ニート気質な僕の生きる道

自分の経験を活かして、無職やニートや、ひきこもりなど自分と同じように、「生き方」や「働き方」に悩んだり立ち止まった人が前向きになったり、自分の進みたい道に一歩踏み出すきっかけになるブログを目指しています。

『まぼろしの「日本的家族」』を読みながら、家族に介入したい人たちの矛盾点について語ってみた。

理想の家族って何?って言われた時にあなたならどう答えますか?仲がいい家族?何となく個々が独立している家族?笑顔が絶えない家族?それぞれが夢を追っている家族?おそらくそれぞれ回答って違うと思うんですよね。それどころか、「家族なんて別に持ちたくないっす」なんていう人もいるかもしれない。まぁ、でもそれって当たり前ですよね。一人ひとりが違う人間なわけで価値観も人それぞれです。誰もが家族というものにたいしてポジティブなものを抱いているかと言えばそうではない。

 

ところが、ここ最近と言いますかちょっと前からこの国では、やたらと「家族の絆を取り戻そう」だとか「今こそかつての家族の形を」みたいな、「昔の家族は良かった」論者みたいな人たちがいて、自分たちの中にある理想の家族像みたいなものを国民に押し付けようとしている様子が見て取れます。

 

↑の『まぼろしの「日本的家族」』なんていう本にはまさにそうした、「昔の家族に戻りましょう」的なことを言っている人たちの考えを垣間見ることができます。その人たちの発言や文章を紹介していく中で、なぜ彼らがそんなことを言うのかか?がよくわかる一冊です。まぁ、納得はできないっすね。昔の家族を取り戻せ的なことを言う人たちの考えには違和感しかありません。

 

でね、僕はこういう家族を再生させましょうっていう人たちの考えを見ていて、常々思うことがあるんですよね。1つは「昔の家族は良かったってほんとかね?」ってこと。もう1つは「その家族っていつの時代のことを言ってるの?」ってことなんですよね。

 

昔の家族は良かったのか?

まぁ、まずは昔の家族は良かったというところから見ていきましょう。この本には「現在の日本国憲法が家族を崩壊させた!だから憲法を変えるべきだ!」っていう人たちの発言がけっこう出てきます。

 

たとえば料理研究家の服部さんなんかは次のようなことをおっしゃってます。

 

昔、朝と晩の二回は一家団欒で食卓を囲んだものでした。

近頃の家族は一緒に食卓を囲む機会がめっきり減ってきたようです。

家族とは、同じ屋根の下で家族みんなで食事をすることこそ家族なんです。

子ども達の行儀の悪さは目に余ります。これは核家族化したことにも原因があります。

 ここまで家族の絆がバラバラになってしまった原因の本体は国家の根本である憲法にあると思っています。

 理由の一つは、憲法の第三章「国民の権利及び義務」です。そこで言葉の登場回数を数えてみたところ「権利」は十六回、「自由」は九回だったのに比べ、「責任」と「義務」は各わずか三回のみです。それから、ここには「家族」という言葉が一切出ていません。

 出てくるのは「個人」だけ。日本の良い所は家族制度であり、責任感であり、倫理観だったはずです。(アメリカの憲法の第三章には家庭という言葉が多く出てきます)

 それらを全部取りさるために家族をバラバラにして、責任も義務も教えずに権利と自由だけを強調しているのです。その結果何が起きたかというと、みんな「個人」になり、家族が失われてしまったのです。その流れの中で食卓も崩壊していったのです。

今こそ憲法を変えることで元の様な家族が戻って来るように思われてなりません。(以下省略)

引用元:『まぼろしの「日本的家族」 』p18~19  編著 早川 タダノリ 青弓社

 

料理研究家らしく一家団欒の食卓が失われていて、それは家族が崩壊しているからだー!でその理由は、憲法が個人に権利とか自由を与えているからだーという考えのようです。なんか色々とツッコミどころがありますね‥‥‥。

 

そもそも家族がバラバラになって一家団欒が失われたのって憲法が個人の権利とか自由を保護したからなんでしょうかね?僕これ違うんじゃね?って思うんですよ。単に人々のライフスタイルや雇用環境なんかが変わったからじゃないですか?

 

この本にも書いてあるけど、今の時代って夫婦共働きが当たり前の時代だし、片親で子育てをしている人たちだっている、そもそも単身世帯が3割を超えてて独り身が当たり前という時代ですよ。夫婦そろって同じ時間に家にいるなんて無理がある。

 

さらに、細かいこと言えば働いてたら残業だったりますわな。子供だって学校いって、場合によっちゃあ塾行ったり、部活やったり、バイト行ったりしてるわけじゃないですか。稼働してる時間なんてバラバラでしょ。そんな状態で服部さんがおっしゃるように「朝と晩の二回は一家団欒」なんて不可能。

 

これ実現させようとしたら、親御さんが残業から帰ってくる時間に子供は家に居なくちゃいけない。そもそも会社に長時間労働をやめさせなきゃならない。いやっ、無意味な長時間労働は辞めさせてもいいけど、会社だって時には繁忙期でどうしてもって時だってある。じゃあ、そういう人たちも無理やり帰す?一家団欒のために?で、子どもたちはそんな家族の帰りをご飯も食べずに待ってなきゃダメ?いやぁ、そんなこと求められたらいい迷惑でしょ(笑)誰も得しないよね。

 

さらに突っ込むと、日本国憲法の前の大日本帝国憲法の時に一家団欒なんてないでしょ。要は戦前の話ね。

 

戦前の日本って旧民法によって、戸主(主に父親)にメチャメチャ権限が集中してたわけです。いわゆる「家父長制」ってやつです。戸主は居住とか入籍とか家族の行動を制限できるわ、女性には財産権はないわでもう今の時代ならみんなびっくりの人権侵害ですわ。年長の男にどれだけ力を与えてんだって話ですよ。こんな時代に戻りたいですか?戻りたいのは権力持てるおっさんぐらいのもんでしょ?

 

これもちろん食卓にも反映されてます。戸主の父親がまず上座にドーンと座るわけですよね。いわゆる威厳のあるお父さんですよ。じゃあ、その場で家族がペチャクチャ話しながら食事をとるみたいな一家団欒の形ってとれるんでしょうか?いやっ、もちろん中にはそういう家族もあったかもしれないけど、基本的にはそんなワイワイガヤガヤみたいな食事風景はなかったんじゃないかな?

 

この辺は本書でも言及されていて、そもそも明治時代は食卓なんてなくて「箱膳」で食事をしていました。それが卓袱台に変わるのは大正時代の末ですが、基本的に食事中は会話をしてはいけないというのが当たり前だったようです。

 

いつの時代の家族が良かったの?

じゃあ、いつの時代の家族が良かったのって話ですよね。先述したように、戦前の家族は一家団欒とは程遠い。戦後の家族の形は「日本国憲法が壊しちゃったからダメだー」っていってるわけでしょ?じゃあ、服部さんが言う昔の家族っていうのはいつの時代のことを言ってるのか?

 

この辺りも本書では言及していて、おそらく1960年代半ばに誕生した食卓の風景のことを服部さんは言ってるんじゃないかと。

 

この時代っていうのは、戦前の家から形が変わって、「ダイニングキッチン」が普及していたんですね。しかも、この時代は夫婦のうちお父さんが外で働きお母さんが家事をして子供たちがいるそんな家族の形があるわけです。文化人類学者の石毛さんによると、この時には食事中の会話というのも別に問題なくなったそうなので、おそらくこの時代の食卓のことを服部さんは懐かしがっているんじゃないかなと想像できるわけです。

 

ここで突っ込みたくなりません?「いやいや、この家族の形って日本国憲法下のものですやん」ってね。

 

僕が長々と服部さんの発言を引用した部分を見てもらうとわかるように、彼は「日本国憲法のせいで家族がバラバラになった!」と言ってるわけですよ。でも、その彼がおそらく理想の家族、取り戻すべき家族と考えているのはその日本国憲法下の家族なわけです。にもかかわらず日本国憲法を変えなければ!って主張はおかしくないですかね?

 

そういう矛盾点みたいなものが、憲法なり他の法律なりで家族に介入したい人たちの主張とか発言から漏れ出しまくってるんですよね。で、大体そういう人が理想とする家族像っていうのは全体主義的で押しつけがましい。そんでもって、「そんな家族はどこにいたんですか?」って具体性に乏しい。いたとしても、それは彼らの周りにいただけだったり、どの時代の家族のことを言っているのかよくわからなかったりする。だから、僕はそういう人たちが「家族とはこうあるべきだ」とか「こういう家族が望ましい」みたいな発言には疑いを持つようにしています。

 

まとめ

というわけで、今回は『まぼろしの「日本的家族」』を読みながら、家族に介入したい人たちの矛盾点についていろいろ語ってみました。

 

今回はほんの一部の紹介ですが、この本を読んでいくと他にも「おやっ?」と思うような「昔の家族を取り戻そう」論者の発言を知ることができるし、その矛盾点もわかるのかなと思います。

 

僕自身は別に「何としても憲法や法律を守ろう」という人でもありません。仮に憲法であろうが法律であろうが、明らかに時代に即していないとか、人々の生活にとってマイナスでしかないものであるならば、変えることや修正をすることだって必要だと思います。

 

ただ、少なくとも日本国憲法や法律によって家族をどうにかしたいと思っている人たちの「これじゃない感」やその論理の破たんぶりがすさまじいので、彼らにはとても賛成できないというだけのことです。

 

どう考えても家族なんて、一つ一つがバラバラで同じであるはずがありません。そもそも家族というものは極めてプライベートなものなわけで、それを他者から、ましてや国からどうこう言われたり、法律で「こうでなければならない」なんて縛られる筋合いもないわけです。(虐待とか育児放棄とかそういうのは別ね)それを憲法や法律によって無理やり一つの方向に向かわせようとしてるんですよ。それっておかしいと思うのは自然なことなんじゃないでしょうか。