オバログ

社会不適合気味の男の足掻き。日記から社会のことまで幅広く語ります。

権力を簡単に信用してはならない

 袴田巌さんに再審で無罪判決が言い渡された。1968年に死刑判決を受けてから、50年以上を死刑囚として過ごした袴田さん。お姉さんのひで子さんに支えながら、どうにか今日まで過ごしてきたが、長年の拘禁によって精神状態が芳しくないらしい。半世紀以上も自由を奪われるというだけでも、想像を絶するのにそれに加えて、死刑囚だった袴田さんは「今日自分が殺されるかもしれない」という恐怖を毎日のように感じてきたわけだ。こんな恐ろしいことがあるだろうか。僕だって、そして誰だってそんな状況に置かれたら、精神がおかしくなってしまうに違いない。

 

 無罪判決を得たことは喜ばしいことだが、袴田さんは既に88歳だ。平均寿命も超えているし、あとどれぐらいの日々が彼に残されているのだろうか。しかも、精神は破壊され、ようやく勝ち取った自由を存分に味わうことは難しいだろう。一人の人間の2度と取り戻せない人生の大半が奪われてしまった。この事実を目の当たりにすると、愕然とするとしか言いようがない。

検察も警察も権力である。そのことを忘れてはならない

 裁判では自白の供述聴取などの証拠が捏造であると認められたとのこと。ただ、こうした問題のある捜査は一度や二度ではない。(ちょっとググれば出てくる)この事実は、検察や警察は必ずしも国民にとっての正義を貫徹するわけではなく、時に自らの組織の体面を保つため、あるいは個々の功名心など様々なものが絡み合い、おかしな方向に向かっていくことを示している。

 

 日本ではドラマや英語などの作品で、警察や検察がいわゆる「ヒーロー」的な扱いとして取り上げられることも多い。もちろん、そうした側面があることを否定しないし、日々、犯罪と真摯に向き合う人々には尊敬しかない。彼らのおかげで、一定の治安が保たれていることは間違いないだろう。

 

 また、最近では政治不信を招く政治家の不祥事や、犯罪まがいの行いもニュースで報道される。彼らを捜査する検察に対して、非常に好意的な感情を持つ人々も見受けられる。もちろん、僕個人としても、裏金作りに精を出し、特定の団体や組織の方ばかりに目を向けるような政治家は、徹底的に捜査してほしい。それができるのは検察なのだから、彼らを応援したくなる気持ちもわかる。

 

 だが、その一方で今回の袴田さんのような状況を作り出したのも、また警察や検察といった捜査機関だということを忘れてはならない。彼らも人間であり、組織の一員である以上、時に自らの感情や、組織の論理に絡みとられ、間違いを犯したり、あるいは不正に手を染めることだってありうるのだ。繰り返すが、このことを僕ら国民は深く自分の胸に刻み込まなければならない。

 

 そして、何といっても彼らには絶大な力がある。法律を基に対象者を逮捕し、その身体を拘束することができる。当然だが、こんなことをする権利は、一般国民には与えられていないわけで、捜査機関だけが保持するある意味での特権だと言えるだろう。

 

 この絶大な力が国民のために使われるのならいい。だが、袴田さんの事件を目の当たりにすると、その保証はどこにも無いわけだ。そして、一旦その力が行使されれば、一国民には抗う術がない。もちろん、裁判はあるし弁護士による弁護もされるが、それでも今回の袴田さんのようなケースが起こりうるわけだ。それが、僕には恐ろしく思う。だから、タイトルにも書いたように、警察だろうが検察だろうが、政府だろうが裁判所だろうが「権力を簡単に信用してはならない」と思う。

 

 どの時代、どの場所でも権力というものは腐敗するし、濫用され暴走する。僕らは、散々歴史で学んできたし、現在進行形で、国内外では権力が国民に牙を向く状況を目の当たりにしている。日本はまだマシかもしれないが、いつ状況が変わるかはわからない。ましてや、この国の政治家の中には、人権を軽視するような考えを持つ人間がいるわけである。そして、そんな人を支持するような人もいるのだ。

 

 袴田さんの事件は、権力の負の側面を象徴するような事件だ。残念ながら、袴田さんが失った日々を取り戻す術は僕らにはない。なら、せめて彼のような権力による「犠牲者」が二度と出ないようにするにはどうしたらいいか考え、常に権力を監視し、法律を含め、より良くしていくしかない。

 

 ちなみに最近見た『Winny』という映画も、そんな捜査機関の問題点について考えさせられる作品になっている。僕が見たのはAmazonプライムだけど、多分他のサービスでも見られると思うので、チェックしてみてほしい。

 

 

【参考記事】

世界で最も長く拘置された死刑囚、袴田巌さんに再審無罪判決 事件から58年 - BBCニュース

久々に味わう涼しいという感覚

 このブログを書いている日の最高気温は25度だった。久々に「あちぃ」と呟かなくていい日だった気がする。特に、朝晩は半袖一枚だと肌寒いぐらいで、日中でも涼しく過ごすことができた。「涼しい」という言葉と久々に再開した。街を歩く人達の服装も長袖の人が多かった気がする。9月も終盤に来て、ようやく秋に入ろうとしているのかもしれない。

 

 ただ現金なもんであれだけ「暑くてやってらんねぇ!」なんて言っていた夏の暑さも、過ぎ去ってしまうとどこか寂しいというか、センチメンタルな気持ちになってしまうのは僕だけだろうか。まぁ、来年の夏頃にはそんな寂しさなんてすっかり忘れて「早くこの暑い日を終わりにしてくれ!」なんて呟いているに違いないのだけど。

 

 こういう季節の変わり目のちょっとした侘しさだったり、新鮮な気持ちだったりというのは、やっぱり日本に四季があるからなんだと思う。四季折々なんて言葉があるけど、感情の機微も四季折々だったりする。季節ごとに目にするものが変わって、感じるものがあって、季節が過ぎては訪れるたびに、また色々な感覚を味わうことができる。服装であれこれ悩んだり、季節の変わり目で体調を崩したりといったデメリットもあるにはあるけど、個人的には四季というものがあった方がいいと思っている。

 

 ただ、これも地球温暖化が加速したらどうなるかわからない。夏と冬のような極端な季節が長くなって、春と秋を感じる暇もないという時代になっていくかもしれない。そうなった時、僕らの生活はどう変わるのだろうか。僕らがこれまで四季の変化で味わっていた心の揺らぎみたいなものはどうなるのだろうか?

 

 多分、きっとあっという間に慣れて、忘れて、これが当たり前ですみたいな顔してやっていくんだろうな。でも、なんか寂しいな。

 

 涼しさと共に秋の訪れを感じながらふとそんなことを考えた。 

いつの間にか9月。残暑まだまだ厳しく。

残暑どころかまだ夏 

 前回ブログを更新したのが8月だった。気づいたら9月も中旬になっていて驚いている。今年の夏も暑くてやってらんねぇばかり言っていた気がするが、どうにかこうにかやり過ごすことができた。とはいえ、まだ35度を超える日もあり残暑どころか、真夏という感じではあり、引き続き「やってらんねぇ」と言いながら過ごしている。(この日の予想最高気温も36℃)

 

 子供の頃なんかを振り返ってみると、さすがに9月初旬はまだ残暑という感じではあったけど、9月の中頃からは「なんか秋っぽくなってきたなぁ」なんてことを、肌で感じていた気がする。ただ、2024年現在、9月の中頃になっても「夏がまだ居座ってる」なんて思う日の方が多いし、年々、秋を感じる期間が短くなっていると思う。秋服を着る回数って減ってると思うんだけど、皆さんはどうだろうか?いつか「四季」という言葉が死語になってしまい、夏と冬という極端な季節しか無くなってしまうのではないかと、ちょっと危惧している。

 

 まぁ、こうした気候の変化が地球温暖化が原因であるとは言われているけど、今のところ僕たちの社会は有効な手立てを打ち出せていない。個々では問題意識を持って行動している人も多い。ただ、どうしても、今の社会は利益優先で環境への意識は二の次になりがちだ。自分の生活、目の前の利益、いかに他者との競争に打ち勝つか。そうしたことが過度に優先される、あるいはそちらを意識せざるを得ない社会の行き着く先が、今のような地球温暖化だとか、異常気象みたいな形として現れている気がする。僕らは地球から奪いすぎている。

 

 かといって「私は地球温暖化を危惧しているのでクーラーはつけません」みたいなことをやっていたら、猛暑と呼ばれるような時期を乗り越えることは難しい。個々でやれることには限界があるから、結局のところ国とか経済界みたいな影響力のあるところが抜本的な解決策みたいなものを打ち出していくしかないのだと思う。構造的に環境への負担を減らす形にして変えていかないと、そろそろもたないのではないだろうか。でも、あんまり期待できないよなぁ。

 

ぼんやりとした不安と向き合う日々  

 そんなことを憂いている2024年だけど、なにより何とかしなければならないのは僕自身の生活だったりする。相変わらず自分の将来やら何やらに不安を感じていて、夜中になるとあれこれ良くないことを想像してしまったりして、落ち込んだりしている。

 

 「もう手遅れかなぁ。」「何かもう生きててもなぁ」なんてことがふと頭に浮かんでくることもある。自分のしょうもなさに、ついため息が出てしまう。まぁ、もう自分はこういうネガティブになりやすい人間なんだと受け入れることで、気持ちの切り替えはしやすくはなっている。ただ、漠然とした不安で目の前が覆われている感じだ。

 

 そういう時は、やっぱり今の気持ちを文字にしたりすると気持ちが楽になる。日記なんてレベルでなくていいので、思いついたこと、しんどいこと、モヤモヤすることを思うままに書き連ねる。誰に見せるわけでもないので、多少言葉が強くなってもいい。「書く」という行為によって、気持ちを吐き出し、想いや感情を客観視することで、負の感情に自分が飲み込まれないようにする。

 

 もちろん、悩みを相談できる人がすぐ近くにいるなら、そういう人に相談するのも手だろう。でも、残念ながらずっとその人が近くにいるわけではないし、受ける側にもキャパシティにも限界はあるから、一人で対処する方法も持っておくとよい。そういう点で、書くことはオススメだ。

 

少なくとも僕は、書くことで支えられている。

 

英語は難しいけど楽しい

 7月から始めた英語学習だけど、幸いまだ続けることができている。残念ながらというか、当たり前だけどまだペラペラと話すことなんてできやしない。それどころか、単語やら文法やら学ぶことは山ほどあって、「このレベルからいつか喋れるようになるのだろうか?」と思ってしまうこともある。もっと効率的な学習方法もあるのだろう。

 

 ただ、前は分からなかった単語がわかったり、文法の問題が解けたり、文章を読むスピードが少し上がったり、ちょっと発音が良くなった気がするなんてこともある。ノロノロとカメのようなペースではあるけども、ちょっとだけできないことができるようになる感じを味わえている。基本、自分のできなさや不器用さに頭を抱えながらも英語については楽しめている。英語をやっている時は、そこに集中していて不安みたいなものも感じにくいので、引き続き学習を継続していければと思っている。

 

 また、時間がある時にブログは更新していくつもり。英語学習についてもちょこちょこ進捗状況をお伝えできればと思っている。

 

 まだまだ暑いので体調には気をつけましょう。ではまた。

中学レベルの英単語帳を一冊終えた

先日、中学の英文法の本を読み終えたことを書いたが、最近、主に中学で習う英単語が書かれた本を一冊読み終えた。

 

 

 この単語帳は主に高校を受験する人に向けたもので、入試で頻出する単語を5つのレベルに分けて掲載している。もうちょい上のレベルのものから始めようかとも思ったが、英語学習は学生時代以来(約20年ぶり)ということもあって、いきなりハイレベルの単語帳を買って挫折するよりは、まず一冊やり切ろうと思いこの本をやることにした。

 

英単語を覚える 

 英単語の覚え方は割とシンプルで、まず本と連動しているアプリで単語の発音とその意味を聴き、声に出しながら覚えていく。10個やったら赤シートで日本語の意味を隠して確認テストを行い、覚えられているかどうかをチェック。     逆に日本語を見て、その英語が出てくるかどうかもチェックする。覚えられていないものには印をつけておく。そのまま、また10個単位で1日50〜100個覚えていく。

 

 といっても、当然ながら一回で覚えられるわけもない。いくつか英単語の覚え方の記事や動画を見たけれど、「繰り返し何回も単語に触れることが大切」というのが、共通の学習法だった。つまり「復習することが大事」というわけだ。

 

 その教えに従い、とりあえず何度も何度も単語に触れる様にした。特に、確認テストで間違えた単語に関しては、付箋を貼り、次の日も再確認するようにした。それでも、まだ覚えられない単語もあるので、それは再再確認ということでまた復習。電車に乗る前や、乗っている途中にも確認をした。もちろん、最初の確認テストでは正解したものも、時間が経つにつれて忘れている可能性があるので、そうしたものもテストで確認していった。そうやって、前後に行ったり来たりしながら、ようやく一冊読み終えることができた。

 

 とはいえまだ不安な単語は結構あって、付箋が貼ってあるページもちょこちょこある。引き続き不安な単語は復習しながら、次の単語帳に進んでいこうと思う。

 

 レベルに関してだけど、数十年ぶりに英語学習するような人間にとってはちょうどよかったと思う。レベル1の単語は英語にほとんど触れていなかった僕でも、けっこうわかるものも多く「おぉ、意外といけんじゃん!」と思いながら解くことができた。スタートはこのぐらい気楽な方がいい。

 

 もちろん、レベルが上がるにつれて確認テストで間違える単語も増え、中には「こんなの中学の時に習ったっけ?」と思う単語もあったし、「何で意味かぶる単語を何個も作るねん!」とツッコミを入れたりすることもあった。当然、難しい単語は一回や二回で覚えられないことも多いのだけど、何回か復習を繰り返すうちにスルッと口から出てくるようになったりして「あっ、また一個知っていることが増えた」と思えて楽しめた。

 

 ちなみに、次の単語帳に進むタイミングなんだけど、これについてはどうしたもんかなぁと悩んでいる。もちろん、一冊丸ごと単語を覚えられたらいいのだけど、そうするとなかなか次の単語帳に進むことができない。これまた、ネットで調べてみると「8割覚えたら次に進んでいい」という人もいれば「9割以上になったら」とか「完璧になるまで」という意見もあったりした。

 

 間をとって9割ぐらいがいいのだろうか。悩むところだけど、まぁ試しにそれで進んでみて「足りないなぁ」と思ったらまた戻ってくればいいか。出来るだけ効率的に進めたいとは思うけど、完璧は無理なので多少のロスとか無駄みたいなものも考慮しながら、勉強を進めていくのがストレスもなくていいのだろう。

 

 引き続き英語学習はやっていく。

英語の勉強続いてます!

 7月の半ばごろに「ゆるく英語の勉強してます」なんてことをブログに書いた。多分、読んでくれた人の多くが忘れているとは思うけど、一応まだ勉強は続いていて、毎日単語を暗記したり、文法の本を読んで問題を解いたり、間違えたところを復習したりと、学生の様なことをやっている。

 

 ちなみに以前買った中学英文法の本をついに一周し終えた。

 

 

 本を選ぶにあたり、色々なサイトやYouTuberの人の動画を見て参考にしたけど、この本は優しめに作られているので、数十年ぶりに英語の勉強を始めた僕にとってはちょうどいいレベルの様に感じた。とはいえ、やっぱり忘れている部分も多く、「こんな内容勉強したっけ?」と思うことも一度や二度ではなかったが、どうにかこうにか一周読み終えることができて、少しだけ満足をしている。達成感ってやつをちょぴっとだけ味わえてよかった。

 

 英語の勉強を始めて1ヶ月経っていないが、まだ楽しいなと思いながら勉強ができている。やっていることは受験勉強の様なものだけど、やるのは英語1科目だけということもあって、気楽なのがいいのかもしれない。何教科も同時並行で勉強しないといけない受験生って本当に大変だ。

 

 ここからちょっと苦手なところやイマイチ理解が怪しいところを復習して、ある程度内容が定着したなと思ったら、もう少しハイレベルの内容にも手を出してみようかなと思っている。というのも、僕の目標は前より少し高くなって「英語がちゃんと喋れるようになりたい」という感じなんだけど、そのためには単語のストックを増やすのはもちろんのこと、文法レベルもけっこう高いところまで持っていく必要がある。

 

 一応、中学レベルの英文法だけでも、ある程度会話はできるみたいだけど、それだけではなかなか難しい部分もある。相手が必ずしも中学レベルの文法だけで話してくれるとは限らないわけで、習っていない文法で話されたら「なんじゃコリャ?」お手上げとなる。ということで、ここからもう少し上のレベルを目指してみようと思う。(挫折しない様に注意しながら)具体的には「高校レベル以上」の文法もやってみようかなと。そのため、何人かのYouTuberさんがオススメしていた本を買ってみた。

 

 

 こちらの本は、高校とかでも採用されているらしい。なんと600ページ越えとなかなかの分厚さだ。ただ、中をパラパラとめくってみると、イラストも結構使われていて、文字びっしりでクラクラするみたいな構成ではないのでありがたい。YouTubeにはこの本の効率的な勉強の仕方を紹介している動画なんかもある。とりあえず、この本を活用して引き続き文法の勉強を続けてみようと思う。

 

 相変わらず暑さが厳しく嫌になるけど、みなさん体調にはお気をつけて。