オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

努力至上主義について考えてみる。

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SNSなど見ていると、うまくいかないことを嘆いたりしている人に、「それは努力が足りないからだ!」という言葉を投げつけている人を見かけたりします。そういう人の思考には「努力で全て解決できる」といういわゆる「努力至上主義」的な考えがあるのでしょう。

 

そもそも、僕なんかの場合、他者がどれだけ努力したかを赤の他人がどうして分かるんだろう?という素朴な疑問が浮かびます。まぁ、それは置いておいてそもそも「努力をすれば全て解決できる!だから上手くいってないのは努力不足だ!」というのが本当なのかなと思っちゃいます。

 

まぁ、確かに僕なんかもガシガシ努力をしている人を見ると「自分も頑張んなきゃなー」なんて思ったりもするし、努力自体を否定するつもりは毛頭ありません。ただ、努力すりゃいい、結果が出ないのは努力不足だからだ!という努力至上主義、あるいは努力万能主義的な考えには賛同できないんですよね。

 

極端な話ですがそれなら皆、努力をすれば世界的なサッカー選手であるリオネル・メッシになれるのでしょうか。あるいは大谷翔平になれるのでしょうか?結構当たり前のように浮かんでくる疑問だと思うし、それに自信を持ってイエスと答えられる人がどれぐらいいるかって話ですよね。僕はノーだと思うし「努力で何でも解決できる」というのは違うんじゃないかと思うわけです。

実力も運のうち?

僕が努力至上主義について考える上で参考にしたのが、ハーバード大学で哲学を教えるマイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という本です。

 

 

 

この本でサンデルは能力主義の弊害や、そもそも努力と才能で誰でも成功できるって本当?その成果って本当に自分だけのおかげなの?といった疑問を投げかけています。

 

僕たちの社会は能力で肩書きや地位、収入などが変わる能力主義の社会と言っていいでしょう。これ自体はいいことだと思います。かつてのように武士や貴族、あるいは農家に生まれたかどうかで人生がある程度決まってしまうとか、性差によって左右されるような社会に比べれば「能力によって決まる」社会の方が平等に感じるのは間違いないでしょう。まだ、完全に平等とはいきませんが。

 

親の所得が高いといい大学に入りやすい?

では、今の社会で活躍できる能力とはいったいどういうものが考えられるでしょうか。代表的なものを挙げるとすれば「学力」です。学歴信仰はだいぶ薄れてきたとはいえ、学力の高い人は学歴の高い学校に入り、条件のいい就職先に入って、収入や地位を向上させていくというのは、ある程度納得できるものだと思います。

 

でも、その学力って本当に本人の努力だけで得られたものなのでしょうか?確かに、本人が勉強しなければ学力は伸びません。全く受験勉強しないで難関大学に合格する人はほとんどいませんよね。努力したのは間違いない。でも、実際学歴の高い人の親の年収なんかを見てみるとかなり年収が高い人が多かったりします。マイケル・サンデルの本にもこんな風に書かれています。

 

これでは、アイビーリーグの学生の三分の二あまりが、所得規模で上位二〇%の家庭の出身なのも当然だ。プリンストン大学とイェール大学では、国全体の上位一%出身の学生のほうが、下位六〇%出身の学生よりも多い。

参考:『実力も運のうち 能力主義は正義か』マイケル・サンデル、早川書房(2021)

 

これはアメリカの例ですが、日本でも東大の学生の親の年収について言及している記事があるので引用します。

 

東大学生委員会が21年3月に実施した学生生活実態調査によると、「東大生を支える世帯年収」が1050万円以上と答えた学生は42.5%に上る(学部生全員が対象の調査。回答者は東大生の12.6%にあたる約1700人。そのうち「わからない」と回答した学生を除く)。データからも、東大には経済的に恵まれた家庭出身の学生が多いことがわかる。

引用元:東大生の親の年収「1000万円以上」が40%超、世帯収入が高い家庭出身の学生が多い理由 | from AERAdot. | ダイヤモンド・オンライン

 

記事を見てみるとなかなか興味深いです。1050万円以上の世帯年収が42.5%。950万以上1050万未満が11.4%。750万以上950万未満が16.9%。450万以上750万未満が15.2%。450万未満が14.0%。ちなみに日本の2021年の平均年収は445万3,314円だそうです。単純に計算すると、東大生のおよそ85%以上が平均年収以上の家庭出身ということになります。

 

もちろん、平均年収以下であっても東大に受かる人はいます。それは本人の努力の賜物なのかもしれません。何度もいいますが、そういう人の努力を否定するものではありません。でも、数字をみてみると、東大生の多くがある程度お金がある家で育っているのがわかります。

 

親の年収が高いとなぜ東大に入りやすいのでしょうか。何となく想像はつきますよね。まず勉強をする環境が整います。塾の費用を出してもらえたり、受験に定評のある学校への入学もサポートをしてもらいやすくなるでしょう。本人が勉強はできても、優秀な塾の講師の教えがなければ思ったように成績が伸びない可能性もありますからね。また、そうした環境にいる人たちは勉強への意識が高かったりしますから、彼らの姿を見て、「自分もやらねば」とやる気をもらえることもあるでしょう。

 

あるいは、もっと身近なところで考えれば食事もそう。お金に余裕があれば普段から栄養のつく食べ物が食卓に並んでいたりもします。お腹が減ってたら勉強どころじゃありませんし、ジャンクフードだらけの食事が発育に良くないのは何となくわかりますね。また、高い文化資本に当たり前のように触れられている可能性もあります。親自身が学歴高くて交流する人たちも社会的に高い地位にいたりとか、当たり前のように本棚があってズラーっと本が並んでたりとかね。そこから学問に興味が出て勉強に励むということにも繋がるわけです。

それ、あなたの努力だけで得たものですか?

でも、今挙げたものって果たして本人の努力によって得たものでしょうか?違いますよね。努力をしたのは本人ですが、努力を始めるきっかけや、努力を続けられる環境は、自分の努力ではなく誰かから与えられたものかもしれません。

 

努力至上主義の人の考えで賛同できないのは、そうした自分以外の誰かから与えられたものを無視して「自分は自分の努力だけで道を切り開いてきた。だから、努力でどうにかなるし、努力しないのはおかしい。今不遇なのはあなたの努力が足りないからだ」というロジックを立ててしまいがちなところです。そうして、他者を努力不足と決めつけ見下したりする。マイケル・サンデルはそういうところに疑問を呈していますし、僕もそれは違うのではと思うわけです。

 

ちなみに、才能に関してもそうですよね。今この社会で活かせているその才能。確かにその才能を育てたのは努力かもしれない。でも、その才能は一体どこからきたんでしょう?自分の努力で手に入れたものですか?もっと踏み込めば、その才能が評価されるものなのは自分の努力のおかげでしょうか?違いますよね?

 

その才能が評価されるのはたまたま、現代という社会においてその才能を評価してくれる市場や人々がいたからだったりします。つまり社会がお膳立てしてくれるものが確実にあるよねってことです。そういうのも含めてサンデルは「実力も運のうちじゃない?」と言ってるわけです。僕はこれに激しく同意します。

 

遺伝と環境で結構決まる?

マイケル・サンデルの話でも十分かなぁとも思うのですが、もうちょい踏み込んだ内容を書いていきます。それは「遺伝と環境」についてです。遺伝や環境といった生まれが全てか、はたまたそれを打ち破る努力か。この議論は結構色々なところでされていて、意見も人それぞれだと思います。そこに踏み込んだ主張をされているのが、行動遺伝学などを専門とされている安藤寿康さんです。

 

 

 

↑の本は、安藤さんが遺伝や才能について僕たちが普段「これってどうなの?」と思うことをQ&A方式で答えているものですが、この本からも努力至上主義について考える際に参考になることが山ほどあります。自分や他人の才能をどうすれば伸ばせるか、どこまでが遺伝や環境の影響なのかなど知りたい人にもオススメです。で、筆者の安藤さんはズバリ「生まれが9割である」という主張されているわけです。

 

生まれとは遺伝と家庭環境(共有環境)の合わさったものですが、知的能力や学力などは、その両方を足し合わせると8割から9割になります。そしてそのいずれも本人にとってはガチャ、子供自身の意志ではどうしようもない偶然です。さらに生まれに帰すことのできないもの、たまたま遭遇する偶然の出来事もまさにガチャ、自分の意志や教育、政策でコントロールできるのは残りの1割〜2割にすぎません。

引用元:『生まれが9割の世界をどう生きるか』安藤寿康、SBクリエイティブ(2022年)

 

生まれが9割で自分の意志や教育、政策でコントロールできるのは残りの1割〜2割…。つまり自分じゃどうしようもならない運が多くを占めるというわけです。運というキーワードはマイケル・サンデルとも共通してますね。

 

僕らは大谷翔平になれるか?

ただ、何が遺伝の影響を大きく受けて何が環境の影響を大きく受けるのかはそれぞれ違います。遺伝の影響がとても強いものもあれば、環境の影響である程度変えられるものもあります。例えば身長(15歳時)は安藤さんの本によると大体0.9程度。1に近いほど強い相関関係があるので、身長はほぼ遺伝によって決まるというわけですね。

 

で、またまた大谷翔平選手の名前を出します。まぁ、わかりやすいんでお許しを。前にSNSが何かで「大谷選手ぐらい努力すれば誰だって同じぐらいの成果を出せるんだよ」みたいなことを言ってた人がいたんですよね。うろ覚えですが、そんなニュアンスのことを言っていた気がします。でも冷静に考えてくれ!大谷選手ってまず身長193センチあるんですよ。日本人男子の平均身長って確か171センチぐらいなんですよね。大谷選手は平均より20センチ以上デカい。そこからしてまず規格外じゃないですか。

 

ちなみに大谷選手のお父さんは元社会人野球の選手で身長は182センチ。お母さんはバドミントンの選手で身長は170センチ。どっちも平均身長からすればかなりデカいです。その2人の遺伝が最大限に表れたのが大谷選手と言ってもいいんじゃないでしょうか。お兄さんも187ぐらいあるみたいなんで、遺伝の影響ってデカいですよね。

 

で、仮にちっちゃいおじさんの僕が(身長160台半ば)大谷選手と同じ努力して、大谷選手のような結果出ますかね?160キロ投げれるかと言われるとかなり難しいでしょう。あの豪快なホームランを打てるかどうか。手足の長さも筋量も何もかもが違うわけです。これ、努力でどうにかせよっていうのが無理筋って感覚的にもわかると思うんです。大谷選手はまず身長という部分で遺伝ガチャが当たったと言えるでしょう。

 

それに加えて環境です。確かに大谷選手の才能は数多いる野球選手の中でも群を抜いてるかもしれませんが、環境がミスマッチだったらどうでしょうか。例えば、大谷選手の生まれた場所に野球チームがなかったら?お父さんが野球をしてなかったら?野球の代わりにバレーボールのチームに入ってたら?(バレーはあくまで一例として挙げてます)大谷選手の運動能力ならそれでもいい選手にはなれそうですが、今のメジャーリーガー大谷のようにバレーの世界でトップレベルの選手になっていたでしょうか。大谷選手は大柄ですが、バレーボールは2メートル越えの選手も多いですし、求められる運動能力も違います。

 

また、バレーなど別のスポーツを選んでいたら今のような評価や報酬を得られているかもわかりません。このブログを書いている2023年4月の時点で大谷選手の活躍は、ほぼ毎日のように日本のニュースで取り上げられています。こうした注目のされ方や得られる報酬はおそらく日本でもアメリカでも、バレーより野球の方が大きいでしょう。これは人々の注目度や人気、あとは市場規模がデカかったりするからですね。これは別に大谷選手がどうこうの話ではなく、社会がそうなっているからにすぎません。バレーと野球はどちらもスポーツですし、そこに優劣なんてものはないわけです。でも、評価や得られる報酬のレベルが選ぶスポーツで違ってきちゃうわけです。

 

そう考えると今僕らが見ているメジャーリーガーの大谷翔平という存在は、遺伝ガチャと環境ガチャが見事に噛み合い、さらに本人の努力の方向性もある程度正しくそれを継続できて、市場があって、べらぼうな評価や報酬が得られているという、言ってしまえば超レアケースなわけですね。つまり遺伝、環境、努力の全てが噛み合わなければ大谷選手みたいにはなれないんです。

 

そもそも努力だけで何でも解決できるなら、努力至上主義の人はその分野で世界一になっていないとおかしい。世界一ではなくても世界トップクラスにはなれるでしょう。でも、現実はそうじゃない。努力で解決できるものや超えられるものもあるけど、そうじゃないものも確実にある。それを無視して「努力で全て解決できる!」と言うのは、それこそ現実を見ていないんじゃないかと思います。

 

また仮に、自分ができたとしてもそれは他人には当てはまらない可能性もあると考えた方がいい。なぜなら、多くは遺伝や環境によるものだから。同じ人間は1人としていません。遺伝も環境も違う中で「自分ができたから他人もできるはずだ」という考えは疑った方がいいでしょう。

 

ちなみに「環境を整えれば結果が出る」というのもよく言われることですが、安藤さんはその環境からどういう影響を受けるかも遺伝によると言います。つまり、僕が大谷選手と同じ環境で育ったとしても、同じような結果が出るとは限らないわけです。どこまでいっても遺伝の影響がついてくるってことです。

 

そもそも、同じ環境を用意するのはまず不可能です。瞬間的には同じ環境を再現できたとしても、その後、いつどこでどんな人や本に出会いどんな言葉をかけられたかといったことまで再現はできないでしょう。そういう点で、環境も偶然によるものがデカい。つまり、運でありガチャであるというわけです。

 

でも努力は無駄じゃない!

ここまで読んでもらった人の中には、「なんだよ。多くが遺伝とか環境で決まっちゃうんじゃ努力なんてしても無駄じゃね?」って思うかもしれません。でも、これも大事なので言っておくと「努力は決して無駄じゃない」です。ただ、万能でもないし何でも解決できるわけではないというだけの話なんですね。

 

努力で得られるものも多い

なぜ努力が無駄じゃないかは、多くの人が感覚的にはわかっていると思います。まず、ある分野についてどんなに才能があっても、努力をしなければ才能が開花することはありませんよね。子供の頃からジャンクフードばっか食べてて、朝から晩まで食っちゃねの日々だったら、メジャーリーガー大谷翔平はいません。これはもう当たり前っちゃ当たり前のことです。

 

また、努力することで自分の限界であったり向き不向きというものも見えてきます。やってみなくちゃわからないとはまさにそうで、頭の中でゴチャゴチャ考えているだけでは、自分の才能は見つかりません。現時点でピンとくるものがないのであれば、あれこれ試してみるというのも大事になってきます。

 

安藤さんは「やりたいと感じることも才能」と言っています。何かをやっていくうちに、もしそういうものに出会えたなら、ラッキーと思って努力を続けてみる。その分野でトップにはなれないかもしれないけれど、努力することでその分野に詳しくなったり、教え方がうまくなったりするなど、別の道や活かし方も見えてくるかもしれません。

 

あと、さんざん大谷選手を例に挙げといてなんですが「僕らは大谷翔平を目指す必要はない」とも思います。いやっ、目指すのは自由だけどおそらく99%は大谷選手のようにはなれないでしょう。繰り返しますが彼は超レアケースです。

 

でも、人には大谷選手ほどではないにせよ、それぞれ得意なことや、好きなこと、他人はできないけどなぜかできてしまうということがあるはずです。それを大切にしていけばいいのではないでしょうか。そういうものを見つけて人から求められたり、役に立ったり、自分自身が上達する喜びを得られるのだとしたら、それはそれで素晴らしいと思います。

 

まぁ、それでも大谷選手みたいな圧倒的なものがほしいなぁと思ってしまうけどね。こればっかりは本当に運としか言いようがないです。

 

最後に

かなり長くなってしまいましたが、最後に僕の考えをまとめると「遺伝や環境の影響がデカいから努力で何でも解決できるのは違う」というのと、「でも努力は無駄じゃないから色々やってみよう」というものになります。

 

努力の大切さを認めることに異論はないですが、行き過ぎた努力至上主義、努力万能主義みたいなものを僕は明確に否定します。これまでにも散々書いてきましたが、多くの部分は運が左右します。努力しようと思えて実際に努力が出来て、その努力が続けられる環境があって、さらにその努力で開花した才能が、社会や市場から評価されるかどうかだって運が大きかったりするわけです。

 

だから、自分ができたから他人もできるに違いないとか、自分は全て努力で勝ち取ったのだから、他人が不遇なのは努力不足だからだという考えはとても傲慢だなと思います。努力は実に多くの偶然や誰かからの助けで成り立っています。ましてや、それで他人を冷笑している人を見たりするととてもイラッとします。他者の人生をそう軽々しく努力不足だなんて断定するもんじゃないですよ。その人がどんな人生を送ってきたのかなんて何も知らんのですから。仮に努力不足だとしても、じゃあ、その人はどこの部分が足りないか、どうすれば次の一歩を踏み出せるか考えればいいだけで、その人のことを笑ったりバカにして傷つける必要はないわけです。

 

逆に他人ができて自分がなかなかできないことを「アンタの努力不足だからだよ(笑)」なんて言われたら不愉快でしょう。立場を変えた時にどう感じるかを想像する。それは相手のことを軽々しくバカにしないためにも大切なことだと思います。

 

ただ、努力好きな人の努力してみようという提案にも一理あります。何もしないのでは、何もわからないしそれはそれでもったいない。だからちょっとお試しで色々やってみましょうというのが僕の考えです。努力は万能ではないし報われないこともあるけど、無駄ではないよというスタンスです。

 

まぁ、でも努力を続けるのってなかなか難しいんですよね。人は変化を嫌うのが当たり前だし、過去になかなか努力が続かなかったり、良い結果が出なかった人が次の一歩を踏み出せないのもよくわかるんです。僕なんかも不安が強くてなかなか動けない時期がありますし。そういう「わかってるけどなかなか動けないんだ」という不安や焦燥感はなかなかしんどいものがあります。それを外から簡単に努力不足とか、もっと努力しろよなんて言ってくれるなと。

 

なので、僕はそういうなかなか動けない人に対しては「本当に小さな一歩でいい」とこのブログとかでも繰り返しお伝えしています。いきなり大きく踏み出すなんて不安が強くなり過ぎて難しい。だから、ほんのちょっとです。おそるおそるで構わないし、もしかしたら自分でも笑ってしまうぐらい小さな一歩かもしれない。それでもいいんです。その一歩は、後の大きな変化につながるかもしれない大切な一歩だと思います。

 

参考書籍、サイト

東大生の親の年収「1000万円以上」が40%超、世帯収入が高い家庭出身の学生が多い理由 | from AERAdot. | ダイヤモンド・オンライン

2021年最新情報では、日本の「平均年収」は445万3,314円、「中央値」は396万7,314円 | BizHint(ビズヒント)- クラウド活用と生産性向上の専門サイト

大谷翔平の身長の推移が驚異的!小学生で167cm中学時代 時代は? | Anthology