オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

不快な対象からは離れるのも一つの手だ

我が家では両親ともにタバコを吸っている。特に父親は、1時間に何本吸うねん!?と思わず突っ込んでしまいたくなるほどしょっちゅう吸う。おかげでリビングは白い煙でモクモクしている時があって、タバコを吸わない僕からすると思わずイラッとしてしまうことがあるし、時々「いやっ、さすがに吸いすぎでしょ。」と口に出してしまうこともある。匂いはつくし喉も嫌な感じになるし、副流煙は健康への被害があるなんてことも言われているし。まぁ、だからといって親はタバコを吸うのもやめないし、一向に本数を減らす感じでもないのだが。

 

ちなみに今この文章を書いてるまさにこの瞬間に、父親は寝室から出てきて自分の椅子に座りタバコに火をつけている。いくら何でも起きてからタバコに行くまで早すぎるだろうと思うけど、数十年も続けてきた習慣は簡単に辞められないのだろうとも思う。座ったら目の前のタバコに手を伸ばしてライターを手に取り火をつける。この一連の流れが、もう体に染み付いてしまっている。

 

まぁ、だからタバコを辞めさせるのは無理だろうし、半ば諦め気味だ。でも、煙が蔓延する部屋にはなるべくいたくないので、ここ最近は「あぁ、煙たいなぁ」というレベルの時は自分の部屋に戻るようにしている。自分が動くことでイライラの対象から距離を置き、ストレスを溜めないようにしているというわけだ。

 

不快な対象からは離れてもいい

そんなわけで、タイトルに戻ると不快な対象からは離れてもいいんじゃないと思う。世の中にはイラっとすることが多い。もちろん、逆に自分が相手をイラッとさせてしまっている可能性もあることは忘れずに。まぁ、つまり人間というものは不完全でバラバラであり、自分の考えと相手の考え、自分の習慣と相手の習慣がミスマッチするなんてことはしょっちゅうあることだ。オンラインオフライン問わず、人と人はしょっちゅうぶつかり合ったりしている。

 

それは一緒に暮らす家族ですらそうで、僕のように自分はタバコを吸わないけど親は吸うみたいなレベルから、顔を見れば互いを否定しあう犬猿の仲みたいになってしまうこともある。自分にとって不快な対象が近くにあると、感情が逆立ちイライラしたりつい攻撃的になってしまう。殺人の半分は親族によるものというデータがあるように、距離が近いと物理的に攻撃もできてしまう。

 

だから、そういう相手だったり対象が近くにあって、それで自分が不快だと思うのであれば時には離れよう。家族や知人のような人間であったり、タバコの煙が充満している部屋や、人ごみの溢れた歩道のような場所でも同じだ。

 

その近くにいてイライラしてしまったり、ストレスが溜まって自分の生活に支障をきたしたりするぐらいなら、スパッと離れる。距離が遠くなればその相手は意識しづらくなるし、タバコの煙のようなものであればそれを感じることも無くなるだろう。

 

よく他人は変えられないが自分は変えられるという。まぁ、僕の考えでは他人も変えられるとは思うがメチャメチャ時間と労力がかかる。特に一度習慣化した行動をやめさせるみたいなものは、すぐにどうこうできるものではない。うちの親であればタバコをやめさせるというのはかなりハードモードだ。だったら、今とりあえず自分ができることを考えてみるといい。僕の場合、「タバコの煙がない部屋に移る」という選択をした。これはほとんど労力がいらない。ものすごくイージーな行動で、自分の不快感を押し下げることができる。

 

他者に自分の感情を左右されるのではなく、自分で自分の感情をコントロールする。そのために、どういう行動を取ればいいか考える。特に、日頃から不快感を覚えやすい人は、そういう対象からとりあえず距離を置くというのを考えてみるといいと思う。

 

参考記事

日本の殺人事件の半数以上は「親族間」 悲劇を防ぐためにできることは何か(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース