オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

今更だけどコロナに感染した

コロナ禍という言葉を聞かなくなってから久しい、2024年の4月というまさかまさかのタイミングでコロナにかかってしまった。幸い、肺炎のような重篤な症状にはならなかったのだけど、それでもただの風邪とは違うしんどい症状も経験し、なかなか心身を削られてしまった。

 

今回は症状とか気づいたこととか、色々メモ的な感じでまとめたものを投稿する。

 

コロナになった時のメモ

1日日→夜にやや悪寒。風呂に入るも風呂上がりにも悪寒がし、すぐに自分の布団へ。布団から少しでも離れると寒い。夜中に何度か目が覚め、体温を測ると37度台。

 

2日目→あまり寝れていないこともあり、やや体調不良。この日は、本格的に熱が上がり、夕方には38度台に。夜中は寒気と頭痛で覚醒してしまいあまり寝られず。最高体温は38.8。おでこに冷えビタを貼り、氷枕で首元を冷やしながら休む。寒気は昨日よりも強くなっている。家に風邪薬などがほぼなく、急な体調不良に備えるためにも、普段から風邪薬ぐらいは置いておいたほうがいいと感じた。

 

3日目→睡眠不足と熱で体は重い。幸い食欲はあるのが救い。おかゆがすっかり食事の定番に。熱のピークは過ぎたのか体温は38度前後。ただ、この日から悪寒や頭痛が弱くなった代わりに、喉の痛みや鼻水などの症状がある。

 

4日目→常に睡眠不足だが、何よりしんどいのが喉の痛み。食べても飲んでも何ならツバを飲み込んでも喉にかなりの痛みがはしる。そのため、寝ようとしてウトウトしても、すぐに目が覚めてしまう。熱は37.5前後まで下がる。

 

5日目→喉の痛みがあまりにひどいので、ここではじめて病院で検査をしてもらい、コロナであることがわかる。個人的にはインフルを想定していたので、やや驚きがあったが、症状の原因がわかったので少しだけ気持ちが楽に。処方された薬を飲むも、残念ながら喉の痛みはあまり良くならず、この日もほとんど寝れてない。コロナ云々より、睡眠不足で普通に体が壊れるんじゃないかと心配。熱は37度〜37.5度

 

6日目→飲み込む時の喉の痛みは変わらず。とにかくこの喉の痛みがストレスなので、ググったりしてみるものの、即効性のある対処法は見つからず。のど飴をなめたり、水分を取ったり、固形物はあまり取らず喉への負担をなるべく減らすなど工夫。数日は睡眠不足とこの痛みに耐えないといけないのかと、やや気持ちが落ちる。体温は37度ぐらいで、熱が少しずつ下がってきているのは好材料。

 

7日目→体温は37度をきり、熱っぽさはほとんど感じなくなった。昨日よりは少しだけ寝られたが、相変わらず飲み込むと喉に強い痛みがあり、短時間で目が覚めてしまう。睡眠時間は3時間前後。それでも、全く寝れない日があったことを考えればまだマシかもしれない。ただ、これだけ痛いと飲み込むこと自体が嫌になりそうだ。SNSで自分と同じような症状の人を探す。けっこう喉の痛みに悩まされている人は多いようだ。鏡でちょっと確認してみたところ、どうも、口の中の扁桃腺と呼ばれるところが、白っぽくなっているのが確認できた。ネットで調べると扁桃炎の可能性もあるとのこと。コロナになった人が、扁桃炎になることもあるらしい。病院での検査ではあくまでコロナが陰性か陽性かの確認しかなかったので、可能なら扁桃炎も診てもらってそれに合わせた薬の処方もしてもらえた方が、もっと楽なのかもと思ったりもした。

 

8日目→体温は36.8℃前後。熱はほぼ気にしなくても良くなった。相変わらず飲み込む時には、喉に強い痛みがある。ただ、幸いなことに断続的ではあるが、睡眠も取れるようになってきた。この日は合計で6〜7時間は寝れたと思う。もちろん、できれば一度も目を覚まさずに、朝までぐっすりといきたいところだが、少しずつ状況は良くなってきているので良しとしよう。ただ、喉の痛みはそんなに軽くもなっていないため、どうしようかと思っている。週明けなら、待機期間も完全に終わっているので、耳鼻咽喉科で診てもらうことも検討。

 

9日目→体温は36.8度ほど。この日も、喉は痛み睡眠は断続的ではある。ただ、起きては寝て起きては寝てを繰り返し、ある程度の睡眠時間は確保できている。眠れていることの安心感は、自分が想像していたよりとても大きい。この日の昼頃には、飲み込むことで生じる痛みもほんの少し和らいだ気がする。ちょっとずつ良くなっていってるのかもしれない。

 

10日目→体温は36.7度。この日は、久々に朝まで目を覚まさずに眠ることができた。まだ、飲み込むと多少の痛みはあるけど、明らかに調子は良くなってきている。完調まであともう一息な気がするので、油断せず水分補給や、喉に負担がかかりにくいものを食べていく。

 

11日目→体温は36.6度。睡眠は7時間ほど。ほぼ、体調に問題はない。唯一、喉に違和感というか痰がからんでいるなぁという感じ。飲み込む際の痛みはないので、だいぶ食事にも気を遣わずに済むようになってきた。自分はけっこう喉が弱いので、少し気長に様子を見ておこう。

 

12日目→体温は36.6度。睡眠時間は6〜7時間。食欲もあり熱もない。後は、喉のちょっとした痰の絡みがなくなれば完璧。きっかけさえあれば、スルッと良くなりそうな気がする。とりあえずほぼ完治したと考えていいと思う。

 

まとめ

コロナの症状が出てから、ほぼ完調まで10日以上かかった。まぁ、あくまで個人の記録なので参考程度に考えてほしい。感想としては、時々見聞きする「単なる風邪」というほど症状は軽くなく、特に喉の痛みは人生で一二を争うレベルでハードだった。刺激物がダメとか固形物がダメとかじゃない。何を飲んでもダメだった。ツバですら飲み込むたびに痛く、眠っていられないというのは人生初だった。できれば二度と味わいたくない。

 

後はやっぱり食材や薬など多少の備えは必要だと思った。僕の場合、実家ということもあり、親がある程度用意してくれたりもしたのだけど、これが一人暮らしだったりしたら、体調が悪い中でなかなかハードだったと思う。

 

もちろん、今はAmazonなどオンラインで配達してもらえたりもするので、外出しなくても済むだろうし、たくさん抱え込んでおく必要はないとは思う。ただ、ネットで注文しても即時配達されるわけではないので、最低でも風邪薬とか、消化がよいインスタント食品とか、ポカリのような水分補給できるものを1日分ぐらいは買い置きしておくと、多少安心できるのではないだろうか。

 

とにもかくにも、体調に異変を感じたら早めの受診をオススメします!

暖かくなってきたので近所を散歩してきた

3月の末となった昨日は記録的な暑さで、半袖で過ごしたという人も多かったようだ。それにしても、最近はちょっと暖かくなったと思ったら、いつの間にか夏になり、ちょっと涼しくなったなと思ったらいつの間にか冬になっている。もうちょい四季を感じさせてくれよと思ってしまうここ数年の気候だ。これも地球温暖化の影響なんだろうか。

 

まぁ、そんな事を思いつつ、今日は寒くもなく暑くもなく実に過ごしやすい気温だったので、久々に近所を散歩してきた。上はパーカーにロンTの2枚だけ着て、下は黒のチノパン。僕はガチガチの花粉症なので、マスクでしっかり目と口を防御する。家を出た時は、「ちょっと涼しいかな?」と思わなくもなかったが、少し歩いたらじんわりと顔に汗が出てきた。でも、湿気もなくベタベタもしないので実に清々しい気分だ。この清々しさがいつまでも続いてほしい。

 

それにしても、少し見ないうちに街の景色が結構変わっていることに驚かされる。ボロボロの駐輪場はいつの間にか立派なマンションに姿を変え、ほんの少し前まで人が住んでいたであろう一軒家のあった場所は、いつの間にか更地にされ売りに出されている。古い建物が多かったと記憶している並びは、ここ数年で建てられたような一軒家ばかりの並びになっていたりする。

 

こうやって、いつの間にか街の景色は少しずつ変わっていく。そして、いつの間にか、以前あったものは思い出せなくなってしまう。それが当たり前だよなと思いつつ、少し寂しく感じたりもする。だから、写真や今だったら動画なんかで景色を残しておくというのは大事だなぁと思う。あれほど忘れまいと思っていたものを簡単に忘れてしまうのだから。いつでも思い出せるは過信だったりする。

 

そんなことをウダウダ考えながら、図書館に行きブックオフに行き、駅近の本屋に行ってひたすら本を眺める。子供の時は、本屋になんて滅多に行くことがなかった。せいぜい、『少年ジャンプ』を買う時ぐらいで、それだってジャンプを手に取ったら、他の棚なんか見向きもしていなかった。小学校の読書感想文だって、何年か同じ本で感想を書いていた。それが、まぁ、今や本を読むのが当たり前になっていたりするわけで、不思議だなぁと思う。

 

先日、桜の開花宣言が出されていたので、近所の桜はどうかなと思ったけど、まだ満開というわけではなさそうだ。ここ最近は、満開の桜というのを見ていない気がするので、美しく咲き誇る桜の花を見ながら、のんびり過ごせたらなんて思う。たまには、桜の名所的なところにくり出してみようかな。

 

鳥山明さんが亡くなったので、ちょっと昔を振り返った

2024年の3月1日に漫画家の鳥山明さんが亡くなった。享年68歳。僕が言うまでもなく、日本を代表する漫画家の一人だ。『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』を大ヒットさせ、『ドラゴンクエスト』シリーズや『クロノ・トリガー』などのゲーム作品ではキャラクターを手掛けた。何らかの形で一度は鳥山先生の仕事を見聞きしたことがある人は、多いのではないだろうか。

 

鳥山先生が亡くなったニュースを目にしたとき、僕はいつの間にかボロボロと涙を流していた。誰かが亡くなるニュースは、さんざん目にしてきたし、涙目になるようなことは時々あるけど、これほどまでにハッキリ「泣く」というのはあんまりないことだ。ショックだった。自分の気持ちがわかりやすく落ち込んでいた。

 

X(旧Twitter)を開くと、鳥山先生が生前関わりのあった漫画家の人達をはじめ、多くの追悼コメントが流れた。それを見てまた泣けてきた。僕もニュースを引用して追悼のコメントを書いた。

 

鳥山先生の仕事は僕などが語るまでもなく、多くの媒体で多くの人達が詳細に語っているので、僕が語るまでもないだろう。なので、ここでは鳥山先生の作品と自分の過去について振り返ってみようと思う。

 

物心ついたときには鳥山作品が側にあった

僕が生まれたのは1985年。鳥山先生はすでに『Dr.スランプ』で人気作家となっていた。その『Dr.スランプ』が終わったのが1984年。代わりに始めた『ドラゴンボール』の連載も1984年にスタートしている。

 

物心ついたのは3歳か4歳ごろだっただろうか?そのころの記憶はぼんやりしていて、あまり覚えてはいないのだけど、まだ『ドラゴンボール』を読んではいなかったと思う。その代わり、我が家にはファミコンがあり、『ドラゴンクエスト2』をプレーしていた記憶がある。まぁ、ドラゴンクエストシリーズのキャラクターデザインが、鳥山先生だと知るのは相当後のことなんだけども。

 

その後、幼稚園から小学校に上がった頃はいわゆる「週刊少年ジャンプ黄金期」などと呼ばれ、ジャンプの売り上げは絶好調。さらに、その中でも常にトップクラスの人気を誇った『ドラゴンボール』は、僕たち少年のすぐ側にあった。漫画はもちろんのことアニメ、映画などの作品は話題の中心になった。また、特に小学校低学年の頃はペンケースや鉛筆、下敷きなどの筆記用具がドラゴンボールのキャラ入りのものを持っている人が結構いた。僕もペンケースをドラゴンボールのものにしていた。

 

あと、個人的に覚えているのは、孫悟空などのキャラクターが書かれた下敷きの上に、透ける紙を置いて線をなぞってキャラクターを綺麗に再現する遊び。休み時間中、結構やってる人がいた記憶がある。僕はというと不器用なせいか、なかなか上手く描けず途中からは、上手い人に描いたものをもらったりしていた。

 

また、僕が少年時代はスーパーファミコンなどゲームで遊ぶ子も多く、ドラゴンボールのRPG(ロールプレイングゲーム)やバトルゲームなどを、放課後友達の家でしょっちゅうやっていた記憶もある。特に『ドラゴンボールZ超武道伝』は、完全体セルのある技がやたら強くハメ技になっていて、友達にやられると「それずるいよ!」とイライラしたり、人造人間16号の両腕を横に振る攻撃の動作が面白くて友達と真似をしたりと、今でも鮮明に覚えているゲームの一つだ。

 

後はカードダスも少年時代の思い出だ。カードダスはドラゴンボールのキャラクターが描かれたカードで、スーパーなどに置いてあったガチャガチャを回すと手に入れることができた。確か1枚20円と5枚で100円の2パターンの買い方ができた記憶がある。特にレアなキラカード(キラキラ加工が施されている)をみんな狙っていて、キラが当たると「おぉ〜!」と喜び、まだ誰も持っていないカードだったりすると、ちょっとした優越感に浸ったりもした。

 

ただ、ガチャガチャは運ゲーなので狙ったカードが当てられるわけではない。少年のなけなしの100円を出して買った5枚のカードが、全く欲しくないキャラクターだったりすると、わかりやすく悔しがったりもした。また、既に持っているカードがかぶったりすると、友達と交換をしたりもした。僕はいつの間にカードを処分してしまっていたのだけど、大学時代に地元の友達と再会した時に、カードダスをしっかり保管しているやつがいた。当時欲しかったキラカードが綺麗に保存されているのを見て、テンションが上がったのを覚えている。

 

『ドラゴンボール』の連載は1995年に終了するが、1996年からは『ドラゴンボールGT』のアニメが始まり、1997年の11月まで放送された。つまり、僕の小学校時代は常に『ドラゴンボール』という作品とともにあったということになる。

 

もちろん、年齢が進むにつれて鳥山作品からやや距離があった時期もあった。だけど、ゲームやカラオケで歌うドラゴンボール関連の音楽など、なんだかんだで幼少期から今まで、僕の生活の側に鳥山作品はあった。

 

今振り返ると鳥山作品がコミュニケーションツールになっていたんだなぁと思う。漫画の展開やキャラクターについて語り合う。カードダスを買うために順番にガチャを引き、映画を一緒に見にいき、ゲームをしながら近況について喋り、カラオケでドラゴンボールの曲を熱唱した。

 

友達同士でかめはめ波を撃とうとしたり、元気玉を作るために空に手を伸ばしたり、スーパーサイヤ人になろうと拳を握って「ハァァァァァ!!」と全身に力を込めた。それだけで、僕たちはちょっとだけ強くなれた気がした。

 

もちろん、全てを事細かに覚えているわけではないけども、どの場面も思い出してみるとひたすら楽しかった。楽しいという記憶しかなかった。だから、その分、鳥山先生が亡くなったニュースを聞いた時に悲しかった。自分の人生に楽しみを与えてくれた鳥山作品は、意識しなくても僕の中に積み重なり心に残る大きな存在だったからか、特に、亡くなったニュースを目にした直後は、喪失感というのだろうか。そんなもので僕の心がいっぱいになった。だけど、少し時間をおいてみるとこう思えるようになった。

 

「これだけ自分の記憶に残る楽しい時間を与えてくれた鳥山先生には感謝しかない」

 

なので、今は悲しくもあるけど、前向きな気持ちにもなれている。だから、このブログを書けているのかもしれない。

 

過去を振り返ったところで、そろそろ締めようと思う。

 

鳥山先生の作品は僕の日々を鮮やかに彩ってくれました。本当にありがとうございました。天国でゆっくり休んでください。

 

世界中のどこにでもいるファンより。

 

参考サイト

訃報|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

Dr.スランプ - Wikipedia

ドラゴンボール ゲームポータルサイト | バンダイナムコエンターテインメント公式サイト

ドラクエ・パラダイス(ドラパラ)ドラゴンクエスト公式サイト | SQUARE ENIX

【公式】ドラゴンボールオフィシャルサイト(DRAGON BALL OFFICIAL SITE)

 

 

SNSをあまり見なくなってしまった

タイトルの通りで最近はあまりSNSを見ていない。全く見ないわけではないけど、以前に比べるとだいぶ見る時間は減ったと思う。何故なのかなと考えてみたのだけど、まず第一に「何かしんどい」と思うことが増えたというのがある。

 

SNSを見ていると、他人を攻撃したり、馬鹿にしたり、見下したりするような発言がいきなり飛び込んできたりする。正直、日常生活ではあまり目にする機会がないような強い言葉や感情がダーッと目に飛び込んでくる。それが、自分に向けられたものでないとしても、そのたびに僕は心がグワングワンと揺さぶられてしまう。

 

そうすると何だか気持ちが落ち着かず、自分がやりたいことも手につかなくなる。本を読んだりしていても、集中できなくなってしまう。心を整え落ち着かせることに時間を取られてしまう。それで、またしばらくするとSNSを見ての繰り返し。これはしんどいと思ったし、時間がもったいないとも思った。

 

自分の人生は限られている。それを、おそらく一生会わないであろう人たちの言葉に心を削られ、苦しみ落胆する。それは自分の人生を大切にしていないのではないかと思うようになった。

 

だから、以前よりもSNSからは距離を取るようになった。開く回数も見る時間も減らした。もちろん、前から仲良くしてくれてる人や絡んだことがある人の投稿は見ているし、いいねやコメントもするけど、それ以外の投稿を見る機会は大きく減った。

 

おかげで今はわりと心穏やかに過ごせている。心が弱いと言われればその通りだが、人には向き不向きがあると思うし、僕に強い言葉が飛び交う場は向いてないと思っている。長年SNSを使っていて今さらなんだけどね。

 

だからといって、僕はSNSを全否定したいわけじゃない。人が何に時間を使おうがそれはその人の自由だと思うし、SNSにいくら時間を費やそうとも他人にどうこう言われる筋合いはないだろう。でも、SNSは無意識に時間をつかわせる仕掛けだらけで、僕らは知らぬ間にその仕掛けに容易に絡め取られてしまっていたりする。

 

それでも、使っている本人にとってプラスになるならまだいい。僕も友達や知り合いの日常を見てほっこりしたり、「なるほどなぁ」と気づかせてもらうこともある。誰かの小さな幸せや喜びに触れることは、とても気分がいいものだ。今でも時々会う友人や知人と出会えたのもSNSがきっかけだったりする。繰り返すがSNSを全否定したいわけではないし、プラスのものをもたらしてくれることもある。

 

でも、もし使っていても楽しくない、それどころか使えば使うほど心が乱れたり苦しくなったり、やりたいことができなくなるなど、自分に負の要素ばかりもたらすのであれば、少し距離のとりかたを考えてみてもいいとも思う。

 

SNSは人生のほんの一部でしかないのだから。

『PLAN75』安楽死制度が導入された日本を描く

以前、SNSか何かで誰かが『PLAN75』の感想を述べていて気にはなっていたんですよね。作品は75歳以上の人たちに自らの生き死にを決める権利を与える「プラン75」という制度が当たり前になった日本が舞台。この制度の対象者である78歳の女性を主人公として、制度をすすめる役所の人間や、利用者に関わる人たちの群像劇を描いています。

 

 

 

概要だけ見ると、テーマは重いし人によってはしんどくなるかもなぁと思いつつ、僕はこの映画を観ていてアレコレ考えることもあったし、結果的に「観てよかったなぁ」と思えたので、今回はこの映画の感想を書いていきたいと思います。

 

※ここからはネタバリありなのでご了承ください

続きを読む