オバログ

自分の考え、日記、作品などを発表するブログです。オススメの本や記事なども紹介しています。

フォロワーさんたちとF氏を慰めるオフ会をしてきた!

昨日、相互フォロワーのM氏が企画した『F氏を励ます会』に参加してきた。F氏はTwitterで10000人を超えるフォロワーがいるのだが、恋愛相談系の発信をしたところ、ひどい言葉を投げつけられて落ち込んでいるとのことだった。フォロワーが増えると色々な人がくるというのは、わかってはいることだがやはり大変なのだなぁと思う。

 

このオフ会を企画したM氏とは、何度もお会いしていて、メイドカフェや地下アイドルのライブなどにも行った仲である。僕はF氏とは初対面になるが、M氏との繋がりもあって、今回誘ってもらったというわけだ。この会には僕とM氏の他にY氏、D氏、そして今回の主役であるF氏の5人が参加した。

 

舞台は上野。数多くの飲食店、観光客が入り交じる雑多で賑やかな場所である。昼間から酒を飲むことが当たり前の光景として受け入れられていて、個人的に好きな場所だ。この日も店の軒先に並べてあるテーブルで、人々が酒を片手に話を弾ませていた。とにかく飲食店の種類が豊富だし、数も多く見ているだけでも飽きない。お金があればこの近辺に住みたいぐらいだ。

 

 

我々5人は上野駅で軽く顔合わせをしたあと、M氏が予約した『キリンシティ上野店』に向かった。

 

 

普段まず入らないタイプのお店だったので、いい経験になった。

 

席についた僕らはまずはお酒を注文した。そして数分後に乾杯!昼間から飲む酒はやはり悪魔的なうまさだ。

 

喉も潤い、さぁオフ会もいよいよ本番である。今回の主役である話F氏に今の心境を聞いてみると、落ち込んではいたが、今はだいぶ元気になったとのこと。本当に何よりである。

 

F氏はマッチングアプリを利用しているとのことなので、その利用状況などを伺った。マチアプはやはりスペック重視の人が多いので、出会えるのは強者キャラだよねみたいな話をした気がする。見た目、目に見える実績などの数字、肩書。そういったものがどうしても判断基準になってしまう。

 

そして、それはスペックを比較される場に身を置くということでもある。つまり、仮にマッチしたとしても、その後さらにいいスペックの相手が出てきたとしたら、簡単に乗り換えられる可能性もあるということだ。マチアプのおかげで恋愛市場に参加するハードルは下がったかもしれないが、そこは激しい競争が待ち受けるレッドオーシャンである。選ばれるのはなかなか難しい。

 

とはいえF氏はフォロワーも多いし、お話をしてみると穏やかで優しい印象を受ける。実際に会えばいいなと思う人もいるはずだし、実際F氏に会ってみたい人も一定数いるだろう。なのでリアルで会う場を増やそうみたいな結論に落ち着いた。

 

続いて二軒目の『もつ焼き おとんば 御徒町店』へ。おとんばは、上野近辺に来ると結構な頻度で寄っているのだが、何と先月御徒町にも新店舗が出来たとのことで、僕らはそちらに向かった。

 

 

おとんばで僕のお気に入りといえば、『厚切り上タン炙り焼き』である。

 

 

時間帯によっては既に品切れになっていたりもする人気メニューだ。肉厚のタンの上に乗っかったねぎ塩との相性バツグン。食べごたえがあってお酒もグイグイすすんでしまう。おとんばによった際はぜひ注文してほしい。

 

他にも珍しい部位の串焼きやもつ煮など、お酒とのマッチングが素晴らしい料理が揃っている‥

 

いやいや、いつの間にかおとんばのレポートみたいになってしまった。オフ会に話を戻そう。

 

こちらでは僕が以前やったことがある、イベントバーでの経験を伝えて、「F氏もやってみたらいいのでは?」という話になったと思う(メモなどしてないし、記憶は多少あいまい)

 

F氏がバーをやれば、フォロワーの数やコメント数など考えても、お客さんはそれなりにはくるだろう。会わないことには人間関係は深まらない。恋愛であるなら尚更。そういう点で、イベントバーのような、会いに来るきっかけを作るのは有効な手だと思う。

 

F氏もわりと乗り気になってくれたと思うので、そのうち『F氏とおしゃべりしたいバー』などが開催されるかもしれない。僕も時間が合えば参加したいところだ。

 

おとんばで一通り話し終えた後、我々は徒歩で秋葉原に向かった。休日ということもあり、外国の観光客も多く、だいぶ活気が戻ってきている気がした。M氏の習慣であるメイド通りを観察するという習慣に付き添った。ここでY氏とはお別れをし我々は一路、M氏御用達のメイドカフェへ。

 

ここではひたすらまったりした記憶しかないのであまり書くことはない。メイドさんがかわいい。以上!

 

メイドカフェで頼んだケーキ。

 

合計5時間近くに及んだオフ会でだいぶ疲れもたまる中、M氏が秋葉原とは別の場所にあるメイドカフェにも行く予定を宣言し、そのバイタリティというかメイドカフェ好きっぷりには驚かされた。

 

メイドカフェを出て秋葉原駅まで行った後、解散をして各々帰宅した。F氏を慰められたかどうかは分からないが、楽しかったとのことなので、とりあえず良かった。

 

人と会って話を聞くのはやはり楽しいので、またこんな風にオフ会などできたらなと思う。

『画家と泥棒』予想もつかない展開!これぞ予定調和なしのドキュメンタリー!

Amazonプライムにたまたまあったので、リストに入れておいたドキュメンタリー映画『画家と泥棒』。舞台はノルウェーです。ある画家が描いた2枚の絵が2人の泥棒に盗まれます。泥棒は絵の行方を覚えてないと語り、盗まれた絵は見つかりません。その泥棒のうちの1人に対して、肖像画を描きたいと提案する女性の画家と泥棒の男の交流をカメラが追うというものなのですが、これが観ているうちになかなか心を揺さぶられてしまったので、ちょろっと紹介しておきたいと思います。

 

Amazon.co.jp: 画家と泥棒(字幕版)を観る | Prime Video

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山はいい

山はいい。山に入ると、雑音は消え去り聞こえてくるのは、風と虫と鳥と草木が奏でる音だけだ。日頃、いかに様々な音に囲まれているのかに気づく。また、入ってくる情報も少ないからか、頭がスッキリする。

 

山はいい。ここではみんながマイペースだ。自分のペースで山を登りそして下りていく。みんなマイペースだから、誰かと比べたりせず、自然と自分も自分のペースを大切にできる。劣等感や優越感で心が上下動することもない。

 

山はいい。都会では毎日すれ違っても、隣近所でも挨拶がなかったりするのに、ここでは挨拶が当たり前に行われる。声をかけること、声が返ってくることは、いつから難しくなったのだろうか。挨拶にはほんのひと時でも自分の存在を見てくれているという喜びがある。

 

山はいい。ここでは自分で選ぶことができる。どの山を登り、どのルートを歩き、どんな装備を持って、坂道のどこに足を置くのか。選ぶことは疲れるが、選ぶことで人生を実感できる気がする。

 

山はいい。ここでは誰にも笑われない。おっさんフリーターだろうが、おっさん無職だろうが、金がなかろうが、山は何も気にしない。一人の人間がただそこにいることを受け入れてくれる。日頃、窮屈に感じさせるものを一時的に取っ払ってくれる。

 

山はいい。ここでは余計なことは考えずにすむ。いやっ、入る隙間がないと言ったほうがいいだろうか。嫌なことを考える前に、「この坂をどう登ろうか」を考える。岩のどこに足を置くか、一気に行くか、一歩ずつ登るか。目の前には常に課題が設けられ、それをクリアすれば確実にゴールまで向かうことができる。

 

山はいい。ちっぽけな自分の悩みがちっぽけなものだと気づかせてくれる。山頂から見下ろすとことで、俯瞰的な視点を与えてくれる。俯瞰で見ると、とてつもなく大きく重く感じていたものが、大したことないかと思える。

 

山はいい。孤独なひと時は、人といることの喜びを思い出させてくれる。黙々と山道を歩いていた僕は、山の良さを感じるとともに、いつの間にか人との対話を求めていた。そのことに気づけたのは、山のおかげだ。

 

山はいい。こんなボエムを僕に書かせてくれるぐらい色々なことを考えさせてくれた。

 

だから、山はいい。

登山初心者が筑波山を登ってきた!

実は7月に富士山を登る計画があるのですが、僕登山とかとんと縁がなくて、正直登れるかどうか不安でした。じゃあ、ちょっと事前に体力作りなり、道具を整えていこうと思い立ったのが4月頃。そんで、今回ものは試しということで僕の住んでいるところから割と行きやすく、そこまでハードルも高くないとされている筑波山を登ることにしました。今回はその時のことを書いていこうと思います。

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雨のち晴れという言葉について

このブログを書いている日は一日雨だった。雨だなぁと当たり前のことを思いながら、窓の外に映る水溜りを眺めていると、ふと「雨のち晴れ」という言葉が頭に浮かんだ。この言葉を聞いたときに、あなたは何を考えるだろうか。単純に天気のことと思うかもしれない。

 

この言葉は励ましの意味で使われたりする。雨のち晴れ。雨が降っていても、いつか晴れて太陽の光が大地を照らす。今大変な状況やうまくいかない状況でもいずれ良くなる時がくる。色々なアーティストの歌詞にも入っている。僕が好きなMr.Childrenの曲には『雨のち晴れ』なんてタイトルの曲もある。何となくうまくいかない大人の男の悲哀を歌ったいい曲なので、まだ聴いたことがない人は聴いてみてほしい。

 

この言葉の使い方自体に違和感はない。実際、雨が降ればいずれ晴れがくる。異常気象でもない限りいずれ雨雲は去り、太陽の光が差し込む。それを人生にも当てはめる。情景をイメージしやすいし、ポジティブで意味も伝わりやすい。僕もそうだよなと頷けるメッセージだ。

 

でも、僕は天邪鬼なのでふとこんなことを思ってしまう。

 

「この言葉は今とても辛いと思っている他者への想像力を失わせてしまうのではないだろうか。」

 

雨のち晴れのメッセージは確かに正しい。でも、それを使うことで目の前の人の苦しみや悩みを見過ごしてしまうような気がする。どんなに辛くてもいつか良くなるよね。土砂降りの日々はいつまでも続かない。確かに実際にはそうかもしれない。そうかもしれないが、でも今はそうとは思えない人もいる。激しい雨に打たれて心も体も打ちひしがれて、晴れ間なんて期待もできない。そんな人もいるのではないだろうか。

 

そういう人に必要なのは、わかりやすいメッセージではなく「どうしたの?」と声をかけたり、「そもそもなんでこの人はこんなにびしょ濡れなんだろうか?」とか「なぜ、傘をさしていないのか?」と考えることではないか。つまり、相手を気遣い想像することだ。

 

もちろんわかりやすいメッセージは大切だ。その言葉が届いて、誰かを後押ししてくれることもあるだろう。繰り返すが雨のち晴れという言葉やその使い方自体に違和感はない。僕も好きな言葉だ。でも、そのメッセージが届かない人もいる。わかりやすいがゆえに安易にそうした言葉に頼ってしまい、それゆえに他者への想像力を失ったり、他者が発する心の叫びを見過ごしてしまう危険性もあるのではないだろうか。

 

なんだかまとまらないが、日記なのでまとまらないままで書き残す。