには関係なく、四度、五度とアプローチしているうちに、段々まともな返事が返ってくるようになる。

 

そう、熱心さと粘り強さ。これが大事なのだ。誘う側からするとなんともめんどくさい話かもしれないが僕も身に覚えがある。以前は一度や二度誘われたぐらいではなかなか重い腰を上げることはなかった。でも、さらに熱心に誘われたりすると「ああ、この人は本当に自分に関心があるんだな」と安心して誘いにのれたりもするわけだ。

 

だが、そこまで熱意や粘り強さがある人は多くない。なので僕の感覚としては回避性の傾向にある人は友人の数や親しい人の数はあまり多くない気がしている。どちらかというと「狭くて深い関係」ということで、ぎゅっと人数を限定した関係性を持つ人が多いのではないだろうか?まぁ、そんなに友達とか知り合いを増やしたいとも思わないんだけども。

 

親しい関係でも自分をさらけ出せない

 

回避性の人では、親しくなるまでにかなりハードルが高いのだが、いったん親しくなれば、それなりに人付き合いをしたり、恋愛をしたり、家庭をもって子育てをしたりすることもできる。ただ、まったく支障や困難がないというわけにはいかない。

人と接触することに苦手意識があり、負担を感じてしまうため、近所づきあいや親戚づきあいにも消極的になりがちだし、母親になればなったらで、ママ友との交友関係が苦手という人も多い。

 

僕も今のところ1ミリも予定はないのだが、仮に結婚して家庭を持ったとしよう。その場合、近所づきあいとかそういうものはできればあまりしたくないという気持ちがある。不特定多数の人たちと付き合うというのはやはり負担になるし、消耗してしまう気がする。

 

親戚づきあいも正直なところあまり気が進まない(^^;やはり相手の両親や兄弟と親しげに話している自分が全然想像できないし、終始緊張してしまう自分がいそうだ。長期休みで親戚のところまで行って帰って来る。あー、想像しただけで疲れてしまう(笑)

まぁ、何度も言うがそんな想像したところで今のところその予定は1ミリもないということだけはお伝えしておく。

 

さらに、このタイプの人は親友や恋人パートナーに対してもなかなか正直に自分の気持ちを伝えたりすることができなかったりもする。なかなか自分をさらけ出すことが出来ないのだ。肝心なことが言えず、一人で悩み抱え込んでしまう。

 

そうなってしまう理由について筆者は次のように述べている。

 

自分をさらけ出せないのには、回避性の人に特徴的な強い恥の感情も関係している。このタイプの人は、自分の存在自体を、どこか恥ずべきものとみなし、そんなものは、誰も愛するはずも、受け入れるはずもないと思っている。恥の感情が強いため、自分の肉体や内面をさらけ出すことに強い抵抗を持つ。不完全で、無価値な自分の生の姿や内面など、最も恥ずかしく、誰もが目をそむけたくなるものに違いないと思っている。

 

うーん、確かに恥ずかしいとかそういう思いは僕も持っている気がする。たまに親しい友達とあった時もやはり仕事のことについてはさらけ出せない。おそらく僕の人格を否定したりするようなやつらではない。でもどこかで「ちゃんと働けていない」ということに対して恥ずかしさがあり、それを相談したりはできないのだ。うまくいっていない自分が恥ずかしい。そうやって自分が悩んでいる部分を隠してしまう、もしくは人と会わなくなってしまう人というのはけっこういるんじゃないかと思っている。

 

周囲の目や他人の評価を気にしすぎる

 

 最初に述べた項目と重なるが、回避性の人は他人の批判や拒否にきわめて敏感である。少しでも悪く思われていないか、嫌われていないか、拒否されていないかが気になってしまう。そこまで、人がどう思うか気にしなくてもいいと思うような場面でも、過度に気にしてしまう。人前に出なければならないような時には、その事ばかり考えてしまう。自分の言った言葉や相手の反応を逐一思い出して、それを何度も反芻し、やっぱりまずかった、あんなことを言わなければよかったとか、変に思われたに違いないと考え続けてしまうのだ。

 

今はそうでもないが一時期僕も他の人から批判なんかには割と敏感だったかもしれない。嫌われたくないし、拒否もされたくない。少なからず誰しもが持っている考えではあるがこの考えがすごく強いのだ。

 

今思うと自分自身でも「考えすぎだよな」と思うような事はある。自分の発言を思い出して「あー、変なこと言っちゃったな」とか「もしかしたらまずいことを言ってしまったかも」と頭の中がそればっかりになってしまっていた事もあった。

 

こういう考えにとらわれると人に会うだけで後々まで消耗してしまうし、やがてそれが人を避けてしまうということにもなりかねない。冷静に考えてみると「そりゃ、人と会うのも嫌になるよね。だってすんげー疲れるじゃん」っていう感じになる。でも、なかなかその考えから逃れることが出来ない。そしてさらに消耗する。だからやがて「人に会いたくないな」という考えに繋がってしまうのだと思う。

 

自分は人に好かれるはずがない

 

実際のコミュニケーション能力が決して劣っていない場合でも、対人関係に対する苦手意識や自信のなさを伴っていることが非常に多い。人とうまくやっていけるはずがないと、決めてしまっているのだ。そして、その根拠は自分が他人から好かれるはずがないという思い込みによる。

 

これに関しては僕はビミョーかもしれない。「他人から好かれるはずがない」と思い込んではいない気がする。でも「そんなに僕を好きになる人は多くないかもな」という感覚はある。人見知りだし、最初はとっつきにくい人間ではあるからだ。

 

対人関係に対する苦手意識というのはずーっとある気がする。前職は接客業でオーナーからは「しっかりと接客をできている」という評価をもらえてはいたが、それでもどこかに苦手意識はあったし、心から自信を持つことは出来なかったようにも思う。特に初対面の人に対しての苦手意識というのはずーっと払しょくできなかった。会う回数が多かったりすればある程度距離を近づけることは出来たのだが‥‥‥。

 

自己評価が低く、取り柄のない人間だと思う

 

回避性パーソナリティの人の大きな特徴は、自分をとても低くみなしてしまうということだ。このタイプの人では、どんなに優れた点をもっていて、実績を上げている場合にも、自分は無能で、魅力に欠けた、不完全な人間だと思っている。この確信は非常に強く、いくら成功しようとも、いくら人から認められ、愛されようとも、なかなか薄らがない。ましてや、不運なことが続いたり、自分の自信を打ち砕かれるような否定的な体験をしたりすると、その核心は、さらに強まり、びくともしないものとなる。

 

うーん、これも微妙だな。さすがに無能だか全く取り柄のない人間とまでは思わないけど不完全な人間だとは思う。完全なものではないよね。むしろ、完全な人間なんて存在しないとも思っている。

 

いくら成功しようともとあるけどそこまでたくさん成功した経験がないからね(笑)部活でレギュラーをとったとかそんなレベル。全く成功したことがないわけではないけど、そこに関しては過小評価をしている気もする。どこかで大したことないと思っている。むしろ失敗談とかうまくいかなかったケースの方がよく覚えているし、そっちが自分の中で占めている割合が多いと思う。 

 

ことに回避性を疑うポイントは、実際以上に自分の価値を低くみなし、卑下しすぎてしまうという点である。つまり、失敗している時だけでなく、成功しているさなかにあっても、自分の能力を低くみなし、その成功も疑わしいと考えてしまう。通常ならば自信をもっていい状況でも、自分はダメだと感じてしまい、根拠のない劣等感にさいなまれる。

 

僕はガチで家から出れない時期こういう状態だったと思う。自分なんて価値はないと思っていたし、自己卑下しまくっていた。あの頃は自信なんか持つことは出来なかったがそれでも必要以上に自分を責め、自信を失い、自己肯定感を自分でむしり取っているような感じだった。当時の僕は回避性の傾向が今よりも強かったのかもしれない。

 

ちなみに、この点は回避性が自分の生活に支障をきたしている、つまり障害レベルの問題かどうかを見極めるためにしっかりと見る必要がある。あるいはこういう傾向があった人が段々と自分自身を過度に否定しなくなったり、自己卑下しなくなってきた場合、少しずつ状態が回復してきたと考えていいだろう。

 

目的実現や新たなチャレンジに消極的である

 

行動をする際に目指す方向にも、大きな特徴がある。通常、目標を設定する場合には、現状よりも少し上のレベルを目標として掲げるのが普通だ。

途中省略

ところが、回避性の人では、この常識が通用しない。このタイプの人は、現状よりも目標を低く設定しようとする。いま五割取れる実力があるのなら、本番では四割とるのがやっとだと考えるのだ。回避性の人は、今後の伸びしろといった楽観的な予想ではなく、むしろ本番の試験になれば、緊張して力が発揮できないかもしれないとか、自分の知らない問題が出て、失敗してしまうかもしれないというマイナス要因の方を重視し、極めて慎重な予想を立ててしまう。

 

目標を低く設定するという部分は当てはまらないかもしれない。でも、失敗してしまうかもとかうまくいかないかもしれないというマイナス要因を重視してまう傾向にはあると思う。もちろん、成功したこともあるのは分かっているのだが大体いつも思い浮かぶのはマイナスな考え。

 

それを避けるため極めて慎重になってしまうというも良くわかるし、そのためになかなか行動に移せない自分がいるのではないかと思っている。

 

慎重なのは悪くはないことだが、問題なのは「極めて慎重」であるということだ。それが行動に支障を与え、チャレンジになかなか移せない。危険は冒さずせいぜい現状維持をよしとする考えになると、人生はなかなか広がっていかないだろう。

 

まとめ

ここまで回避性パーソナリティの特徴について書いてみた。ここからさらに回避性を克服する方法を書きたいところだが、すでにかなりの長文になってしまっており、これ以上読み進めるのはしんどいと思う。なので、別の記事では本書の中から具体的な事例にならって

 

「回避性パーソナリティを克服する方法」

 

というものを共有していこうと思う。ニートやひきこもり系の人にも役立つ内容だと思うので良かったら読んでみてほしい。

 

それでは今回はこの辺で!!

最後までご覧いただきありがとうございました!

次回もよろしくお願いします!!

 

 ※この本も図書館で借りることができるので、より詳しい内容を知りたい方は本書を読んでみてほしい。