オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

『竜とそばかすの姫』を見てあれこれ書いてみました!

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ちょっと前に『竜とそばかすの姫』が金曜ロードショーでやる予定だったんですよね。ところが、その日はあの元総理の銃撃事件がありましてね。急遽事件の特番に切り替わったため、映画の放送はされず「これはしばらく見れないかもなぁ」なんて思っていたところ、アマゾンプライムに本作が追加されてたので早速見てみることにしました。

 

 

 

まずは簡単な作品の説明を。本作は2021年に7月に公開の作品。細田守監督による長編オリジナルアニメーションの第6作目です。原作と脚本も細田監督が担当しています。

 

あらすじ

高知県の田舎町に住む17歳の女子高生すずが主人公。すずは、幼い頃に母親を水辺の事故で亡くしてしまい、それ以来大好きだった歌が歌えなくなっていた。同居する父親との関係もあまりうまくはいっていない。

 

それでも、母親と共に音楽を楽しんでいたこともあって曲作りだけは続けていたすずは、ある時、同じ学校に通う親友のヒロちゃんに誘われ、インターネット上の仮想世界〈U〉に参加する。そこでは、50億人以上の人々がAs(アズ)というアバターを作成し、現実とは違う姿と名前で活動をしていた。すずはベルというAsを作るのだが、ベルの時には歌うことができた。ベルの歌は〈U〉の中で評判を呼び人気者となっていくのだが、やがて〈U〉の世界を揺るがすある事件が起こる。

 

※ここからはネタバレありで感想や思ったことを書いていきます。

仮想世界のコンサートやライブの可能性を感じさせてくれる

すでにあらすじでも書きましたが、本作では主人公のすずがベルというアバターになって大規模なコンサートを開きます。その数がもう凄まじい。ストーリーの展開上、中止になってしまったコンサートがあるのですが、その参加人数は1億人とも。億の人が参加できるコンサートは現実世界にはまずありませんよね。

 

もちろん、今も配信だったりYouTubeコンサートみたいな形で現地に行かなくても大規模な人数が参加することは可能です。ただ、やっぱり画面越しとリアルの場だと、その場の空気、観客の息遣い、気温や雑音までひっくるめて臨場感に大きな隔たりがあると言えるでしょう。

 

で、本作ではそんな臨場感を仮想空間に持ってくるためのアイテムが登場します。ワイヤレスイヤホン型のデバイスです。これをつけると、本人の生体情報が得られます。現実世界ですずは歌えませんが、仮想世界で美しい歌を歌えるのは、このデバイスが現実世界の本人の能力を仮想世界のアバターにも反映してくれるからとか。さすがに、「これは今すぐには無理な話だろうなぁ」なんて思いながら見てましたけど、仮にこんなテクノロジーができたとしたら、現実にも劣らない、仮想世界のライブやコンサートを体感できるんだろうなぁと想像力を掻き立てられました。いつかそんな日がくるんだろうか。

 

それに、コンサートのド派手な演出も仮想世界ならでは。キラキラに包まれた世界、色とりどりの花びらがバァァァァっと舞い上がり、それに包まれながら歌うベル。あぁ、なんとも幻想的。この辺の映像っていうのは目を奪われたし、劇場の大画面で見たらより迫力があって感動もデカかっただろうなぁと思ったり。

 

ただ、耳につけたら生体情報を反映してくれるみたいなデバイスがある割には、相変わらずみんな普通に学校行ってるし、授業もそんなテクノロジーなんて関係ないかのような、昔ながらの授業っぽいので、いくら田舎の学校といえどもその辺りはちょっと違和感も。スマホを例に挙げるまでもなく、すごいテクノロジーが出てくると、人の生活とか行動まで変わってしまうわけだから、この世界のキャラクターたちにあまり大きな影響を与えないものなのかなぁとは思いました。

 

登場人物たちの行動に疑問を持つことが多かった

仮想世界の映像美に惹きつけられる一方で、「この人たちはなぜこんな行動をとるのだろう」と思うことが結構あって、すんなり受け入れられないこともあって、それがノイズになっていたような気はします。多分、ここに関しては「細かいこと気にすんな」っていうタイプの人もいるとは思うんだけど、僕は気になっちゃう。ストーリーを進めるためのご都合主義じゃないかと思ってしまったりするんです。

 

一つ例を挙げます。本作の主人公すずは仮想世界でベルという歌姫になるわけですが、そのことを知る人物は、親友のヒロちゃんしかいないんです。学校でも言わないし、同級生で幼馴染のしのぶくんや、普段お世話になっている合唱団のおばさま方にも言わない。でも、物語の終盤になるとその人たちは「実はベルがすずだってことはわかってた」なんて言うんですね。これはなぜなのか?

 

で、一つ考えられるのは彼らが幼い頃のすずの歌声を聴いていたというのがあります。すずは6歳の時に母親が亡くなったことがトラウマとなってしまい、それ以降、人前で歌が歌えなくなってしまいました。でも、小さい頃は母親と一緒に音楽を楽しみ、歌も歌っていた。だから、幼馴染のしのぶくんや、昔からすずのことを知っていた合唱団のおばさまたちはベルの歌声を聞いてピンときたというわけですね。

 

ただ、はたして6歳の時の歌声が、17歳の女子高生の歌声と結びつくもんかなぁとも思いました。いくらうまいと言ったって6歳の女の子が歌う歌です。そのレベルには限度があるでしょう。一方、ベルとして歌うすずは、〈U〉の世界では億の人を集める超人気歌手なわけです。声質とかその辺も含めて、結構違うんじゃないでしょうか。

 

そんなことを考えていた時に、思い出したのが曲の方です。ベルが〈U〉の世界の中で認知され始めた時に様々な評価の声がありました。なんか個性的だとか、作曲方法が云々みたいな。つまり、歌声もそうだけど曲の部分でも人々を惹きつけるものがあったわけですね。すずは、幼い頃から作曲を続けてきたわけですけど、もしかしたらしのぶくんや合唱団のおばさまたちは、すずが作った曲を聞かされていたのかもしれない。その個性的な曲の感じを覚えていて、「もしかしてこれってすずなんじゃ‥」と思ったのかもしれません。

 

ただ、それならそれで小さい頃に、しのぶくんやおばさまたちに曲を披露している場面なんかがあればいいのかなぁとも思いました。僕の記憶にある限りでは、そういう場面はなかった気がするので。

 

あとは、シンプルに名前ね。Bell=日本語で「鈴」だからってことかも。それで、歌がうまくてなんか個性的な曲だから「あ、もしかしてすずかも…」ってなったのかも。うーん、まぁでもこれらは全て想像でしかないっちゃないわけですが。

 

あとは、もうラストですね。これは、もう多分色々なところで感想書かれていると思うので、そういうのをちょっとググってもらえればいいかなという感じ。「なぜ、そうする!?」×3~5ぐらいの感じで、登場人物たちの行動に?がつきまくりでした。映画そのものには肯定的な人でも、このラストに向かう登場人物たちの行動には違和感を持つ人も多いんじゃないかと思います。

 

他にも行動の動機があいまいだったり、唐突に動くなぁという感じたりする箇所が多くて、そこで引っ掛かってしまったなぁという感じ。 

まとめ

そんなわけで、今回は『竜とそばかすの姫』についてあれこれ書いてみました。お伝えしたように映像とか音楽とか含め、十分楽しめたんですが、一方でストーリーで「おや?」と思う部分が自分としては多かったので、見た後にモヤモヤが残る作品だったなと思います。

 

僕が言っていることが果たして真実かどうか、その辺りも含め興味がある人は是非ご覧になってみてください!

 

 

 

参考サイト

「竜とそばかすの姫」公式サイト