オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

社会から孤立し絶望状態にあるときにどうすればいいのかを考えてみた。

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これは今の話ではなくて、8年ぐらい前の話。

 

当時の僕は大学を卒業して半分ひきこもりのような生活を送っていた。

当時の僕はほんとに視野が狭くて、しかも今よりも若い20代前半だったのにやたらと自分の人生に絶望していた気がする。本当はそんな事はないのに。

 

「俺はもうおしまいだ。」

 

こんな考えに一時期捉われていたことがある。周りと比較して出遅れてしまっている自分。周りはなんだか輝いているように見える。社会は動いている中で自分だけ取り残されてしまっているそんな感覚。

 

どうにかしたいけどどうにもできない。動けない。自信がない。恐ろしい。俺はダメだ。自己否定を繰り返す。ますます自分はダメに思えて周りはうまくいっているように見えてくるのだ。

 

そんな事をずーっと思っていると時々こんな考えが頭をよぎったりもした。

 

「こんな世界もう消えてしまえ!!」

 

自分がうまくいかない世界。自分だけが取り残された世界。自分が何もできない世界。こんな世界ならなくなってしまえばいい。滅びてしまえばいいんだ。本気とまではいかないまでもそんなことを考える事もあった。まぁ、僕の場合は幸いそんな状態でも付き合ってくれる友達がいたから助かった。本当に彼らには感謝をしている。

 

人によってはそれがいきすぎると「戦争待望論」にまで発展する事もあるようだ。

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戦争が起きることで国が乱れて、今まで築かれてきた地位がいったん白紙に戻る。うまくいっていない自分も、うまくいっている人も同じ位置に収まる。物凄く出遅れてしまった自分の人生を再スタートさせることが出来る。誰もがゼロからのスタート。今度こそ自分の人生をいいものに出来るのだ。そんな思想に捉われる人もいるらしい。まぁ、自分が戦争で死んじゃうかもしれないんだけどね。

 

この考えは飛躍しているにせよ、根底には「社会から孤立している」と言う考えがあるように思う。

 

自分がいない社会、自分は輝けない社会だからそんな社会なんてぶっ壊れちまえ!!そんな社会なんてなくなってしまえ!!と思ってしまう。自分がいない社会なんてどうでもいいのだ。でも思っているだけならまだいいかもしれない。

 

時にそういった疎外感や絶望感、激しい憎しみは凶悪な刃となって社会に襲い掛かることもある。以前僕が読んだ『ドキュメント死刑囚』という本に登場した犯罪者たちはまさにそうだと思う。彼らは社会から孤立し疎外感を強めていった人たちだった。だからといって彼らが起こした事件について許されるはずもないが。


参考記事:死刑囚は何を考えているのかを知るために ドキュメント死刑囚という本を読んでみました。 - ニート気質な僕の生きる道

 

僕も、あのままずーっとひきこもり続けて社会からの孤立感や絶望感を強めていったならどうなっていただろうかと考えることがある。僕を気にかけてくれる友達がいなかったらどうなっていたのだろうか?人を殺したり社会に復讐するなんて事は考えないかもしれない。でももしかしたら「自分を殺していたかもしれない」そんなことを考えてしまったりもする。

 

それぐらい孤立感とか孤独感はしんどいものだ。「人間は社会的動物である」なんて言葉があるが、やっぱり社会で生きているうえで社会からはじかれてしまっている感覚というのはネガティブな感情を生み出す気がする。

 

「その社会から自分を消すか、それともその社会自体を否定するか。」

 

自分を消すことは自分を殺すこと、社会を否定する事は、社会を攻撃する事、他人を攻撃したりすることだと思う。自分か他人か。どっちを否定するのか。その違いしかないようにも思う。

 

社会とつながろう

どちらにせよ「社会から孤独しないようにすること」っていうのが大切だと思う。それは繋がりを作るとかそういう事にもつながるんじゃないだろうか。

 

たとえ引きこもっていても貧乏であっても仕事がなくてもうまくいかないことがあっても誰かとつながっていれという実感があれば孤独感は和らぐだろう。繋がりは憎しみや怒りにブレーキをかけてくれることもあると思う。

 

貧乏でも楽しそうにしている人がいたりする。その人の場合元来からの気質なのかもしれないが、同じような仲間がいるというのもあるんじゃないだろうか?周りにそういう人がいれば貧乏だけど楽しいみたいな感じにもなるんじゃないかな。

 

そういえば先日、知り合った就活中の方もこんなことを言っていた。

 

「なかなか同じ立場の人と一緒になるような場所がないんですよね。そういう場所があればいいなと思うんですが。」

 

確かに会社とか組織に属していない人は孤独になりがちだ。ひとりひとりで頑張ることも大切だけど時にはそういう物同士で励ましあうとか支えあうみたいな場所もあるといいんじゃないかと思う。またたとえ組織に属していたとしてもその組織になじめない人もいるだろう。そういう人がその組織以外の場所で輝ける。そういうところが今の社会には足りていないようにも思う。あくまで感覚でしかないが。

 

色々な人や色々な立場の人同士が繋がり、寂しさや孤独感を埋めることが出来れば悲しい出来事はもう少し減らせるような気がする。全てを減らすことは無理かもしれないが、それでも効果はあると思う。行政やNPO、民間団体などもそういう居場所とか繋がれるような場所をたくさん作るといいと思う。

 

ただ、待っていても社会とは繋がれないから自分からも繋がりを求めるのも大事だと思う。今はスマホやPCで比較的簡単に人とも繋がれるようになった。同じように孤独感を抱えている人がネット越しに見つかるかもしれない。

 

同じ孤独を抱えたもの同士がつながり、理解し共感しあう事で孤独感というものを薄めることも出来ると思う。

 

そんな事をあれこれ考えていたらあっという間に数時間が経ってしまった。長くなったのでそろそろPCを閉じる事にする。居場所づくりとか繋がりという部分については今後も考えていきたい。個人の充実が社会の充実に繋がる。そんな事を思っている。