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『孤立不安社会』から人はなぜ孤立してしまうのかを学んでみた!

ここ数年、「孤立無業」だとか「孤独死」だとかやたらと孤立や孤独といったキーワードを耳にする機会が増えたなと感じています。僕はTwitterなんかもよく覗きますが、なかなか人と繋がれずに寂しい思いをしている人が結構いるようですし、僕がこれまでお会いしてきた人たちの中にも、「普段は家に閉じこもってます」とか「一緒に遊んだり出かけたりする相手がいないんです」といった話を聞くこともあったりして、「ああ、もしかしたら社会の中にはいつの間にか孤立している人たちが増えているのかもな」と思ったりするわけです。

 

人はなぜ孤立をしてしまうのか?なぜ、ここ最近になって孤立とか孤独といった言葉を多く耳にするようになったのか?人はいきなり孤立するわけでもないですし、そこには少なからず社会的な要因があるはずです。

 

僕らは人間関係を自分で築けるようになった

人が孤立する原因の一つに、個々人が人間関係を選べるようになったことがあるかと思います。一昔前のように、生まれた村の人間関係が全てであったり、結婚相手を家で同士で決めたり、一つの会社で定年まで勤めあげるのが当たり前だった時代はもはや当たり前ではなくなり、僕たち一人一人が主体的に人間関係を選んでいくのが普通になってきました。孤立について取り扱った石田光規さんの著書『孤立不安社会』(勁草書、 2018)では、これを「選択的関係の主流化」と呼んでいます。

 

これまでのように、どこかの集団に属することで人間関係が勝手に決まっていた社会ではなくなってきたということですね。人間関係は硬直しがちだったものからとても柔軟なものとなり、各自が自由につながれるようになったということです。一見すると、こういった社会はメリットだらけと感じてしまいますが、残念ながらメリットだけではなくデメリットも発生してしまいます。ここからは人間関係を自分で築くことで生じるメリットとデメリットについてみていきましょう。

 

人間関係を自分で築くメリット

まず、メリットはというと「嫌な人間関係を維持する必要がない」、「集団のルールに縛られずに済む」、「自分の好きな人、相性が合う人とだけつながることができる」といったことが挙げられるでしょう。

 

かつての村社会では、その地域の人たちがその人にとっては人間関係のすべてであったと言っても過言ではありませんでした。そこで重要視されたのは、「村のルールを守ること」だったわけです。それを破ると、その人はいわゆる村八分のような目にあい、立場が非常に弱く生きづらくなってしまった。ですから、個々人は村の掟に従い行動をする必要がありました。これは今を生きる僕たちからすると、とてつもなく息苦しく感じられるはずです。

 

また、村にいる人間が必ずしも自分と気の合う人間ばかりではないというのも当然あるでしょう。ただ同じ村というだけで、嫌いな人間と日々顔を合わせていかなければならない。それが何年も続くのかと思うとぞっとしますが、かつてはそういうことが当たり前という社会もあったわけです。

 

一方、現代では住む場所も仕事も人間関係も基本的には縛られることがありません。ルールによって人間関係を決めつけられることもないし、嫌な人間と無理に繋がり続ける必要もなくなり、自分の好き嫌いで人間関係を選択できるようになったわけです。これはとてつもないメリットだと僕は思います。

 

人間関係を自分で築くデメリット

こう見てみると、「人間関係を自分で築けるんだから最高じゃないか!デメリットなんてないのでは?」なんて思うかもしれません。では、逆にデメリットはないのかというと実はあるんです。それは「自分から主体的に人間関係を築き上げて維持できる人はいいが、そうではない人が孤立してしまう可能性がある」ということです。

 

これまでの社会では、村や家族や企業といったものに属していれば一定の人間関係は勝手に築かれていきました。これはすなわち「自分で人と繋がるのが苦手であった人でも、比較的孤立せずに済んだ社会であった」と言えるわけです。村にいれば村人と、家族といれば家族と、企業に属していれば同僚とという具合に、そこにいるだけで人人とつながることができたんですね。

 

ですが、自ら人間関係をつくる時代になると話は違ってきます。そこに居るだけで人間関係ができあがってくることはまずないので、自らアクションを起こしていかなければなりません。相手の興味を知り、相手に対して共感し、相手と定期的に顔を合わせるなどして関係をつくっていく。さらに、それだけではダメで、その関係性をキープしていくために、連絡を取ったり、会いに行ったりするなどそれ相応の努力をしていかなければなりません。

 

主体的になった分、人間関係の構築から維持までしっかりと力を注がなければならなくなったわけです。これはそうしたことが得意な人にとっては望ましいことかもしれませんが、逆にちょっと不器用であったり、相手の気持ちが上手く読み取れなかったりといった具合に、人間関係を築くのが苦手な人にとってはとてもハードルが高くなりますよね。

 

例えば人間関係を主体的に選択するイベントの一つに結婚があります。少し前の時代では結婚に関してお見合いでパートナーを見つけることが普通でした。この場合、まず自分で相手を見つけてくるというハードルをすでにクリアしているわけです。さらに、お見合いによる結婚が当たり前という社会的な空気もありますから、話をしてみてよっぽど気が合わないとかでなければ、結婚をしたという人たちもいました。(僕の好きな水木しげる先生もお見合い結婚です)

 

ところが、今の時代は恋愛結婚が主流ですから、いきなり結婚するという段階までそもそも到達しません。まず、ふだん自分が接している人たちの中から、「この人いいな」という相手を探す必要があります。さらに、その相手が見つかったからといって、相手の方があなたのことをどう思っているかなんてわかりませんから、相手の気持ちを探り少しずつ距離を詰め‥‥‥ということをやっていくわけです。たとえ付き合えたとしても、その途中で相手との関係が何らかの理由で壊れてしまうこともあります。恋愛結婚というのは、そういういくつものステップを経てようやく結婚にたどり着くわけです。いやぁ、ハードル高いっすね。

 

もちろん、僕は人付き合いに関して村社会の人間関係や、お見合いで半ば強制的に相手を決められるような時代よりも、自分で人間関係を選べる方が自由度が高くていいよなぁとは思います。ただ、その自由さゆえに人間関係を築くのが下手な人たちが、孤立しがちというデメリットがあることも忘れてはいけないよなと思うわけです。

 

人とのつながりにも格差が生まれている

格差社会と言われて久しい時代です。お金を持っている人と、お金がない人との間の差はますます広がっているとも言われています。ところが、なんと人とのつながりにまで格差が生まれてきていると『孤立不安社会』では述べられています。

 

人と人がつながるのは個人の事由に委ねられてきたというのは先ほども述べました。では、人は誰かとつながる時にどのような基準で相手を選ぶのでしょうか?それは、自分にないものを持っていたり、一緒にいて癒されるだとか居心地がよかったり、自分にない知識や情報を提供してくれるといった、「有用性」があるかないかです。

 

社会階層研究では、そもそも、多くの人が、似たような階層に属する他者よりも、威信の高い他者を選考することが明らかにされている(Laumann1965)

引用元:『孤立不安社会』(2018) p60 著者 石田光規  勁草書房

 

威信の高い他者というのは、例えば自分よりお金を持っていたりとか、高学歴であったり、社会的に権力や地位があるように見える人ということですね。

 

つまり、人間関係を選び選ばれるような社会では、相手に何かを与えられる人や、力やお金、権力などを持っている人が、多くの人から選ばれる立場になり、人間関係がますます充実していく。一方で持たざる者は、なかなか相手から選んでもらえずに孤立してしまう可能性が高いというわけです。

 

実際にそれを裏付けるデータもあるようです。

 

婚姻形態では、結婚したことがない人、離別者、最終学歴では中学卒、高校卒、世帯収入では低収入層ほど孤立者が増える。とくに中卒者と収入下位群に孤立者が多くみられる。収入下位群には、非正規などの雇用の不安定な人が多く含まれると考えられる。ここから、学校、雇用、婚姻のメインストリームから外れた人ほど、孤立する傾向が強いことがわかる。

引用元:『孤立不安社会』(2018) p65-66 

 

低学歴、低収入、非正規という持たざる者は結婚できない可能性が低く、孤立する可能性が高くなる。もちろん、みんながみんなというわけではないでしょうが、全体としてその傾向にあるということです。

 

もちろん、持っている人が全てにおいて恵まれているとも思いません。例えばお金持ちの場合、人とのつながりに関して言えばその人の地位やお金が目当ての人間だっているわけです。その人が、地位を失ったり全財産を失ったら周りから人がいなくなったなんていうのは時々聞く話ですし、必ずしもつながりが多いから充実しているというわけでもないのかなとも思います。金持ちもそれなりに苦労はありますよね。

 

とはいえお金持ちや権力のある人間が人とつながりやすいのは何となく想像できるはずです。多くの人とつながるチャンスがある以上、お金や地位だけじゃない部分でつながれる人が見つかりやすくもあるはずです。一長一短ありますが、やはり持つものが有利であるというのは、この社会において紛れもない事実なのだと思います。

 

さらにもう一つ興味深いのは、人はつながりにおいて「似たような人とつながる傾向がある」と言われていることです。お金持ちの友達はお金持ちというのはよく耳にすることだし、サラリーマンはサラリーマン同士とつるむことが多い。周りを見ると、自分と似たような属性の人たちで固まっていたりしますよね。僕の知り合いもおおむねお金があまりない人が多い(笑)逆に貧乏なフリーターと大企業の社長が友達という話を僕は聞いたことがありません。(中にはいるかもしんないけど)

 

その中でもわかりやすい例として紹介されているのは、学歴同類婚についてです。

 

『孤立不安社会』のp72に掲載されている「本人学歴と配偶者学歴のクロス集計」という図によると、1950年から1969年までは、本人が大学以上の人の結婚相手が大卒以上の人は31%でした。ところがこれが2000年以降になると、55.2%になっています。つまり、本人が大卒以上の場合、その中の2人に1人以上が相手も大卒以上であるわけです。

 

さらに、親の学歴が高いと収入も安定し、子どもの教育にかけるお金も増えて子供も高学歴になる傾向にあります。一時期、東大にはいる学生の場合、親の年収が高いなんてニュースが話題になりましたが、こうやって様々な格差が連鎖していく傾向にあるのが今の社会の特徴と言えるのかもしれません。

 

まとめ

というわけで、今回は『孤立不安社会』という本から人はなぜ孤立してしまうのかを学んでみました。内容をざっくりまとめると

 

  • これまでは決まった集団(村、家族、企業)に属することで、勝手に人間関係が築かれた社会だった。
  • 現代は決まった集団に属する必要がなくなり、個人が主体的に人間関係を築けるようになった。
  • 誰とつながるのかを自由に選べるようになったので、つながるのが上手い人はいいが、下手な人は孤立してしまう傾向にある
  • 人とのつながりにも格差があり、お金を持っていたり、権力があったり、学歴が高い人は人とつながりやすく、逆に低学歴、低収入、非正規の立場の人は孤立してしまう傾向にある

 

という感じになります。

 

まぁ、この辺は何となく今の時代を見ているとわかっている方も多いとは思います。問題なのは、「じゃあ、どうやって孤立を防ぐのか?」というところですが、それについて書いていくと、文字数がすさまじくなりそうなので、また別の記事で書いていきたいと思います。