オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

11月初投稿!油断するとあっという間に時が過ぎる

 前の投稿から1ヶ月近く経っていた。いつの間にやら11月。 今年も1ヶ月でちょっと終わるなんて‥というコメントを毎年のようにしている気がする。

 

 街を歩くと商業施設の前にクリスマスツリーが設置されていて、イルミネーションで夜の街を彩る景色もちょく​​ちょく見えてきて、今年も残りわずかなんだなぁということを悟る。(雰囲気は好き)

 

11月は色々考えた

 この11月はちゃらんぽらんな僕でもいろいろと考えることがあった。 10月の終わりには衆議院選挙が行われ、自民党と公明党は過半数を割った。 そして、海の向こうのアメリカではトランプ元大統領の再選。そして、このブログを書いている日は、兵庫県知事選の結果が出て、斉藤元知事が勝利を収めたという速報を目にした。

 

 特にトランプ元大統領の再選は驚いた。あれだけの過激な発言をし、人権を軽んじて見える人が当選するのかというのが率直な感想だ。なかなか信じられない出来事だが現実に起きている。

 

 色々な人の分析を見てみると、アメリカの人々の日々の生活や移民問題に対する不満や不安、パレスチナ問題に対する民主党政権の怠慢へのペナルティなど、様々な要素が重なっているようだ。個人的にはトランプ氏の人権軽視や法治国家において遵法精神の薄さなど見ていると、この人が国のトップでいいのかと思ってしまう。 だが、なるほどアメリカ国民の多くが望むのは、目の前の生活に直結する経済や雇用、移民問題に力を発揮しそうな強いリーダーだということなのだろう。

 

 トランプ氏は、自らの権力を存分に使う人物だと思うので正直怖い。憲法があるとはいえ、アメリカの大統領には大きな力が与えられているし、果たしてどこまで抑止力になるのか。その辺りを注視しなければと思う。おそらくその影響はアメリカ国民は当然のこと、世界中に波及し、大きな変化をもたらすだろう。

 

 2025年のアメリカと世界がどうなっていくのか。緊張感を持ちながら見なければいけない。本当にとんでもないことになったもんだ。

 

英語学習継続中! 

 11月も英語学習は継続している。7月から始めて5ヶ月目に突入。やっていることは、単語学習と文、音読による文法や、フレーズ学習など大きく変わってらいない。この期間、英語に接しなかった日は1日もなかったので、その点では自分をちょっとだけ褒めたいところ。

 

 単語に関しては単語帳1冊終わって、今はそれを何度もぐるぐるとやってる感じだ。引き続き単語学習を続けて、一冊をほぼ完璧にしたい。読んで分かるのはもちろんのこと、聴いて意味が分かり、発音もしっかり意味できるところまでまずは目指していく。

 

 前回の投稿でも書いたが、文法に関しては高校1年レベルの基礎的な内容を終えて次の段階に進んでいる。

 

 

 

 

この2冊は古本屋とフリマサイトを活用してゲットした。フリマサイト見てみると、かなり英語の参考書とか、英会話の本とか出品してる人がいるんだよね。 僕の場合、中に書いてさえあれば、いくら外側が汚れていたり、折れ目があっても気にしないので、中古で安く買えるので助かっている。時期によってはクーポンなども使えるので、さらに安く買えるのもありがたい。

 

 まぁ、全て新品で買えれば一番いいんだけどね。ただ僕のように金のないやつは、それだと欲しいなと思う本に手を出しづらくなってしまう。中古だと半額以下で買えることもあって、金欠なら金欠なりのやり方で揃えていっているという感じだ。

 

 単語について学習ペースは悪くはないと思う方、文法についてはどう理解が追いつかず四苦八苦している。きっと何か学習している人の多くが、忘れては頭を抱えてを繰り返しながら頑張っていると思うので、その姿を想像しながら、自分を発奮させるている。

 

 とりあえずの予定は、単語をやりつつ、熟語の学習にも入りたい。文法について、今は項目ごとの学習なので、最終的にはランダム問題集のようなものを活用してもいいかもしれない。アウトプットも増やしたいので、今使っている文法パターンプラクティスの本に加えて、簡単な英会話に特化した本も合わせていきたい。

 

 あと、SNSで教えてもらった英語日記にも取り組みたい。ただ、まずは基礎を固めたからかな。取り組むのはもうちょい先になりそう。

 

 ぶっちゃけ、今のやり方でいいのか常に不安を感じてはいる。スピーキングの練習とかもっと取り入れたほうがいいのかなと思ったりもする。ただ、基礎が固まっていない状態でやっても頭打ちになるので、とりあえずこの形での学習を継続していくつもり。

 

終わりに

 とりあえず前の投稿から、最近までのことを振り返ってみた。 僕自身はちょっと変わって映えない日々を振り返ってきたけど、社会の大きな動きを目にして、かなり心がざわついた日々だった。

 

 ぶっちゃけ、今後の社会にも自分にも不安はあるが、今後も社会がどうなるか注目しつつ、前を向いてやっていくしかない。

英語再学習をし始めてから3ヶ月経ったので振り返る

 7月から始めた英語の再学習だけど、とりあえず何とか3ヶ月続けることができた。もちろん、まだ英語を喋るなんてレベルには程遠いけど、わかる単語も増えてきたし、文法も少しずつではあるけどわかるようになってきている。ここでは、備忘録も兼ねてどんなことをしてきたかを振り返りたい。

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久々にXで心を乱された話

 ここ最近X(旧Twitter)は知り合いの投稿にいいねをしたり、作品の感想をちょこちょこ投稿するぐらいで、あまり見ていないため、X特有の強い言葉を使った投稿や、誰かを揶揄した馬鹿にしたりする投稿を見ることもなく、穏やかな気持ちで過ごせていた。ところが、たまたま知人の投稿を眺めていたときに、何故かフォロワーが多い投稿者の投稿が、僕のタイムラインに流れてきた。その投稿というのが、実家暮らしの男性が両親を殴り殺したという痛ましい事件について言及したものだった。

 

 イラっとしたのは事件についてではない。もちろん人を殺したり、傷つけることを肯定するつもりは毛頭ないが、事件について詳細はわからないので勝手なことは言いたくない。で、僕がイラっとしたのは、その投稿主が事件を起こした男性のことを、揶揄するような文章を載せて投稿したからだった。詳細は述べないが、事件を起こした男性と、ある状況にいる人を結びつけバカにするような文言で、「すごーく嫌な感じ」だった。

 

 ネットに限らず、しばしば人を煽るような言葉を使って、人の注目を惹きつけるような場面を目にすることはある。アテンションエコノミーなんて言われてるけど、「いかに人の感情を刺激し注目を集めるか」が利益に直結したりするので、今後もそういうものがなくなることはないんだろうし、そういうのにイチイチ反応してしまう僕が良くないのかもしれない。

 

 ただ、そういう投稿をすることで、例えば同じように実家で両親と暮らしているような人にどんな影響があるのかとか、その中で困っている人たちが、自分を責めてしまったり、社会に対してバリアを張ってしまって、本当はサポートが必要な状況なのに声をあげにくくなる可能性もあることを考えないのだろうかと思った。たとえ直接本人に言葉を投げていなくても、偏見を強めるような言葉を使えば、その言葉に影響され、より偏見を強めたり敵意を持つ人が増えるかもしれない。それが回り回って当人を苦しめる可能性もある。

 

 また、その投稿にぶら下がっているコメントも全てではないが、「こういう人は〇〇に違いない」みたいな、思い込みやら見た目や年齢を馬鹿にするようなものも見られて、少し見るだけ嫌になってしまった。「そういうの誰かに見られる場所で文字にしちゃうんだ」と思った。

 

 別に見た目が云々とか、年齢が云々とか思っちゃいけないなんていうつもりはない。それ自体は内心の自由だろう。でも、SNSであっても、それを公の場で声に出したり、文字にしたりすれば、そこには受け手がいて何らかの影響が生まれる可能性があることは考えようぜと思う。

 

 言葉は便利な道具だけど、どんな道具も使い方を間違えれば恐ろしい凶器となる。言葉は人を救うプラスの力もあるけど、心無い言葉は時に人を傷つけ殺してしまう。言葉の応酬から憎しみが生まれ、争いが起こる様子を僕らは日々見てきている。たかが言葉、されど言葉だ。これは肝に銘じて銘じて銘じすぎてもいいと思っている。僕も無自覚に人を傷つけている可能性があるし、自分の性格が良くないことがわかっているがゆえに、気をつけなければと自戒の念を込めて書いている。

 

 それにしてもそういう投稿を目にすると、しっかり心を乱され、その後のことにモロに影響するので、やっぱり僕はXには向いていないと思う。はぁ、やだやだ。でも、SNS上で起こっていることに全く無関心を決め込むのもまた違う気がするし、知り合いの人たちとの交流もしたいから、たまに開いてしまうんだよなぁ。

 

 まぁ、今回はたまたまそういう投稿に触れてしまったというのもあるので、しんどくなればミュートするとかそういう機能は積極的に使っていくべきだと思う。仕事で使っているわけでもないので、SNSに固執する必要はない。SNSという人生の一部でしかないものに、振り回されて自分の心を傷つけたり、現実に悪影響を与えてしまうのはもったいないからね。

 

 皆さんもSNSとの付き合い方にはお気をつけくださいって話。っていうか俺が気をつけろよって話。 

赤ん坊が泣いている

 赤ん坊が泣いている。

 

 「オギャー、オギャー!!」と大きな声で泣いている。病院の廊下に響き渡るその泣き声はエネルギーに満ちている。自分が生まれた時はどうだったのかな?そんなことを考える。

 

 別の日の同じ病院の待合室。すぐ近くで老齢の女性が男性の医師と立ち話をしている。

 

 「もう良くなることはありません。」

 

 話の大部分は聞き取れなかったが、核心の部分は聞き取れた。どうやら、旦那さんの病状についての話のようだ。これってちょっとした余命宣告のようなものじゃないかと少し戸惑った。でも、医師から話を聞く女性はあまり動揺した感じでもなく、「ええ、ええ。」と納得した様子を見せていた。前からある程度、覚悟を決めていたのだろうか。身近な人の死が刻々と迫っている。時計の針は、無情に時を刻んでいく。

 

 赤ん坊の泣き声と老人への余命宣告。病院には生と死が入り混じっている。そういう場では当たり前だけど忘れがちな、人生の始まりと終わりを強く意識する。

 

 10代、20代の頃には自分が死ぬなんて微塵も思ってなかったのにな。誰かの死はあくまで誰かの死であり、とても悲しいけどそれを自分ごとにまではできていなかった。でも、アラフォーになった今だと、死に対して敏感になっている気がする。有名人が亡くなったニュースなんかを聞くと、けっこうショックだったりする。

 

 きっと、老いとかそういうものを実感する年齢になってきたというのがあるんだろう。若い頃は視力の良かった僕も、いつの間にかメガネをつけているし、シワとかシミみたいなものも、少しずつ目につくようになってきた。同居する親なんかを見ていても、体のあちこちが傷んでいるのを目の当たりにする。老いの先には当然死が待っているので、少しずつ意識するようになったんだろう。

 

 いつまでも続くかのように思える人生も、いつか終わりが来るのか。病院の待合室の壁をぼんやり見つめながら考えた。明日か、1年後か、10年後か、それともあと半世紀ぐらい生きるのだろうか。もちろんそれはわからない。

 

 自分はどんな最期を迎えるんだろうか?病院で死ぬのか、それとも自宅だろうか?周りに誰かいてくれるかな?病気で死ぬのか、それともぽっくり逝くのか。もしかしたら孤独死かもしれない。友達も多くないし、人付き合いも良くない。仕事や趣味で交流関係がしっかり築けているわけでもないので、その可能性はある。そう思うと怖くなったりもする。

 

 これまでの人生をふと振り返る。何かうまくいく要素もあった気がするけど、結局あまりうまくいかなかったなぁと思う。けっこう恵まれてた気がするんだけど、それをうまく活かせなかった。そんな風に自分の生き方を見つめると「なんでかなぁ」と目を覆いたくなる時もある。僕の人生は後悔だらけだ。

 

 でも、その後悔だらけの人生をやり直せるわけではない。となると、あとどれぐらい続くかわからないこの人生をどう生きるか考えるしかない。僕はどう生き、どう死にたいのだろうか?多分、今から誰もが認める功績を残すとかそういうのは、無理とは言わないけど難しいだろうな。

 

 どうすれば納得して逝けるかな。

 

 そんなことを考えた、病院での出来事だった。

いつの間にやら10月!ようやく秋が近づいてきた

 何日か前に30度超えを記録し、「秋は来ないんじゃないか?」とちょっとだけ思っていた。でも、ここにきて、ようやく気温が下がって秋が少し近づいてきた気がしている。ちょっと前まで半袖ハーフパンツで家の中をウロウロしていたのだけど、朝晩はだいぶ涼しくなってきたし、天気予報を見ても、どうやら30度を超える日はもうなさそうだ。そろそろ衣替えをしてもいいのかもしれない。

 

 僕はこういう季節の変わり目が結構好きだったりする。もちろん、常に意識をしているわけではないのだけど、ふとした時に季節のグラデーションを五感で感じている。街路樹や公園にある木の葉っぱの色が少しずつ変わるのを目にし、湿気を帯びた夏の風が、少し乾いた感じになるのを肌で感じながら街を歩く。あれだけ早く過ぎ去ってほしいと思っていた夏が遠ざかるのが、少しだけ寂しく思ったりもする。まぁ、放っておいても、またあっという間に季節は巡るのだけど。

 

 そんな他愛もないことを思っていたら、いつの間にやらもう10月に突入していて驚いた。2024年もあと3ヶ月しかない。今年の自分は何を成しただろうかと思うと、頭を抱えてしまうのだけど、「いやっ、まだ3ヶ月あるじゃないか」と気を取り直してやっていくことにする。3ヶ月やれば少しは形になるものもあるだろう。

 

映画を観る回数が減った

 ここ最近の変化といえば映画を観る回数が減ったということだろうか。以前は、月に10本近くは観ていた気がするのだけど、映画を記したGoogleドライブのメモを見てみると、9月は3本しか観ていない。8月は2本。まぁ、これは英語学習にかなり時間を割いているということも関係している。

 

 9月に観た3本のうち心に残った映画は2本。そのうちの1本『 Pearl パール』をちょっとだけ紹介。ネタバレありなのでご了承を。

 

 前作『X エックス』で、老婆の殺人鬼として登場するパールが本作の主人公。物語はそのパールがまだ殺人に手を染めていない時の話を描いている。

 

 舞台は1918年のアメリカテキサス州の田舎町。厳しい母親から抑圧され、病気で会話や動くこともできない父親の世話と、農場の仕事に忙殺される日々を送るパール。夫のハワードは戦争で兵隊として出征していて、家を空けている。彼女の唯一の息抜きは映画を観ること。そして、スクリーンに憧れを抱くパールは、ダンサーになるという夢を抱いていた。だが、自らを押し殺す日々は、彼女に歪みをもたらし、物語は少しずつ不穏な方向に進み始める。

 

 パールは『X エックス』で、夫のハワードと共に、農場に来たポルノ映画の撮影クルーを躊躇なく殺す老婆として登場する。『X エックス』単体で観ると「とんでもない老夫婦だ」となるのだけど、本作『Pearl パール』と合わせてみると、けっこう見方が変わってくると思う。

 

 抑圧された日常に押しつぶされそうになりながら、そこから逃げることも叶わず、わずかにすがっていた希望すらあっけなく打ち砕かれた時、人はいったいどうなってしまうのだろうか。自分が彼女と同じ立場にいたとしたら?そんな事を考えると、パールが狂気に身を委ねていく様が、恐ろしくもあり悲しくも思えた。本人の元々の性質、時代、家庭環境、住んでいる場所、友人関係etc。何かが違っていれば、また彼女がとった行動が別のものになっていたのではないかと思ったりもする。もちろん、タラレバでしかないのだけど。

 

 あと、ラストのシーンは非常に印象的というか、それこそゾッとさせられる一方で、絶望、悲しみ、狂気、そんなものをひっくるめた場面なので、その辺りも観てほしいかな。

 

 『X エックス』と『Pearl パール』ではけっこうアダルトな場面もあったりする。ホラー映画では、そういうアダルトな行為はある意味お約束だったりするのだけど、必ずしもそれだけを意味しているわけではない。その行為についても、2作合わせて観てみると、また違う感想を持つと思う。

 

 ただ、ジャンル的には人が死にまくるホラーだし、残酷な場面も多く、苦手って人もけっこういると思う。僕も万人向けではないよなぁと思うし、まぁ、絶対に観ろなんてことはないので、あくまで気が向いたらチェックしてほしい。

 

あっという間に年末がくる

 繰り返しになるけど、年末まであと3ヶ月。今年ももう残り僅かだ。相変わらず英語学習は進めているので、また進捗状況もちょくちょく書いていきたい。後は、今回のように映画とか読んだ本の感想なんかも、こんな感じでちょくちょく挟んでいきたいと思うので、興味があればぜひ覗いてみてください。

 

 季節の変わり目は、体調を崩しやすくもなるので気をつけて!