「自分には全く売れる価値がない」
そう嘆く人がいる。その人がどういう経歴なのかを詳しくは知らない。若いのか、お年寄りなのか、働いているのか、無職なのか、男か女か、フリーターか正社員か経営者なのか、そんなことはどうでもいい。一つ言えるのは
「全く価値を提供できない人間なんてこの世にはいないぜ。」
ってことだ。理由を説明しよう。
人によって価値は変わる
あなたが今どんな立場にいるかは分からない。仮に今あなたが無職で働いていない立場の人だとしよう。
もしかしたら会社を経営している人からするとあなたに価値を感じることはないかもしれない。ここで「やっぱり自分には価値なんてないんだ」と早まらないでほしい。価値というのはそんなに単純なものではないからだ。
まず経営者にとって価値があるとはどういうことか考えてみよう。パッと思いつくのは「自分の会社の利益に貢献してくれる人」だろう。まぁ、具体的に言えば従業員だったり顧客もその範疇に入る。あるいは経営のアドバイスをしてくれるコンサルタントなどかもしれない。
確かにその経営者にあなたが貢献できることは少ないかもしれないし、価値も提供できないかもしれない。では、次にあなたの近所に住むお年寄りの人を例に考えてみよう。
そのお年寄りは一軒家に住んでいて一人暮らしをしている。旦那さんは既に亡くなり広い家に一人ぼっちでやや寂しく話し相手がほしいな思っている。ペットのワンちゃんを毎日散歩に連れていくのも大変だ。また、年をとったため広い家の片づけや庭に生えた雑草は伸びっぱなし。足腰も悪いため少し離れたスーパーに行くのもおっくう。そんな人がいるとしようか。
その人にあなたがしてあげれそうなこと、したら喜んでもらえそうだなと思うことは何だろうか??ザッとこんな感じのことが思い浮かぶはずだ。
- 一人ぼっちで寂しいのであれば話し相手になってあげることができる。
- 代わりに家の片づけをしてあげることができる。
- 庭の草むしりをしてあげることができる。
- 代わりに買い物に行ってあげる。
- 代わりに料理を作ってあげる。
- 代わりに犬を散歩に連れていってあげる
こういったことをすればおそらくそのお年寄りは喜んでくれるだろうし、あなたに感謝をしてくれるはずだ。そしてそれはあなたがそのお年寄りに「価値を提供したことになる」
どうだろうか??別に特別なスキルを持っていない、働いていようがいまいが関係なく価値を提供できるのだ。これが健康な人で家事もバリバリこなしてますなんて人だったらそれほど価値を感じないかもしれない。でも先述したお年寄りであればそういうことをしてくれる人に対してとてもありがたいと感じてくれるだろう。
そして、実際世間には「庭の草むしりサービス」や「お掃除代行サービス」「家事代行サービス」といった形で、特別なスキルを必要としないサービスを提供し(多少スキルは必要だと思うが)、利益を出している会社がある。草むしりなんて健康な体があって体力があればそこまで難しくはない仕事だろう。それだって、提供する相手によってはものすごく価値を感じてくれるし、それにお金を出してくれるわけだ。
先ほどの経営者の場合だってそうだ。その経営者の仕事の部分では価値を提供できなくても、プライベートで「どういう生活スタイルか?」を見ていくと求める価値が変わるし場合によってはあなたでも価値を提供できるかもしれない。
仮にその経営者がメチャメチャ忙しくて家事もろくに出来ない人の場合、先ほどお年寄りに提供したようなサービスを提供する事も可能なはずだ。彼らにとって時間というものは代えがたいもの。それらを確保するためにお金を使って家事を代行するなんていう人は結構いる。まぁ、この場合もう少しハイレベルな家事代行の技術が求められるかもしれないが。
価値を提供するということに関して学歴とか何か特別な資格が必要なわけではない。ある人にとって何の価値を感じないことでも、別の人によってはものすごく価値を感じることがある。そのことは覚えておいていいと思う。あなたができることや得意なことも相手次第では価値を感じるんだ。
ちなみに僕の場合だがこのニートブログも人によっては価値が変わるところだろう。このブログを仮に経営者やバリバリのビジネスマンが読んだところで「無意味、無価値」と冷徹に言い放たれるかもしれない(笑)でも、ニートやひきこもりもしくはそれに近い人たちには多少なりとも価値が提供できているんじゃないだろうか?(と信じたいし、そういう思いで書いてるんだけど、価値を感じてもらえないとしたら僕の力不足!!)
場所が変われば人が求める価値も変わる
山間部の村に移動型のスーパーがやってきてそこに村中のお年寄りが集まるというのをテレビで見たことがある人もいるだろう。あれは「場所が変わることで人が求める価値が変わる」ことの好例だと思う。
山間部のお年寄りの場合近くに食料や日用品などを買える場所がないことが多い。近くて数十分かかるなんてケースはザラにあるだろう。それでも車などの移動手段があればいいが、それだって年をとれば運転そのものがきつくなる可能性もある。
そういう人たちにとって自分たちの家の近くまで来てくれる移動型スーパーというのは「労力や時間をかけて遠くまで買い物をしに行かなくてもすむ」という価値を提供しているわけだ。売っている物は全く特別なものはない。米、野菜、飲み物などその辺のスーパーで当たり前のように置いてあるものばかり。でもその村に住むお年寄りなどはそこからバンバン購入していく。
この移動スーパーが、仮に家から徒歩数分のところにいくつもスーパーやコンビニなどがある街中でサービスを提供していたらどうだろうか??おそらくあまり利用されないだろう。この移動スーパーの最大の価値である「労力や時間をかけて遠くまで買い物をしに行かなくてもすむ」ということがウリにならないからだ。その辺にいくらでも買える場所があるからね。
すぐ近くにスーパーやコンビニがある人が求めている価値は山間部に住んでいる人とは全く違う。それは品物の安さだったり、品ぞろえだったり、他では買えない美味しいお総菜だったりするかもしれない。そこに対して移動スーパーが提供したい価値はミスマッチになってしまう可能性が高いだろう。
これは人にも当然当てはまる。例えば都会には若者が溢れているが地方によっては若者の流出がとんでもない数にのぼっているなんて地域がある。高齢者だらけの限界集落のことを耳にしたりもする。そういうところに都会から若者が移住したとしよう。もしかしたら移住先にとっては「若い」というだけで価値になることもあるわけだ。
なんせ、地域によっては家賃を大幅に補助してくれたり、仕事を紹介してくれたりと至れり尽くせりだったりするのだから。これはその地域が若者に対してそれだけの価値を感じているからだ。地域によっては若者に対して「お金を払ってでも来てほしい!!」それぐらい価値を感じているというわけだ。
逆に都会には放っておいても若者がどんどん押し寄せてくるから、別に行政が家賃の補助をしたりあれこれ手厚いサポートをしてくれることもない。ただ、若いというだけではそこまで価値を感じてもらえないのだ。同じ20代の若者でも場所が違えば価値を感じてもらえる場合もあるし、そうでない場合もあるのだ。
まとめ
「人は誰でも価値を提供できる」
今「自分は人に何の価値も提供できない」と考えているあなたへ。
お伝えしたように人が変わり、場所が変われば求められる価値は変わる。そして、そこに自分をうまくマッチすることができれば求められる価値を提供することができる。
価値を提供できない人間なんてこの世には一人もいない。価値のない人間なんてこの世には一人もいない。「お前は無価値だ」なんて言ってくるやつは物事を一面でしか見ていない。そんな人の言葉はスルーしていい。特別なスキルや資格、ものすごい高い学歴がなくても価値は提供できるということをまず覚えておいてほしい。
もちろん価値を高めるためにスキルを磨いたり、経験を積んだり資格をとったり、学歴を積んだりすることもありだ。でもそれはあくまで「付加価値だ。」価値をつけ足したに過ぎない。場合によってはそういう付加価値を付けることも必要にはなってくる。でもしつこく言うが今の時点でも価値は提供できるということを認識しておこう。
あなたは自分が持っているもので「誰にどんな価値を提供できるだろうか?」「どの場所だったら自分が提供する価値を求めてもらえるだろうか?」
ぜひぜひその事を考えてみてほしい。
あと、最後にこれはモノを売るとかそういうことじゃなくて単なるきれいごとかもしれない。
「あなたが生きてるだけで価値はある」
あなたが生まれてきてくれただけで喜んでくれた人がいる、死んだときに悲しんでくれる人がいる。寂しいなと感じてくれる人がいる。それだけで立派な価値だ。だから「自分には価値がない」と自分を責めすぎないでほしい。そのこともお忘れなく。
それでは今回はこの辺で!!
最後までご覧いただきありがとうございました!
次回もよろしくお願いします!!