アーティストのライブを見ていると、彼らの素晴らしいパフォーマンスにいつも感動してしまいます。
素晴らしい歌声、心に響く歌詞、気持ちのいいリズムを刻む楽器、そして照明や音響などの計算しつくされた演出は見ているものをワクワクさせてくれますよね。
僕も去年サザンオールスターズのライブを見に行って、その圧倒的なパフォーマンスを前に鳥肌が立ち、一人感動し心に彼らの音楽を刻み付けてきました。CDで聴く音楽とライブなど生で聴く音楽とではやはり全然違っていて、とてもいい経験をしたと思っています。
ただ、そうした大満足の気持ちになる一方で僕の場合どこか寂しさを感じてしまう事があったんです。何でこんな気持ちになるのか??僕にもよく分かりませんでした。
単純にライブが終わってしまうことが寂しいのかと初めは思いました。あれだけ素晴らしいライブならいつまでも聴いていたい。でも、その素晴らしいステージも一時のこと。いつかは終わりをつげてしまう、それが寂しいのかななんて最初は思っていたんです。
でも、最近になって何となくではありますが気づきました。自分は何で寂しくなってしまうのか。それは‥‥‥
「彼らの事を羨ましいと思っている自分がいる」
という事です。
これは別にサザンだからとかではありません。他のアーティストのライブもそうだし、時々見に行くスポーツの試合や、テレビで活躍する人なんかを見ていても思うことです。
同じ場所にいても、画面を通してみていても演じる側とお客の間には圧倒的な差があります。距離があります。演じる彼らは『主役』で僕らはあくまでも『観客』です。同じ空間を共有していても、そこには手を伸ばしても届かない現実があり決して交わることはありません。
「彼らは僕と違う人種の人間だ。羨ましがることなんておこがましい。」
何度もそう思いました。彼らには才能があるから輝かしい舞台があって素晴らしいスキルを僕らに見せてくれる。自分にはそれはない。だからこそ僕らは彼らの素晴らしいパフォーマンスに感動する。それの何がいけないのだ。
でも、僕は他の人が輝く舞台を見て満足してしまっている自分がいます。「人の舞台を見て感動するのはいい。じゃあ自分の舞台はきちんと演じているのか?」と言われると自信が全くありません。それどころか自分自身の舞台というのを見いだせていない状態です。
別にそれは音楽とかスポーツとか、芸術といった分かりやすい舞台でなくてもいいんです。彼らのようにスポットライトが当たっていて、周りに沢山の観客がいてファンがいて応援してくれるような輝かしい舞台なんて誰でにでも用意されてるわけじゃないし、それを期待しているわけでもないんです。
でも例え小さな舞台でもいい。人の舞台を見て羨ましがるのではなくて彼らのように自分が主役でその場に立って何かしたいこと、やりたいことに向かって全力で生きること。そうしたら初めて他人を羨ましがらず自分の舞台を楽しむことが出来るのではないかと感じているのです。
人生という舞台は開幕のブザーが鳴り幕が上がって幕が下りるまではあっという間です。よそ見をしている暇はありません。時々休憩をしたり他の人の舞台を見に行くのもいいですが、あくまで自分が主役の自分の舞台に力を注ぐべきなのです。演じている自分が別の事に気を取られて上の空になってはいけません。その舞台はきっと面白みのないつまらない舞台になってしまうのでしょう。
とはいえ『自分が少しでも輝ける舞台は何なのか??』というところで僕はつまづいてしまっています。小さいころはスポーツ選手になるという明確な夢があり、輝かしい舞台を想像していたけど、挫折してしまいました。自分の才能のなさに絶望してしまいました。
その後の僕には明確に「これだ!これが自分の輝ける舞台だ!」と言えるものがないのです。それがより寂しさ、虚しさを募られせるのかもしれません。
とまぁ、完全にこじらせた記事を書いてしまいましたね。まるで若者のような悩みですが、これを書いているのは30歳のおっさんです(>_<)モラトリアム全開の大人になりきれない大人。
恥ずかしいし何の役に立つかわからなん文章なので書き上げた瞬間に消そうかどうか迷いました。でもなんやかんやで1700文字ぐらい書いたし、もったいないから後悔公開しておきます。
若い人はあんま見てないと思うけど、もし他の人の人生を羨ましいと思ったら早めに自分の人生を充実させること考えるといいと思います。これはこじらせた僕からのアドバイス。
まぁ、僕もまだ人生を諦めたわけじゃないけど、こういう気づきって若ければ若いほど肉体的にも精神的にも余裕がありますからね。これからの若い人には自分の人生を楽しみながら生きてほしいもんです。自殺とかしちゃいかんよ。行くところはきっとあるからね。
それでは今回はこの辺で。
最後までご覧いただきありがとうございました!
次回もよろしくお願いいたします♪