オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

戦前の昭和を知るために。半藤一利さんの『昭和史』という本を読んでみました。

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 今回はこんな本を読みました。

 

 

 著者の半藤さんは昭和史を中心に様々な著作を出されている方です。映画にもなった『日本のいちばん長い日』の原作者でもあります。

 

僕はいちおう昭和生まれの人間ではありますが、昭和が終わる数年前に生まれました。そのため物心がついたときには世は平成。昭和時代を感じることもなく今日まで生きてきたような気がします。

 

また、学校で日本史を習いますが昭和という時代がしっかりと学べる機会はあまりなかったです。学校では古代から始まり、現代までという流れになるので時間が足りないからだと思います。せいぜい年号と主だった出来事について軽く触れた程度でしょうか。

 

そんなわけでふと思ったんですよね。「自分って昭和のこと全然知らんよなー」と。戦前も戦後のこともそんなわけで、まずはざっくり戦前の昭和の歴史について学べる本があればと思って手に取ったのがこの本だったというわけです。

 

わかりやすく戦前の昭和を学べる一冊

サブタイトルにもあるようにこの本は1926年から1945年までの歴史、つまり戦前の昭和のことが書かれています。

 

と言ってもガチガチにお固い言葉で書かれているわけじゃないのがこの本のいいところですね。そもそものスタートが編集者の方が半藤さんに対して「昭和史全然習わなかったから授業してくださいよー。」という提案をしたところから始まります。

 

その要望に対して講座を開くような形で語ったものを文章にしたものが本書です。そのため話し言葉で書かれており、僕のようにお固い文章が苦手な人間でもとても読みやすい一冊となっています。(とはいえ500ページ以上はあるけどね。)

 

時系列で戦前の昭和の流れを把握することができる。

戦前の昭和というとまず思い浮かべるのが戦争ですよね。戦争で良くも悪くも活躍したのが軍人さんたちです。ですが、僕も含めて多くの人たちが「なぜ日本があのような大戦争を起こしたのか?」明確に回答できる人は少ないはずです。歴史の授業でもしっかりと学ぶことはほとんどないですからね。

 

この本では半藤さんがそんな疑問に実に明確に答えてくれています。昭和のはじめにどのように軍が力を持っていったのか、なぜ日本は満州などを侵略していったのか。なぜアメリカとの勝ち目のない戦争に突入していくのか。戦争中の軍部や政治家たちの動きはどうだったのか?最終的にはどのように戦争を終わらせることになったのか?そういった一連の流れがとてもわかりやすく語られています。

 

全ての大事件の前には必ず小事件が起こるもの。

 

これはこの本の裏表紙に書かれている文言ですが、まさにその通りだと思います。大事件が起こる前には必ずそれを引き起こすきっかけになる小事件が起こっているのです。

 

大事件だけを見ていても「なぜそれが起こったのか?」という原因をつかむことはできません。その前にあった様々な事件、それらがつながっていき最終的に大事件、つまり太平洋戦争へと突入していくわけです。その小事件の部分も含めてザーッと流れをつかめるようになっているのも本書の素晴らしいところだと思います。

 

むすびの章がとても印象的

本書は昭和の初めから太平洋戦争終結までの流れを書いていますが、むすびの章では半藤さんが戦争終結までの昭和史の総括してくれています。

 

半藤さんが語った中で特に僕が驚いたのが太平洋戦争(日中戦争なども含む)で亡くなった日本人の数です。一体何人の方達がなくなったと思いますか?なんと約310万人を数えると言われているそうです。

 

310万人ですよ。昭和の最初の20年間だけでこれだけの人たちが戦争で死んでいるのです。戦争を始めた軍人や政治家たちは自分なりの信念や理想があって戦争を始めたのかもしれません。本書の中でも彼らには彼らなりの理由があって戦争をはじめたのが読み取れますから。

 

でも戦争で犠牲になるのはいつだって最前線に立つ若い一兵卒であり、無関係な市民たちです。彼ら一人一人に家族があり、愛する人たちがいる。彼らはただのコマじゃないんです。戦争を仕掛け指導する人間たちというのはそのことが全くわかっていない。その結果が300万人を超える人たちの死に繋がっているのです。たとえ運よく生き残ったとしても人々に大きな傷跡を残します。それが戦争であるということを忘れてはいけないと思います。

 

 

よく「歴史に学べ」といわれます。たしかに、きちんと読めば、歴史は将来にたいへん大きな教訓を投げかけてくれます。反省の材料を提供してくれるし、あるいは日本人の精神的構造の欠点もしっかりと示してくれます。同じような過ちを繰り返させまいということが学べるわけです。ただし、それは、私たちが「それを正しく、きちんと学べば」、という条件のもとです。その意志がなければ、歴史はほとんど何も語ってくれません。

 

このように半藤さんは歴史から学ぶことについて語っています。僕も歴史は大変な学びを与えてくれる貴重な資料だと思っています。ただそのためには偏ることなく幅広く学ばなければならない。自分たちにとって都合のいいところだけを切り取ってしまえば、それは歴史を利用しているだけに過ぎない。都合のいいところだけを見ちゃいけないのです。

 

さらに半藤さんはこの賞で戦前の昭和20年の歴史から僕たちにどのような教訓を示してくれているのかも語っています。これは非常に重要なので引用してみます。

 

 

第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。熱狂というのは理性的なものではなく、感情的な産物ですが、昭和史全体を見てきますと、何と日本人は熱狂したことか。マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威をもちはじめ、不動のもののように人びとを引っ張ってゆき、流してきました。

 

太平洋戦争の大きな責任は軍部にあると思いますが、その軍部を後押ししたのはマスコミであり、そのマスコミに煽られた国民であるということも忘れてはいけません。

 

アメリカと戦争しても勝てるはずがないというのは、当時の経済力などから特に上の人たちはわかっていたことなのに、国民の熱狂から流されていった、それが回線へと結びついてしまったという事実から目を背けてはなりませんね。

 

僕らもこの事から学べることはあるでしょう。仮にマスコミや世間が熱狂的に戦争を始める方向に向き始めることがあるならば(そんなことは永久に起こってほしくないけど)、僕らはそれを冷静に抑えなければならない。熱狂することなく冷静に。そうでなければ僕たち日本人は歴史から何にも学んでいないことになってしまいます。

 

二番目は、最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしないということです。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意なんですね。物事は自分の希望するように動くと考えるのです。ソ連が満州に攻め込んでくることが目に見えていたにもかかわらず、攻め込まれたくない、今こられると困る、と思うことがだんだん「いや、攻めてこない」「大丈夫、ソ連は最後まで中立を守ってくれる」という風な思い込みになるのです。

 

この辺は戦時中の日本の軍隊でよく出てくる話ですね。自分たちの希望通りに物事は動く。たとえ劣勢であっても「大日本帝国は負けるはずがない!!」と無謀な作戦を決行する。じゃあ、その根拠はといわれると非常に抽象的なわけです。要は精神論で全てを片付けようとする。

 

常に自分たちにとって一番いい結果になるとの思い込みです。確かにその際の行動力はすさまじいかもしれません。「自分たちは勝てるんだ。」と思いこまなければとても相手に突撃してくことなんてできないでしょう。でも、それは同時に無謀な作戦であるとも言いかえることができます。

 

最善の結果とともに最悪の結果も想定し、そうなった時にどれだけリスクを回避するのか、どれだけ犠牲を少なくして撤退なり次の作戦につなげていくのかを考えるのも戦いには必要です。様々な戦争の本を読んでみるともう少し理性的な人たちが指揮をしていたら死なずに済んだであろう人たちは沢山いたのになと思わされます。

 

ただの抽象論、思い込みで動いてはいけない。この事も僕らは学ばなければなりません。

 

三番目に、日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害があるかと思います。陸軍大学校優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対的な権力をもち、そのほかの部署でどんな貴重な情報を得てこようが、一切認めないのです。軍令部でも作戦課がそうでした。つまり昭和史を引っ張ってきた中心である参謀本部と軍令部は、まさにその小集団エリート主義の弊害をそのままそっくり出したと思います。

 

 参謀本部の上層部の人たちは確かに成績優秀なエリートたちです。その能力自体は高かったのでしょう。しかし優秀であるがゆえに、自分たちが絶対であるというまさにエリート主義のような考えに陥ってしまったのだと思います。

 

でもその考えは目的を達成するためには弊害以外の何物でもありませんよね。第一に考えるべきは自分達が優秀だと示すことでも、自分たちで全てを決めることでもありません。たとえ他部署からの情報でもそれが重要であり、今後に活かせるのであれば積極的に活用する。そして冷静に分析し作戦を立て目的を達成すること。それが全てのはずです。

 

優秀であっても必ずしも絶対的に正しいわけではない。ガチガチのエリート主義に陥るとそう考えられなくなってしまうのかなと思いました。

 

そして四番目に、ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく、終戦はきちんと降伏文書を調印しなければ完璧なものにならないという国際的常識を、日本人は全く理解していなかったこと。簡単に言えば、国際社会の中の日本の位置づけを客観的に把握していなかった、これまた常に主観的思考による独善に陥っていたのです。

 

これは本書の第十五章に詳しく書かれています。ポツダム宣言を受諾するというのは単なる「戦闘をやめる」ということにすぎず、でも戦争そのものが完全に終わったわけではないんです。この場合「降伏の調印」をしなければ戦争は終わりではないんです。

 

僕も本書を読んで「えっ?ポツダム宣言受諾しただけじゃ戦争って終わらないの?」って思いました。でも、それは当時の国際社会では常識だったんです。僕と同じように知らなかったのは日本だけ。それがその後の悲劇を生んでしまうんです。

 

さらに五番目として、何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想です。これが昭和史のなかで次から次へと展開されたと思います。その場その場のごまかし的な方策で処理する。時間的空間的な広い意味での大局観がまったくない、複眼的な考え方がほとんど不在であったというのが、昭和史を通しての日本人のありかたでした。

 

そうですね、この辺は本書を読んでもらったらすごくよく分かると思います。確かに行き当たりばったりてきな対処の仕方というのがあちこちで見られました。特に軍人さんたちはその傾向が強かったんじゃないかな?

 

このように5つの教訓を示してくれる具体的な事例が本書の中でたくさん語られています。実に学ばなければならないところ反省するべきところがたくさんあります。昭和に生まれた人間としてこの歴史から目を背けてはいけない―なと改めて思いました。

 

ちなみにこの昭和史には戦後編もあります。

 

 

こちらは終戦からの復興や高度経済成長など戦後の日本の流れをわかりやすく語ってくれている一冊です。さすがに長くなるので内容については省略しますが今回の昭和史と合わせて読むことで、戦前、戦後の昭和史についてある程度把握することができるはずです。

 

昭和という時代について学びたい人は読んでおいて損はないので興味がある方はぜひ両方ご覧になってみてくださいね♪

 

それでは今回はこの辺で!!

最後までご覧いただきありがとうございました♪

次回もよろしくお願いします♪

 

 

※引用元は全て昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)より