ニート気質な僕の生きる道

自分の経験を活かして、無職やニートや、ひきこもりなど自分と同じように、「生き方」や「働き方」に悩んだり立ち止まった人が前向きになったり、自分の進みたい道に一歩踏み出すきっかけになるブログを目指しています。

比較することのいちばんの弊害は「自分の停滞感」を突きつけられるからだ

ここ最近自分の頭の回らなさにちょっと焦りを感じている。ボーっとしているわけではないのだが、とにもかくにも頭の回転が遅い気がする。自分の感覚でしかないのだが、脳がまったく力を発揮してくれない。いやっ、そもそもそんなポテンシャルなんかないのかもしれないな。まぁ、でもそんな日もあるよねなんて生産性のない考えに振り回されながらさりげなくTwitterを見る。

 

タイムラインは今日も盛況だ。他人の思考やつぶやきをみるのは楽しい。SNSでは顔も合わせたことのない人同士が、時々火花をバチバチと散らせながら喧嘩をしている様子がうかがえるが、そこにはあまり興味がない。むしろ、しんどいので人と人の喧嘩が発生しているときはそっとスマホをスワイプする。当事者でもないのに、なぜ他人の争いで自分の心をざわつかせなければならないのか。自分に降りかかる火の粉は払うが、そうではない場合なるべくおだやかでいたいものだ。

 

それにしても、ここ最近は停滞感がすさまじい。自分の成長があまり感じられないし、どうにも時が止まってしまっているような感覚を覚える。はて、僕は前に進めているのだろうか?そんな不安を覚える。

 

そんな時にTwitterをのぞくとあまりよくない気持ちになることに気づいた。なぜなら、そこには絶賛成長中、目下前進中、上り龍が如く上へ上へと昇りつめている人たちに遭遇するからだ。すさまじい勢いである。

 

この人たち自体は悪くもなんともない。むしろ素晴らしいし羨ましいぐらいだ。ただ、停滞している僕が彼らを見てしまうと、ポツンと取り残されている感を覚えるのだ。仕事であれプライベートであれ何かを成し遂げている人間と、何となく時が止まってしまっている人間。その差はどんどん開くばかりだ。最初は見えていたのかもしれない背中もやがては点になり、そして完全に視界から姿を消す。そんな光景を幾度となく見てきた。比較をすることでより際立つ停滞感。思わずため息をついてしまう。

 

おそらくこれが僕も何かにエネルギーを注ぎ込みまくっている状態だとそうは思わないのだろう。他者が何をしていようと自分だってやれている。前に踏み出せている。その感覚が持てている限り他者と自分を比較したところで、そこまで気にならないものだ。

 

しかし、今の僕はそうではない。停まっている。ただただ停まっている。そして、その位置から他人を見るとどうしようもないぐらいに「自分が停滞している」という感覚を植え付けられてしまうのだ。だから、特にうまくいっていないと感じる時には他人となんか比較をしない方がいいのだ。これは、ダメな人間の発見であり、一つ心を平穏に保つためのススメである。うまくいっていない時に他人と比べちゃいけない。味わわなくてもいい辛さをわざわざ味わうことなどないのだから。

 

まぁ、とはいえ結局のところうだうだ言っても仕方がないので動くしか術はない。これはもう、過去の経験からわかりきっていることでもある。30数年生きてきて得た数少ない知見だ。停滞感を感じようが、自分のダメさを嘆こうがベッドの上でいくらうなろうが僕という人間は何もしない限り変わりはしないのだ。シンプルだが厳しい現実でもある。

 

とりあえず今は停滞感を少し薄めていきたい。前に進んでいる感覚、ちょびっとでも良くなっている感覚を得たい。ああ、それにしてもいつになったら僕は自分の人生に対して胸を張れるのだろうか?俺ちゃんとやれているよなと思えるのだろうか?そんな日々が果たしてくるのだろうか?夜明けまではまだ遠い気もするがあがいていくしかない。