ニート気質な僕の生きる道

自分の経験を活かして、無職やニートや、ひきこもりなど自分と同じように、「生き方」や「働き方」に悩んだり立ち止まった人が前向きになったり、自分の進みたい道に一歩踏み出すきっかけになるブログを目指しています。

『もしも「死にたい」と言われたら』に書かれていた、『自殺の対人関係理論』が大事だなと思ったので紹介する。

先日感想を書いた『もしも「死にたい」と言われたら』という自殺予防について書かれた本があるんですが、この本は個人的に自殺を予防するために必要な知識を得るためにとても役に立つ一冊だなと思ったんです。

 

ただ、先日書いたのはあくまで感想でしかなくて、「もうちょい内容に踏み込んだことを書いてもよかったかな」とも思ったんですよね。かといって、全部の内容を紹介するのは現実的じゃない、じゃあどこ紹介しよっかなってなった時に「ああ、ここは多くの人に知っておいてほしいな」っていうところがあったんです。それが今回タイトルにも書いた「自殺の対人関係理論」という部分です。

 

 

自殺の対人関係理論について知ろう!!

以前の記事でも軽く触れましたが、まずは少しおさらいしましょう。自殺の対人関係理論とは「人はなぜ自殺をするのか?」を考える時の手掛かりになるもので、「自殺潜在能力」「所属間の減弱」「負担感の知覚」の3つが具体的な評価対象となります。それでは一つずつ見ていきましょう。

 

自殺潜在能力とは?

つまり、自殺願望を行動に移すには、死に対する恐怖感が減弱したり、自分の身体を傷つけることに対して、慣れたり、身体的疼痛に対して鈍感になったりするという、一種の準備状態が必要なのである。こうした能力のことをJoinerらは、「獲得された自殺潜在能力」(acquired capability for suicide:以下、自殺潜在能力と略す)と名付けており、自殺願望に自殺潜在能力が加わったときに自殺が行動化されると指摘している。

引用元:『もしも「死にたい」と言われたら』p2~3 著者 松本俊彦  中外医学社 

 

実際に自殺をしようと考えたとしても、行動する際にはやはりハードルがあります。例えば痛みに対する抵抗感がある場合。自殺をする際には様々な方法がありますが、やはりそれらの行動には痛みが伴うわけですよね。ちょっと想像してもらうとわかりますが、多くの方法が明らかに痛さや苦しさを伴うものです。そうした場合、通常であれば「ちょっと無理だわ・・・」って思って自殺を思いとどまるわけですよね。これは、自殺潜在能力が低い状態です。

 

ですが、引用した文にも書いてあるように、何らかの理由で痛みに慣れてしまったり、死への恐怖感が弱くなっていると、実際に死にたいなと思ったときにそのハードルが下がってしまう。そして時には自殺に至ってしまうというわけです。

 

では、自殺潜在能力は一体どうすると高まってしまうのでしょうか?こちらも本書に書かれているので、引用してみます。

 

自殺潜在能力は、リストカットのような軽傷かつ非致死的な自傷行為、あるいは接触障害(拒食や過食・嘔吐)アルコール・薬物乱用のような、自殺以外の意図から故意に自分の健康を害する行動によって高められる。また、慢性疼痛を抱える経験、あるいは、格闘技やラグビー、サッカーなどの激しい身体的接触を伴うスポーツ、戦闘やけんかなどによる暴力被害・加害の経験、頻回の外科手術など、疼痛と刺激誘発的な体験も自殺潜在能力に関係している。

引用元:『もしも「死にたい」と言われたら』p4 

 

↑の文章を見ていると、リストカットのような自分で自分を傷つけるような行為から、スポーツけんかなど他人に与えられる痛みまで特に「誰によって痛みを与えられたか」はあまり関係がないようで、何らかの理由で継続的に痛みを感じる状況にあったということが、自殺潜在能力を高める可能性があると。

 

これ冷静に考えたらけっこう怖いことですよね。例えば頻繁に軽いリストカット繰り返しているような人がいたとします。でも傷は浅めで幸いなことにいつも死には至っていない。繰り返されるリストカットに最初は心配していた周りの人たちも「どうせ死なないんでしょ」と思うようになってしまう。で、その人がある時何かのきっかけで「本当に死んでしまいたい」という気持ちになったする。すると、本来であれば「でも怖いし痛いだろうからやめておこうか」となったところを、頻繁に繰り返していたリストカットによって、自殺潜在能力が高まっており、死へのハードルが下がった状態となり、結果的に死を選んでしまうことだってあるわけです。

 

これは薬物だろうがアルコールだろうが一緒。それだけだと死には至らないかもしれないけど、継続的に健康に悪いことをしたり、自分を痛めつけることで少しずつ自殺潜在能力は高まります。そこに自殺願望が加わってくると、人は自殺をする可能性があるということです。

 

所属感の減弱とは?

次に所属感の減弱についてです。

 

所属感の減弱とは、現実に人とのつながりがなく、孤立している状況を意味するとともに、「自分の居場所がない」、あるいは「誰も自分を必要としている人などいない」という主観的な感覚も含んでいる

引用元:『もしも「死にたい」と言われたら』p5

 

この部分はわかりやすいかもしれませんね。現代は孤立社会だとか孤独死をする人が増えるなんて言われてるじゃないですか。多くの人が、居場所を失っていたり、あるいはどこかに所属をしていたとしてもそこで自分の存在意義を見出せなかったりしているわけです。家族を作れないとか、仕事も非正規で正規の人と分離されているとか、様々な部分でコミュニティの解体が叫ばれていて、はみ出す人が増えている。もちろん、それ自体は悪いわけではないけども、それによって居場所を失った感覚や、孤独を感じる人も増えているわけです。それはまさに所属感の減弱ですよね。これも、自殺を予防するうえで考えなければならないことだと思います。

 

僕は以前に東京の山谷という場所のスタディツアーに参加したことがあります。山谷は日本有数のドヤ街でかつては日雇い労働者、今はホームレスや生活保護受給者の方が多くいる街です。そうした人たちをサポートしているNPOの職員の方に話を聞いたところ、その人たちに大事なのも居場所なのだとおっしゃっていました。たとえ食べるものがあって、住む場所があったとしても居場所がない、存在を認めてくれる人や場所がないと、それは生きがいを失くしてしまうわけですよね。中には死を選んでしまうケースもあるのだとか。

 

おそらく今後さらに年月が立つにつれて老若男女立場問わず所属間の減弱を感じる人は増えていくでしょう。ですからこれについては、今後さらに注視していかないといけないのではないかなと思います。

 

負担感の知覚とは?

負担感の知覚とは「自分が生きていることが周囲の迷惑になっている」、あるいは、「自分がいないほうが周囲は幸せになれる」という認識を指す。これが自身の存在に対する羞恥の感情や罪悪感、激しい攻撃性を生じさせる。

引用元:『もしも「死にたい」と言われたら』p6

 

例えばですが、病気なり介護で家族から日常的に看病を受けているとしましょう。家族は迷惑だなんて思っていなかったとしても、看病を受ける側は「家族に迷惑をかけてしまっている」と思ってしまうかもしれません。それによって、自分自身が「生きていることが恥ずかしい」だとか「生きていて申し訳ない」と思ってしまうわけです。

 

こうした「負担感の知覚」は先述した「所属間の減弱」と合わさることで、自殺願望を生み出します。この自殺願望を持ったうえで、さらに自殺潜在能力が高まった状態になると、自殺を起こしてしまう可能性が高くなるというわけです。

 

では、具体的には何をすればいいのか?

ここまで自殺の対人関係理論と「自殺潜在能力」「所属感の減弱」「負担感の知覚」の3つの項目についてみていきました。で、本題はここからですよね。その知識が頭の中にあったとして、じゃあ次は何をすればいいのでしょう?本書にはその際、優先順位をつけて対処する必要があると書かれています。

 

優先するべきは自殺願望

では、どの項目に優先的に対処するべきか?それは所属感の減弱や負担感の知覚によって生ずる自殺願望を優先的に考えるといいようです。というのも、自殺潜在能力については、リストカットやアルコール、薬物乱用のようにある程度習慣化されていることがあるわけです。それに対して何らかの対処をしたとしても一気にその問題が解消されるわけではないため、自殺潜在能力も下がらない可能性があるわけですね。

 

もちろん、これは自殺潜在能力について対処しなくていいというわけではなく、あくまで優先順位をつけるとするならばということです。では、所属感の減弱と負担感の知覚にはどのような対処をしていけばいいのでしょうか?

 

所属感の減弱に対しては、否定的な認知を生み出している気分障害の治療や、本人に対する同情的な態度を高めるために家族に対する心理教育、さらには医療者の否定的態度の改善などの戦略が考えられる。

また、負担感の知覚に対しては、妄想的思考に対する治療、経済的問題を解決するためのソーシャルワーク、家族に対する心理的支援、さらには、担当医や治療チームが孤軍奮闘することがないようにするためのスーパーヴィジョン(自殺リスクの高い患者のなかには、自分が援助者の負担となっているのではないかと要らぬ配慮をして、自分から治療を中断する者がいる)などが有効かもしれない。

引用元:『もしも「死にたい」と言われたら』p13

 

いずれにせよ、幅広い分野の専門家による継続した治療や支援が必要だということがお分かりいただけるかと思います。僕のような専門家でない人間にできることはあまりないのかもしれません。ただ、自分自身ではそうした支援はできなくても、「ああ、こういう支援が必要なんだ、こういう支援を専門としている人に相談すればいいんだ」というのを知っていることは大きいのかなと。

 

これを知っていれば、自殺願望を持っている人が目の前に来た際に「死んじゃだめだよ」とか「死ぬのはよくない」といった抽象的なアドバイスではなく、「じゃあ、こういうところに行ってみようか」と具体的なアドバイスができるのではないでしょうか。その違いは大きい気がします。

 

所属感の減弱へのアプローチは有効

Joinerらは著書のなかで、「社会的に孤立している人に対して、他者とのつながりの水準を高めることは自殺予防に有効である」と繰り返し述べている。

引用元:『もしも「死にたい」と言われたら』p14

 

自殺願望を減らすには、所属感の減弱と、負担感の知覚の両方にアプローチをするのが有効です。なぜなら、その二つが合わさらなければ自殺願望が生まれる可能性も低くなるからです。

 

ただ、引用した文章にも書かれているように孤立した人へのアプローチ、つまり「所属感の減弱」が高まっている人に対して働きかけることはより有効であるとのことです。

 

先述したように、今は居場所がない人や、自分の存在を認められてないと感じる人は多いし、今後も家族、地域、職場など様々なところでコミュニティは解体されその力は弱くなる傾向にあると思います。

 

僕自身は実家暮らしの独身なわけで、家族が死んだら地元にもほとんど友達はいないし、正規雇用でどこかに勤めているわけでもないから、所属感は減弱する可能性が高い。まぁ、そうならないように色々な人とつながることはやっていますが、みんながみんなそれをできるわけでもないし、そう考えるとなかなか各々が居場所を確保するのは難しい。

 

でもそうした中で、従来のコミュニティとはまた違った形のコミュニティだったり、居場所みたいなものはどんどん生まれてきていますよね。オンオフ関係なく、大小さまざまなコミュニティが生まれて、そこに所属することで居場所を得ている人も多い。とはいえ、まだまだ孤立している人や居場所がない人もいますから、今後はさらにそういった場所を増やしていくことが、自殺予防の観点からも、そして自殺まではいかなくても生きづらさを抱えていたりする人たちに生きがいを与えることになるんじゃないでしょうか。

 

僕も居場所づくりには常々興味があるし、少しずつではあるけど活動は継続していってるので、今後ももうちょい規模を広げた居場所づくりをしていけたらと思っております。

 

まとめ

というわけで長くなりましたが、今回は『もしも「死にたい」と言われたら』で紹介されていた『自殺の対人関係理論』についてざっくりとではあるけども、お伝えしてみました。最後にまとめると

 

  • 自殺予防を考える上で自殺の対人関係理論を知っておくといい
  • 具体的には「自殺潜在能力」「所属感の減弱」「負担感の知覚」の3つで構成されている
  • どれも基本的には、専門家同士が連携して継続したアプローチが必要。
  • どれも大事だが特に優先順位をつけるとしたら「所属感の減弱」と「負担感の知覚」にアプローチして自殺願望を抑えるようにする

 

といったところでしょうか。繰り返しになりますが、自殺予防というのはパッとできるような簡単なものでもないし、そもそも専門家でもない僕らができることはあまり多くはないのかもしれません。下手な知識で支援しようとしたらかえって状況が悪化するなんてこともあるわけですから、そこは注意が必要でしょう。

 

でも、知識として持っておくことで、自殺を考える人がどんな問題を抱えているのか、どういう人につなげればいいのかは見えてくるはずです。そうすれば、間接的にではあるけども、自殺を防げるかもしれません。

 

そういう点で、今回紹介した『自殺の対人関係理論』を知ることやそれが掲載されている『もしも「死にたい」と言われたら』といった本を読んでみるのは、一つのきっかけになると思います。専門家や支援者向けの内容ですが、書かれている内容を知っておいて損はないので、時間があったら一度読んでみてください。