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日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

聖なるあきらめが人を成熟させるという本を読んだのでその感想を書いてみる

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もう11月も中盤ですね。このままあっという間に年末か。来年の自分は何をしているんだろうか??なんてことを考える今日この頃であります。

 

今週はやたらと本を読んでおりまして、またまた本を紹介させていただきますね。それがこちら!!

 著者の鈴木さんは東大の大学院を卒業後スタンフォード大学などでも教鞭をとり、現在は聖心会でシスターをされている方です。

 

さて、この本シンプルに言ってしまえば

 

「物事をあきらめましょう」という本です。

 

 「何、それは?夢も希望もないやん」と思ったそこのあなた慌てずもう少しお読みください(>_<)

 

ここでいうあきらめるとは単に『人生を諦める』とかそういった意味でのあきらめではございません。筆者は「聖なるあきらめ」と言っていますが、本書ではこの「聖なるあきらめ」を次の2つからなると言っています。

 

1つは物事に執着しない「諦め」

もう1つは物事を明らかにする「明らめ」

 

この2つの「あきらめ」を大切にすると人生はうまくいくということを本書では言っております。

 

諦めとか明らめか。凄くうまい言い回しですよね。諦めるっていう言葉は普段よく見聞きするけど、明らめるっていうのはあんまり使うことないよなーなんて読みながら思いましたね。

 

実際本書の中では、この2つの「あきらめ」によって、物凄い苦しい境遇の人が人生を前向きにとらえることが出来たりといったエピソードが沢山出てきます。

 

特に印象的だったのが、ご主人を交通事故で亡くした1か月後あの『東日本大震災』で一人息子を亡くした女性の話。

 

短期間で家族を2人も亡くし、一人ぼっちになってしまった女性。絶望に襲われ人生が嫌になってしまってもし方がありませんよね??でも、この女性は今、『震災で親を失った子供たちをお世話する活動』をしているそうです。

 

自分だって家族を亡くしている。本来ならこの女性もお世話される側になってもおかしくないはずですよね??何故そんなことが出来るのか??女性はこう答えています。

 

「全てを良い意味で、諦めました。」

引用:「聖なるあきらめ」が人を成熟させる 著者 鈴木秀子 アスコム

 

おそらく、家族全員を失ったこの女性は落ち込み、悲しみ絶望したでしょう。

「どうして自分だけが生き残ってしまったのか??」

そんな後悔の念に

 

しかも、悔やまれるのが震災当日の事。以下本書の内容をもとに書いていきます。

 

息子さんはその日風邪で学校を休んでいて自宅で寝ていたそうです。そこで地震が発生。地震の後津波が来ることを知った女性は、一階で寝ている息子さんに「あなたの一番大事なものを一つだけ持ってすぐに玄関に出て!」と指示したそうです。

指示した女性は風邪をひいている息子さんが、これ以上体調を崩さないために息子さんのジャケットを取りに2階に上がります。その時に息子さんはこう言います。

 

「お母さん、僕の一番大事なもの、持ったよ!」

 

階段越しに女性が見たのは、1か月前に亡くなったご主人の遺影を持った息子さんの姿。

その直後。家全体を津波に襲われてしまい、女性は2階で気絶をしてしまいます。目が覚めると息子さんは津波に流されてしまい、そのまま帰ってこなかったのです。

 

僕はこの話を読んだ時に、思わず涙を流していしまいました。まさか息子さんのジャケットを取りに行った女性が助かり、その息子さんを失うなんて。しかも、女性は震災のほんの少し前にご主人もなくされています。

 

同じ立場になったのなら誰でも絶望するでしょう。落ち込んで自暴自棄になったところで誰も責める権利などありません。それほど、つらい出来事だと思います。そんな女性に筆者は問いかけます。

 

「なぜ、そのように前向きに考えることが出来るのですか?」

女性はこう答えます。

「だって現実だから。現実を受け入れて帰ってこないものはあきらめないとしょうがないでしょう。私は夫とも別れ、息子も失いました。苦しいのは当たり前です。けれどもどんなに苦しくても、私自身はこれからずっと、生き続けていかなければならないのです」

 

ご主人と息子さんを失った女性が発した言葉とは僕はとても思えませんでした。「死にたい」と思ってもおかしくない状況です。僕が同じ立場ならとてもこんな風に前向きな言葉を発することなどできないんじゃないかと思います。とても力強い言葉です。

 

さらに、女性は続けます。

「過去に執着し続けるのではなく、過去からいいものだけ、よい思い出だけを選び出して、それを生きるよすがとしてつなげていく。そうやってきたから、私は何とか生き続けてこられたのかもしれません」

 

過去に執着しない。すなわち「諦める」事を女性は実践されています。僕なら人生を「諦めてしまうかもしれない」そう思ってしまうほどの出来事です。僕には女性の悲しみを想像しても想像しきることが出来ません。

 

おそらくこの女性もすぐに切り替えられたわけではないでしょう。きっと長く苦しみ抜いて、様々な出会いや助けがあってその境地まで到達できたのだと思います。

 

そして、女性は現実を受け止めています。つまり自分の現状がどうなのかを「明らめる」ことで、これから自分がどうするべきなのかを見つけることが出来たのです。それが『震災で親を失った子供を達をお世話する会』の活動に繋がっていったのでしょう。

 

このエピソードだけでも十分この本の主旨は伝わるのですが、他にも「聖なるあきらめ」によって人生が前向きになった人の話が沢山出てきます。

 

この本を読みながら「過去に執着したり、自分の現実から目を背けがち」な自分がいる事に改めて気づきました。僕はついつい、昔の自分と今の自分を比べてしまいがちですし、現実というものから目を背けがちな人間だなーと感じています。

 

基本的に『変えられないもの』に執着しても自分が苦しいだけなんですよね。自分の過去だったり、自分以外の他人だったりっていうものに対して執着しない!いかに『諦められるか』それが大事なんじゃないでしょうか??僕もいい加減に、過去に執着するのは止めよう。

 

そんな自分の現状を『明らか』にしてくれたので、読んでよかったなーと思っております。いい気づきを得られましたね(^^

 

興味がある方はぜひ読んでみてください!!

最後までご覧いただきありがとうございました!

次回もよろしくお願いいたします!