オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

親を殺してやりたいと思うどこかの誰かへ。

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 いつものようにブログの検索ワードを見ていたら、衝撃的な文章が飛び込んできました。

 

「刺し殺してやりたいと思う 親」

 

この文を見た時、一瞬わけが分からなかったんですよね。「えっ?俺親を刺殺したいと思ったことないし!!何でこのワードで検索されたの?」って不思議に思ったんです。

 

そんでちょっと考えたところ、ちょっと前に過去記事でこういう内容の記事を書いたのを思い出したんですよね。

 

参考記事:親と不仲なら無理に歩み寄らなくてもいいんじゃないかと思う。 - ニート気質な僕の生きる道

 

どういう内容かというと「婚約者と一緒に実家に帰省していた息子が父親と口論したすえに刺殺してしまった」という事件について、「親子だからといって必ずしも仲がいいわけじゃないし、無理に歩み寄ろうとしなくてもいいんじゃないかな?」ということを書いたんです。

 

たぶん先述したキーワード検索で来てくれた方は↑の記事を見て僕のブログに来てくれたんじゃないでしょうか?

 

記事にも書いてある通り、僕の考えは明確で「親子だからといって必ずしも仲良くする必要はないし、わかりあえることもない。」ってことです。

 

そんで、今回さらに付け加えたいのは

 

「殺したいぐらい憎いなら、親から離れよう。」

 

ってことです。

 

「親と仲良くしなければならない。」「家族はみんな分かり合える。」なんていうのは理想だけど、実際にそうはいきません。今も昔も親子間の争いは普通にあるし、事件化するようなケースもありますよね。

 

そういう親子間の事件を見ていて思うのは「距離が近すぎる。」って事が原因の一つなんじゃないかな?なんて僕は思うんです。物理的にも精神的にもね。

 

一緒にすんでいたりして距離が近いとなんだかんだで相手のことが気にしちゃうものじゃないですか?仲良けりゃ問題はないけどそれが憎い相手だとしたらどうでしょうか?「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃないけど、目に映る相手の一挙手一投足まで目について憎しみは増すばかりだと思うんですよ。

 

そうならないためには「憎い相手が目に映らないようにする」ことが必要だと思うんです。気が合わないとか仲良くない親子なら近くにいる必要なんてないと思うんですよ。きっと相手の姿が目に映るだけでいやなんだろうから、その場合どっちかが引っ越すなりなんなりして、物理的に距離をおく。

 

ふだん憎いと思っている相手が目の前からいなくなったらどうでしょうか?それでもずーっとその人のこと憎いと思いますかね?相手が海外に行っちゃったら?極端なこと言えば宇宙にでも行っちゃったとしたらその人のことを追いかけてまで殺したいと思いますか?

 

きっと憎い相手が目に映らなくなればその人のことを思い出すこともなくなるだろうし、自然と「殺してやりたい」と思う気持ちも薄れるんじゃないかな?目の前にいるから意識もするし、憎さが増して殺してやりたいとも思ってしまう。目の前にいもしないのにずーっと「殺してやりたい。」と思い続けるなんて不可能でしょ?だから距離をおくのが一番なんじゃないかな?

 

憎い相手を殺すことで得られるものは?

仮に親を殺してやりたいほど憎いとして、その人がどういう理由で親を殺してやりたいのか僕にはわかりません。個々の事情があるのでしょう。他人からしたら些細なことかもしれないし、あるいは虐待をしたりもっとひどいことをする親なのかもしれない。

 

とはいえ人を殺すというのは相手の権利を根こそぎ奪ってしまうということです。たとえどんなに憎い相手であろうとも、僕たちに相手の人生の全てを奪う権利はありません。

 

また日本には死刑制度はありますが、僕たち個人が相手の命を奪ってもいいという法律はないのです。(あったとしても復讐で人を殺せる世界は相当殺伐としてくると思う)

 

つまり人を殺せば罪に問われる。憎い相手を殺して目の前から消したとしてもあなた自身は刑務所の中に入って長く不自由な生活を強いられるわけです。場合によっては死刑判決を受けて命を奪われることもある。

 

時間は有限なわけで、誰にとっても大事なものです。その貴重な時間を刑務所で過ごす日々に費やすことになってしまう。その間にできることは沢山あるでしょう。その機会を奪われてしまう。そうまでして相手を殺して得られるものっていったい何でしょうか?たとえ憎い相手を殺したとしても、今度はあなたの人生をものすごく不自由な中で生きなければならない。僕にはそのメリットって何もないんじゃないか?と思うわけです。

 

「いやっ、人を殺したいと思うときにそんな冷静になれないよ!!」

 

と思うかもしれません。人には感情というものがあるし、とっさにカッとなってしまうこともある。だからそういう反論があるのもよくわかります。

 

でもそれは相手がすぐそばにいる、相手のことを意識してしまうからそうなってしまうのではないでしょうか?憎い相手がすぐ近くにいるからこそ感情がコントロールできなくなってしまう。

 

だからこそ相手を意識しないでも済むぐらい距離をおいて、憎いという気持ちや殺したいと思わないようにすることが大事だし、意識しないようにする憎いという感情を薄れさせていくことが大事なんじゃないかなと思うわけです。

 

距離をおくことで感情が爆発するのを防ぐこともできる気がするんです。

 

距離をおくのって難しくない?

ここで考えたいのは、「まだ生活能力もない子供が親から距離をおくって難しくない?」ってことです。

 

確かにまだお金も稼げないような子供が親から距離をとるのは自力では難しいと思います。でも方法がまったくないわけじゃないと思うんですよね。人の力だったり行政の力を借りればいい。

 

もしその子が他の親戚、例えば祖父母とかとある程度関係性があって相手に受け入れる余裕があるのであれば祖父母の家に避難するというのも一つの手でしょう。

 

あるいは、その子が日常的に虐待を受けていたとしたら学校の先生なり何なりに相談して児童相談所に保護してもらう。これだって距離をおく一つの手です。

 

遠くに住む友達が居候させてくれるのなら、しばらくお世話になるのだってありですよね。

 

方法は色々あるだろうし自分だけで思いつかないのなら信頼できる大人、あるいは相談機関のようなものに相談してみるのもいいと思います。

 

それこそ「親が憎くて殺してやりたいぐらいで、もう一緒にいたくない。ぐらいに言えば、相談された相手だってこれは親子を離さなければマズいなと真剣に対策を考えてくれるかもしれません。

 

最後に

今回は「親を殺してやりたいと思うどこかの誰かへ。」というテーマで記事を書きました。

 

言いたいことは主に下の4つ。

  • 親子だからといって仲良くしなくてもいいし、分かり合えるわけでもないってことを認識しよう
  • 殺して得られるメリットなんてない
  • 殺したいぐらいの相手なら距離をおこう
  • 距離をおくための方法はある。人に相談したり行政に相談しよう

 

まぁものすごく難しい問題だし「ほんとに親が憎くて憎くてどうしようもない。」って人には届かないのかもしれないなんて思います。僕自身はそこまで親を憎いと思ったこともないし、他人事と言えばそれまでなのかもしれない。

 

親から虐待を受けている子供がいたら「親を殺してやりたい。」と思うかもしれません。でもその時あなたがするべき事は親を殺すことではなく一刻も早く親から離れる事、逃げることを選択するべきです。

 

本当に殺してしまいたいと思っている人にこのブログが届くかどうかはわかりませんが、もし冷静になれる機会があるのだとしたら参考にしてもらえるといいなと思っています。

 

「あなたが幸せになる方法は誰かを殺す事じゃない。」

 

僕はそう思っています。

 

それでは今回はこの辺で。

最後間ご覧いただきありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。