毎日というわけにはいかないが、最近はまたボチボチと日記なのかなんなのかよくわからない、曖昧な文章を書いている。
今回は僕が最近学んでいることについて書いてみようと思う。
2021年、夏に学んでいること
僕がこの夏に学んでいるのは、「アメリカにおけるキリスト教の歴史について」だ。別にキリスト教徒でもないし、信仰に目覚めたわけでもない。何か仕事で必要だからというわけでもなく、単に興味を持ったからだ。そのきっかけは映画だった。
僕はここ数年、ちょくちょく映画を見ている。邦画も観るがハリウッド映画を観ることも多い。すると、物語の進行に関係ありなしに関わらず、かなりの頻度で宗教や移民に関するものが出てくる。
例えばいくつか有名な映画を挙げてみよう。『ロッキー』は言わずと知れた、シルベスター・スタローンの代表作だが、スタローン演じるボクサーのロッキーは試合前に神に祈りを捧げるし、シリーズ通して十字架や教会も頻繁に登場する。(スタローンはキリスト教信者でローマ・カトリックである)
あるいは『ゴッド・ファーザー』もそうだ。この映画はマフィア映画を代表する作品といえるが、こちらも教会でのシーンをはじめ、キリスト教に関連するものが多く登場する。そもそも、ゴッド・ファーザーという言葉自体、マフィアのボスとしての意味もあるが、カトリックにおけるしきたりでは、子供の洗礼の際に、実の親ではない大人の信者が代わりの親として儀礼に立ち会い、そのうちの男性の代親を「ゴッドファーザー」と言う。
他にもハリウッド映画においては聖書からの引用や、ストレートにキリスト教を題材にしたもの、登場人物にキリスト的な救世主の役割を与えるなど、キリスト教は多岐の作品に影響を与えている。少し注意して作品を見てみると「あっ、ここにもキリスト教の影響があるな」というのに気付いたりする。
もちろん、ニュースなどで見てアメリカ人がキリスト教への信仰心を強く持っているのは知っていた。でも、なぜそこまで信仰が強いのかまでは知らなかったし、あまり深く考えてもこなかった。だが、様々な映画に触れれば触れるほど、キリスト教の影がチラつくわけだ。すると、自然に「なんでこんなにキリスト教の影響が強いんだろうか?」と疑問が湧いてくる。そこで、ここ最近はアメリカとキリスト教の歴史について興味を持つようになった。
アメリカとキリスト教の歴史を学ぶと実にいろいろなことがわかってくる。例えばここ数年の話題で言えば「アメリカ大統領選と宗教の関係」とか。トランプ前大統領が2016年に大統領選で勝利した要因の一つには、キリスト教との関わりがあると考えられている。
ここで詳細については語らないが、簡単に言ってしまえばトランプはキリスト教の福音派と呼ばれる人たちが求める政策の実行を約束し、彼らの支持を得ることに成功した。福音派は大量の信者を抱えているため、それが多くの得票につながり、大統領選においてトランプが勝利につながったと言うわけだ。
その辺りは、松本佐保さんの本を読んでもらうとより理解が深まると思う。
こうしたことを知ると、今度は「じゃあ、福音派ってどこから来たの?」とか「なんでこれほど影響力を持ってるの?」とか「そもそもカトリックとプロテスタントの違いって何?何で同じキリスト教なのに違う宗派があるの?」とか色々な疑問が湧いてくる。そうした「なぜ?」は何かを学ぶきっかけになる。
もちろん、その学びによって自分の人生にプラスのものが得られれば、より学びも継続しやすくなるだろう。僕の場合、今回のアメリカの歴史とキリスト教について学んだことで、まずよりハリウッド映画を楽しめるようになった。
例えばある作品の登場人物が、なぜプロテスタントではなくカトリックの信者なのかということが推測できたり、その人物の信仰がセリフや行動に影響を与えているのに気がつく。作品が監督の信仰心と強く結びついていたりするのもわかったりする。今まで見過ごしてきていたようなところを「これはこういうことか」と考えながら作品を見ることができるようになるというわけだ。
もちろん、映画だけでなくアメリカという国の政治やそこに住む人々についても断片的ではあるがわかるようになった。アメリカ人の行動様式が単に個々人のパーソナリティや性格といったものだけでなく「宗教」というものによって規定されていたりする。
中絶に反対する人や、進化論を学校で教えるのに反対するのは、日本に住む僕らだとあまりピンとこないかもしれない。僕自身もこれまでだと「何か理解できないよなぁ」で終わってしまっていたのだが、こうした知識を得ると、キリスト教の教えを厳格に守ろうとする人たちにとってはものすごく大事で、見過ごすことができない問題なんだということがわかる。そして、そのことからキリスト教が彼らに根付き大きな影響力を与えているのかを実感できるようになる。
学ぶきっかけは「なぜを見逃さない」こと
ここからは少し、学びのきっかけについても書いてみたい。学ぶきっかけは何だっていいと思う。僕のように映画とかエンタメきっかけでもいいだろうし、ちょっとした人との会話からだってアリだ。
大事なのは自分の中にふと芽生えた「なぜ?」を見逃さないことだ。それは少なからずその対象に興味を持ったということだし、学びのきっかけになる。
特に、「今何も学びたいことや興味を持てるものがない」という人は、あまり堅苦しく考えず、映画なり漫画なり本なり何でもいいので触れてみるといいと思う。
そして「なぜ」が自分の頭に浮かんだらぎゅっと掴んで離さない。鉄は熱いうちに打てじゃないけど、なるべく早くその疑問を解消するために本やインターネットで調べてみる。学びの熱が覚めないうちに早めに動いてみよう。忙しく目まぐるしい現代では、時間が経つとそもそも何に対して興味を持っていたのかすら忘れてしまいがちだ。
終わりに
そんなわけで今回は最近学んでいることや学びのきっかけについて書いてみた。幸いなことに僕はまだまだ学びたいことが多い。
宗教のこともそうだし、アメリカの移民やその歴史について、日本の近現代史や戦後の復興時代の日本の日常、ヤクザなどアウトローと日本の歴史などなど。シンプルに政治のことや経済のことも知りたい気持ちがある。
これらについてもいずれある程度学んだら、またこのブログでアウトプットを兼ねて書いていこうと思います。
ではまた!!