ニート気質な僕の生きる道

自分の経験を活かして、無職やニートや、ひきこもりなど自分と同じように、「生き方」や「働き方」に悩んだり立ち止まった人が前向きになったり、自分の進みたい道に一歩踏み出すきっかけになるブログを目指しています。

国が家庭の教育方針に首をつっこむなんて馬鹿な話だ。

ちょっと前に今後学校教育で授業化される道徳についてこんな記事を書きました。 

国に道徳や理想の家族なんか決めてほしくないと思うのは僕だけだろうか? - ニート気質な僕の生きる道


↑の記事では国に道徳とか決めてほしくない、ってことをつらつらと書いたんだけど、それとちょっと関連するような「はぁ?」と思う法律を作ろうとしている人たちがいるらしいです。

 

その法律の中身の詳細は↓のツイートのリンクから確認してほしいんだけど、要は「国が家庭の教育に口出しますよ。」という法律。相変わらずあほなことを言っている。

 

 

記事を見た人はこう思わなかったかな?

 

「何で国に家族の教育方針に首つっこまれなきゃいかんのだ?」と。

 

家庭の教育なんて正解がないものでしょ?

どこのどなた様が、この法律を作りたいと考えたのかはどうでもいいけど、こういう法律を作ろうって考える人は、おそらく今の家庭での子育てや教育の仕方に疑問を持っているのでしょう。

 

「これじゃあ、イカン。日本の為にも国が子育てとはこういうものだ、家庭での教育とはこういうものだ、我々日本の親子はこうあるべきだと導いてやらねば」そんな風に思っているのかもしれない。

 

でも、僕はこう言いたい。

 

「そんなもん余計なお世話だ」

 

そもそもこう思うんだよね。

 

「あんたらが理想と思っている家庭の姿とか教育の仕方ってあんたらが勝手に理想と思ってるだけでしょ?」

 

つまり、どっかの偉い人なのか何なのか知らない人たちが勝手に描いた理想の家庭とやらに国民を無理やり当てはめようとしているってわけ。

 

  • 親子とはこうあるべき
  • 家庭とはこうあるべき
  • 本来親子の関係は美しいものだ
  • 子は親を無条件で尊敬しなければならない

 

でも、冷静に考えてみほしい。あくまでそれはその人たちが描く理想の姿であって、別に僕達はそんな家庭を理想とも何とも思っちゃいないんだよね。単なる思想の押し付け

 

そもそも、親も子も100組みあれば100通りの形があるわけですよね。それぞれの個性や育った環境があるので「みんながみんなこう教えておけばOK」なんてことはないはずなんです。子供とどう接するか、どういう教育を施すのかに正解なんてないでしょ?子育て本とか見てくださいよ?人によってだいぶ育てられ方違うよ?

 

その正解がない曖昧なのものに対して「これが正解なんだ」と決めつけ、そこに人々を当てはめようとするって、どんだけ図々しいのよって思いませんか?その正解はあなたたちだけの正解じゃんって僕は思うわけです。

 

国が家庭に首をつっこむのが当たり前になるのが怖い

国家が家族に介入って…「家庭教育支援法案」が描く恐怖の未来図(大前 治) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

上の記事にも書かれてるんだけど、僕が一番怖いなと思うのは、

 

「国が家庭の教育方針に首をつっこんでもいいんだ」という空気になるんじゃないかな?ってこと。

 

そしたらやりたい放題じゃない?たとえばさ

 

  • 子供は無条件に親を尊敬しなければならない
  • 父親は家族の長なので絶対に服従しなければならない
  • 国民は国家を第一に考え、自分のことは後回しにして国家の為に働かなければならない
  • 家庭では国を愛する心を常におしえなければならない
  • 年下の者は年上のものの言うことを聞かなければならない

 

みたいなことを家庭の教育方針として押し付けることも可能なわけです。一見すると聞き心地はいいよね。

 

でも、これも冷静に考えればおかしいじゃんってなります。前述したように親も子も100人いれば100通りじゃないですか?そんで親の中には「この人は子供育てちゃダメだろ。」っていう人だっていますよね?平気で暴力ふるうとか、虐待するとか。

 

仮にもし国が「子供は親を尊敬しなければならない。」っていう教育方針を定めたとしましょう。そしたらそういう親ですら無条件で尊敬しなきゃいけないんですかね?そんなのおかしいと思うんですけど。

 

子供は親にぶん殴られながらそれでも「僕は親を尊敬します」って言わせるの?それは愛のムチなんだと子供に耐えさせるの?その姿を「美しい親子、理想の家庭だ!!」と目を細めながら褒めたたえるってか?それって気持ち悪さしかないよね。ただの洗脳じゃないですか?

 

そんで今度は「国民は国を愛しなさい」なんてことも押し付けたりなんかもしてくるかもしれない。いやいや「なぜ何かを愛することを強制されるの?」って思いません?愛することって強制することじゃないでしょ?それは愛じゃなくて単なる強制。そんで、そういうのが行き過ぎるとさ、

 

「国を愛してるんだから国の命令に従いなさい。国のことを最優先に考えるように教育をしなさい」

 

みたいな流れに持っていかれることだって可能性としてあるわけです。戦中の日本とかみたいにね。まぁ、これはあくまで可能性。さすがにそんなことはしないとは思いますよ。でも、同じ人間だし同じ日本人だからわからんよね。ほんの70年前はそういう時代だったわけだし。

 

こんな風な教育方針にされたらそれこそ権力者とか為政者にとって都合のいい国民の出来上がりだよね。僕はそれが嫌で嫌で仕方がない。

 

僕が国とか権力をもつ人に求めるのはシンプルです。

 

「たとえ親子関係がうまくいかなくても、家族が不仲で家族のサポートをうけられないような人でも、一度や二度つまづいても、夫婦が共働きでも、独身独り身でも、どんな人でもそれなりに楽しく幸せに生きていける社会の仕組みを作る。」

 

それに尽きます。

 

美しい家族じゃなければとか、必ず子は親を尊敬しなければとか、思想をどうとか、道徳をどうとかそんなもんどーでもいいですよ。もちろん親子の仲がいいに越したことはありませんが、強制しちゃダメだし押し付けんのもダメ。その流れで出来た親子愛なんてそれこそ上辺ペラッペラだよ?そういう社会に僕は違和感しか感じない。

 

さんざんダイバーシティだ、多様性が大事だっていう時代なのにねぇ‥‥‥。

 

っていうか今の時代に「理想の家族像を教えよう」みたいなことって優先順位超低いと思うんですよね。それ考えるより、社会保障がうまく回る仕組みとか、働き方改革に代表されるように、人々の働き方、生き方の多様性を受け入れる社会づくりに精を出した方がいいんじゃないでしょうか?

 

まとめ

僕はどこかの誰かが理想と考えている家族像や思想を押し付けられる社会なんてまっぴらごめんだと思うし、もしそんな法律ができる可能性があるのであれば、確実に反対すると思います。

 

国に家族とか家庭での教育にまで首をつっこんでほしくないぜっていう話でした。

 

それでは今回はこの辺で失礼します。

 

 

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