オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

ニートの死に方なんて考えなくていいよ。

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久々にブログの検索ワードから記事を書いてみようと思います。

 

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ふむふむ、ニートの死に方ね‥‥‥。

 

「そんなの考えなくていいよ!!」

いやっ、何で考えなくていいかっていうと

 

「どう考えてもそんな先のことわからないから。」

 

これはニートの人だろうが、そうじゃない人だろうが関係なくて「人がどうやって死ぬか?」なんて想像しても想像しきれないじゃないですか。

 

健康に見える人がある日事故や病気でなんてこともあるし、体が弱い人が意外と長生きをしたりもする。予測不可能すぎるし、自分が死ぬ時のことなんて考えてもちっとも楽しくない。

 

別に現実逃避とかじゃなくて、予測しようがない未来についてあーだこーだ考えたとしてもあんま意味ないんじゃないのかな?なんて思うわけです。ただ気持ちが暗くなるだけで何もいいことないんじゃないの?なんて思っちゃいます。

 

それより「どう生きたいか?」を考えた方がよくない?

死に方なんて自殺でもしない限り自分で決めようがないんだから、考える必要はないです。まぁ、70代とか80代ぐらいなら「どう死ぬか?」なんて考えてもいいんだろうけど、20代とか30代ぐらいならそれは現実味がないですからね。

 

そのまったく予測できない未来について考えて「ああ、こんな死に方したくない。」ってなるかどうかわからないことで落ち込んで精神的にダメージ受けるよりも、

 

「自分はどう生きたいんだろうか?」

 

って考えた方がよっぽど建設的だと思うんですよね。そっちの方が前向きでいいじゃないですか?そんで「あ、自分はこういう風に生きていきたいんだな。」っていうのが何となく分かれば、それに向かってあれこれ努力したりしてみればいい。

 

そうやって何となくでも自分の生き方みたいなのがわかってきて、その生き方に力を注いでればさ、たぶん死に方とかなんて考えることもなく人生があっという間に過ぎていくんじゃないかな?

 

もちろん人によって多少出来不出来みたいなものはあっても、そうやって自分なりにあれこれやってみたら満足した人生を送れるんじゃないかな?と思うんですよね。

 

満足した人生送れたらまぁ大体悪い死に方はしない気がしません?まぁ、悪い死に方がどういうのかは人によると思うけど、僕は「超絶後悔まみれで死んでいく」っていうのは避けたいから、そうならないように生きれればいいと思う。

 

「悪くない人生だったな。」

 

と笑って死ねればそれでいい。そのために何ができるか、自分がどう生きたいかってことを考える。まぁ、僕は偉そうなことを言えないぐらいまだまだブレブレの人生ですけどね(笑)良い子は真似しちゃいかんよ。

 

最後に

そんなわけで、サラッと書いちゃったけど死に方なんて僕らには決められません。死ぬときは死ぬし、どう死ぬかなんて予想しようがない。だったらちょっとでも自分が関与できる「生き方」を考えてみた方が結果として楽しい人生を過ごせるんじゃないかな?なんてことを思っております。

 

でももしニートの人でさ、自分は死ぬことしか考えられないって人がいるんだったらまずは誰かに相談しよう。多分今は精神的に余裕がなくなっちゃってる時だからさ、まずは休んだり、相談しながらちょっとずつ生き方も考えられるようになればいいんじゃないかな?

 

それでは今回はこの辺で。

最後までご覧いただきありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。