オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

『夕凪の街 桜の国』原爆の被害が後にもたらすもの

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映画が大ヒットしたということもあって、こうの史代さんといえば戦時下の広島を舞台にした『この世界の片隅に』を思い浮かべる方も多いかもしれない。僕もあの作品は、戦争とそこで生きる人たちの日常を、僕達に教えてくれる本当に素晴らしい作品だと思う。

 

ただ、僕はこうのさんが戦争について描いた作品で、もう一つオススメしたい作品がある。それが今回紹介する『夕凪の街 桜の国』という作品だ。

 

原爆から生き延びたとしても

本作は「夕凪の街」と「桜の国」という2つの話が描かれている。「夕凪の街」は戦後10年経った昭和30年の広島から話がスタートする。そこでは、被爆者した平野皆実という女性の日常が描かれる。彼女は母親と二人暮らしだ。一見すると、彼女の日常はどこにでもあるありふれたもののように見える。だが、話が進むにつれて戦争や原爆は彼女の日常を大きく変えてしまったことがわかる。戦前の彼女は両親と妹、姉、弟(疎開していた)の6人家族だった。それが、戦後は母と自分、そして疎開してそのまま叔母夫婦の養子となった弟だけ。残りの三人は‥。

 

そして、戦後10年経っても、未だに彼女の心身が原爆に蝕まれていることがわかる。皆実は夏に周りが半袖の服を着ている中、1人長袖の服を着ている。なぜなら、彼女の前腕には原爆によってできたであろう火傷のような跡があるからだ。被爆者であることを知られたくないということなのだろう。さらに印象的なのは彼女の言葉だ。

 

誰もあの事を言わない いまだにわけがわからないのだ

わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ

思われたのに生き延びているということ

引用元:『夕凪の街 桜の国』こうの史代、双葉社

 

原子力爆弾は非常に殺傷能力の高い兵器だ。広島では昭和20年の12月末までに推計で約14万人が亡くなったそうだ。それだけの威力のものを、一般市民がいる市街地に落とす。それは落とされる側からすれば「死ね」という強い思いを投げつけられているようなもの。その恐怖たるやぶつけられたものにしかわからないだろう。

 

また、彼女は姉や妹が死んでしまったのに、自分は生き延びて恋仲になろうとする男性と出会ったことに罪悪感を感じてしまう。自分が幸せになりそうになると、10年前を思い出してしまうのだ。自分は生きていけはいけないのではないか。そんな思いに引きずられてしまう。

 

原爆は生き延びた人たちにも深い傷を残す。笑顔の裏には数多の悲劇が覆い隠されている。それをこの漫画は僕達のような戦争や原爆について直接関わりがないような世代にも教えてくれている。

 

被曝2世の生活や被爆者への差別を描く

『桜の国』では平野皆実の生きた時代から、42年後〜59年後の東京と広島を舞台にした話が描かれる。こちらは被爆者や2世に対する偏見や差別が、時を超えても僕らの生活に忍び込んでいる様子を見てとることができる。

 

人はわからないものに怯える。ましてや、原爆というものの負のイメージは容易に偏見や差別へと人の思考を誘ってしまう。原爆の被害にあった人たちですら別の被爆者に偏見を持ってしまうのだ。本作にもそんなエピソードが出てくるし、読んでいると悲しくなってしまうのだが、それもまた避けては通れない話だと思う。そうした話の一つひとつも原爆が残した大きな傷だと言えるだろう。

 

大事なのは分からないことに対して、思い込みで判断したり決めつけたりしないこと。そして、知ろうとすることなんだと思う。

 

終わりに

『夕凪の街 桜の国』について紹介した。物語は原爆の悲惨さを伝えるものではあるが、それは悲しみに終始するわけではない。負の遺産を引き継ぎながら、未来を生きようとする次世代の人たちを描くことで、温かさ、優しさ、希望のようなものも感じられるはず。原爆の歴史を知るだけでなく、物語としても良くできてると思うので、興味がある人はぜひ読んでみてほしい。

 

 

参考サイト

後障害について - 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市

死者数について - 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市