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道徳の授業ってどうやって成績つけるんだろう?

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先日、道徳の教科書に関するあほらしいニュースが出たので、そのことについてかかせてもらった。

 

参考記事:国に道徳や理想の家族なんか決めてほしくないと思うのは僕だけだろうか? - ニート気質な僕の生きる道

 

上のブログに書いたスタンスはずーっと変わらんだろうし、道徳なんてものをどこかの誰かに押し付けられるなんていうのは何の意味もなさないと思う。

 

しかもこの道徳という授業は平成30年度から教科として格上げされるらしい。教科になるということは成績を付けるということである。ますますもってあほらしいと思う。

 

ここで、読者の方の中にはこう思う方もいるはずだ。

 

「道徳の成績ってどうつけるの?」

 

僕も真っ先に疑問に思ったことだ。まさかペーパーテストで穴埋めとかでつけるんじゃないだろうな?なんて事が頭をよぎったがどうやらそうではなく、記述式による評価をするとのことだ。

 

参考記事:社説:道徳教育 やはり評価に適さない - 毎日新聞

 

他にも道徳の授業についてはいくつか書かれていたのでまとめておく

 

  • 数値で成績を評価するのではなく、記述式による評価である
  • 評価については相対評価ではなく、各々の成長に応じた評価を行う
  • 道徳は入試の合否判定の対象にはならない
  • 受験校に出す調査書には道徳の成績を書かない

 

僕が成績をどう評価するのか?という疑問と共に持っていたのが道徳という科目が受験に関係するかどうかだった。受験に関わるとなればおそらく塾などで道徳の授業への対策が始まるはずだ。

 

では塾で道徳の授業をするとしたらどういう授業になるだろうか?おそらく一度回答したテストを見てどこが評価され、どこで減点されたのかデータを集めて「こういう場面ではこう書いた方がいい点数をとれる傾向にある」ぐらいのことをやるだろう。

 

その傾向から塾講師が導き出した答えを元に生徒は「道徳的な人間っぽい回答をしていく。」なんて事になるんじゃね?と勝手に想像をしていた。テクニックで道徳的な人間として評価されてそれが入試に有利になるなんてことになればとんだ茶番としか言えないだろう。

 

だが道徳の成績が入試の合否判定に影響しないということで、どうやらその懸念は外れたようで安心した。

 

でもまだまだ問題点は多いように思う。

 

成績を評価するの難しくない?

成績の評価は記述式によるものとある。毎日新聞の記事にも書かれているが、文章が上手に書けない子供はどうなるのだろうか?ちょっと引っ込み思案で授業中はうまく自分の考えを発表できない子供もいるだろう。そういう生徒にとっては道徳的であるかないかにかかわらず不利になるような気がする。そもそも何が道徳的かなんて教師にも明確にこたえられないはずだ。

 

またその一方、作文が得意で「こうすればこの先生にはウケがいい」ということで、自分の考えすら創作しそれっぽい文章を仕上げてくる生徒だっていると思う。何をどう考えているかなんて本人以外わかりっこない。内心「くだらねー。」なんて思いつつ、品行方正な文章を書く。そうなればとりあえず道徳ではいい成績が取れてしまわないだろうか?そしてその生徒が果たして道徳の授業の目的であるはずの「道徳的な人間」になれているのかと言われるとうーん‥‥‥。となってしまうはずだ。まぁ、別に悪いとも思わないけど。

 

一人一人の成長を正確に把握なんてできるの?

そして評価については相対評価ではなく、各々の成長に応じた評価を行うということだけど、少子化とはいえ20人とか30人を担当する教師もいるだろう。ただでさえ、他の授業の準備や雑務などで教師というのは忙しい。少人数制のクラスならまだしも2桁以上いる生徒たちの心の成長を、限られた時間の中で正確に把握することなんて可能なのだろうか?

 

僕は不可能だと思う。むしろ今でさえ「教師の負担をもっと減らせ!!」なんて言われているのにさらに負担が増すのではないだろうか?受験科目ですらない道徳に対して忙しい教師たちが優先順位を高くおけるのかというと疑問が残るところだ。

 

さらに言えば「担任の教師が変わったらどーなるの?」という問題もある。今の時代はどうなのかわからないが、僕が小学生の頃は奇数の学年になるとクラス替えをして担任の教師が変わることが多かった。

 

となると、教師は2年ごとに新たに担当する生徒たちの道徳の成績を改めて把握しなければならないわけだ。評価の仕方が相対評価ではなく個々の成長に応じてとある以上、小学2年の時と3年の時を比べたらその生徒がどう成長したかを見抜かなければならない。はたしてそれができるのか?僕はムリゲーだと思う。

 

結局、道徳の授業に成績を付ける必要なんてない

僕は以前にも述べたように「道徳なんてものを国に決めてもらうのはまっぴらごめんだ。」という立場だから、授業としてあるのはまぁまだしも、それに成績の評価が加わるのは意味がないことだと思う。

 

理由は先述してきたように単純で評価基準があいまいだし、個々の教師の裁量や力量によっても成績は変わる。そして確実に教師への負担は増大するからだ。それでいてその負担に見合ったメリットがあるのかというとないと思う。

 

多くの方もこの道徳の授業に違和感を感じているはずだ。だがおそらく予定通り、平成30年度には道徳が教科に格上げされ成績がつくようになる。

 

そうなった時に果たして現場の教師や子供たちがどう思うのか。総じて「茶番だ。」と思うはずだ。

 

その茶番劇続けることには何の意味もないだろうし、それはだれにもプラスにならない。そのようなあまりメリットのないことをやり続けることがないよう願っている。

 

あと、調査書に道徳の成績載せないってあるけど、実はこっそり受験校側には伝えてあって不道徳な生徒を選別するなんてことになるんじゃないかと懸念したりもしている。この辺は僕の思い過ごしであればいいなと思う。

 

それでは今回はこの辺で。

最後までご覧いただきありがとうございました。

次回もよろしくお願いいたします。