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社会不適合気味の男の足掻き。日記から社会のことまで幅広く語ります。

おじさんが日傘デビューしたので感想を書いてみた!

2025年6月。梅雨の時期だというのに数日しか雨は降らず、連日続く30度越えの日々。空から容赦なく降り注ぐ日差しをビシバシ浴びる日々を送っていた僕は、ある決断をしました。

 

 「そうだ。日傘をさそう!!」

 

男が日傘なんて⋯と思う方もいるかもしれません。僕もぶっちゃけちょっと前までは抵抗ありました。でも、この暑さです。ギラギラ輝く太陽の下、元気いっぱいに走り回っていた少年時代と違い、今では外に出るだけで疲れてしまうんですよ。こちとら、もうなりふり構ってられません。

 

そんなわけで、早速アマゾンにて検索してみて、お値段や機能面を比べてお試しに買ってみることにしました。今回はその日傘を使った感想だったり、僕が感じたメリットデメリットなんかを書いていこうと思います!

おじさんが日傘を使った感想

いらすとやより。

まずはメリットの方から書いていきたいと思います!

かなり涼しく感じる!

これは、もうね、期待していた通りというかそれ以上でした。僕の家って最寄りの駅から10分程度のところにあるんですけど、暑い夏とかになるとその10分を歩くだけでもけっこう消耗するんですよね。とりあえず日焼け止めは塗っているので、日焼けはある程度防げているんですけど、直射日光によるダメージっていうのはあるんです。首とか顔周りが熱くなってたり、体温も上がって汗ダラダラかいてたりね。

 

でも、日傘さして歩いてみると、少なくとも直射日光で首が熱持っちゃって消耗するみたいなことはほぼなくなりました。常に日陰を歩いているというと言い過ぎかもしれないけど、それぐらい体感としては違いますね。傘さして歩いた時、「こりゃいいや。」って素直に思いましたもん。直射日光防げると、思った以上に快適になるんだなぁとここ最近実感しております。

 

日焼けもしにくくなった気がする

二つ目のメリットは、日焼けしにくくなった気がするなぁってことです。以前の僕は、帽子かぶって日焼け止めしっかり塗ってていうことで、どうにか肌へのダメージを減らそうとしていました。もちろん、今もそれは実行しているんですが、日焼け止めって、どうしても時間経つと汗で落ちちゃったりするじゃないですか。その度に塗り直すみたいなことをやればいいんだろうけど、僕はけっこう忘れちゃったりするんですね。で、家帰ったらちょっと肌が赤くなってたりしてあちゃーみたいな。中年の僕にとっては大ダメージです。

 

それが日傘をさすことで、なんていうか肌へのダメージが減った気がするんですよね。というのも、日傘って紫外線を防ぐ機能がついているやつが結構あって、仮に日焼け止めが落ちてしまったとしても、ある程度の紫外線を防いでくれるみたいなんです。こりゃ、僕のようにマメではない人間にとってはありがたい。

 

もちろん、体全体を完全に覆うわけではないので、肌に対してノーダメージというわけにはいきませんが、日傘があるかないかで、安心感がだいぶ変わるなというのが僕の印象です。もちろん、ガチで日焼けしたくない派の人は、日傘の恩恵もしっかり受けつつ、日焼け止めもその都度しっかり塗り直すことで、肌へのダメージはさらに減らせるのではないかと思います。

 

続いてデメリットについても書いていきます。

 

片手が塞がって不便

これはもう、当たり前っちゃ当たり前なんですが、傘さすということは、常に片手が塞がっちゃうってことです。これけっこう不便だなぁと思いました。

 

傘を差した状態で、リュックから荷物取り出そうとしたり、かかってきた電話に出たり、ちょっとスマホで写真撮ろうとしたりすると、けっこう手こずるんですよね。僕なんてただでさえ不器用なのに、片手塞がっちゃってると、何するにも手間取ります。ちょっとイライラしちゃう。

 

まぁ、僕の場合、折りたたみ式の日傘なので、いざとなればパッとしまってしまえばいいのですが、割と大きめの日傘を持ち歩いてる人を見ると、けっこう不便に感じることも多いだろうなぁと思います。

 

ちなみに傘さしてる時に、両手を自由に使いたいって人は、リュックとかに付けておけば、傘を差したまま固定できる傘ホルダーみたいなものも売っているみたいです。あとは、バッグにつけて割と大きめの傘を固定できるようなものもあるみたいなので、両手塞がるの嫌だっていう人はチェックしてみるといいかもしれません。

 

ちょっとした荷物になる

これも当たり前っちゃ当たり前なんですけど、傘を持ち歩くっていうのはそれだけで荷物になります。僕の場合、外歩く時はバッグとかリュックとかを大体持っているので、邪魔だったらしまったり、固定できるホルダーなんかつけて、そこに収めちゃえばいいわけですよ。でも、普段バッグとか持ち歩かず手ぶらで出かけるよっていう人の場合は、正直邪魔になることもあるのかなと。

 

これもまだ折り畳みの傘なら、そこまでではないと思うけど、普通のわりとでっかい日傘になると、何するにも悪い意味で存在感があると思うんですよね。ちょっと近所のスーパーに出かけるとかなら、まだ我慢できるかもしれませんが、けっこう歩いたり、遠出するってなると、人によってはちょっと嫌かもって思うかもしれません。

 

この解決策としては、近所に出かける際には大きめの日傘使って、歩く距離が長くなったり、電車とか乗り物に乗るって場合は、折りたたみ式の日傘を使うみたいな形で、場面ごとに使い分けるといいのかなと思ったりします。

 

人の目が気になっちゃうかも

日傘をさすという行為は、だいぶ認知されてきたとは思います。でも、どちらかまだまだ少数派だと思うんですよね。ニュースなんかで炎天下の中歩いてる人たち見てもそうだし、実際に自分が街を歩いてても、日傘をさしている人の割合は少なめです。ましてや、それが僕のように、中年男性だとしたらその割合はさらに減ってしまうでしょう。

 

僕もそうですが、周りの目を気にしちゃう人って、一定数いると思うんですね。そういう人が、周りに日傘をさしている人が少ない状況で、自分だけが傘をさす。「ちょっと自分だけ浮いちゃってるかも。」とか、「男が日傘さしてるなんて変に思われるんじゃないか。」みたいに思っちゃったりもするんじゃないでしょうか。実際、僕も初めて日傘をさして歩いた時は、多少人の目が気になりました。

 

でも、歩いてると、案外こちらに視線を向ける人って少ないですし、そもそも傘さしてるので目も合いません。後、仮に目が合ったとしても、すれ違うほんの一瞬でしかないし、たぶん数秒後には、もう僕の顔なんか覚えてない。そう思うようになってからは、日傘をさすことにそれほど抵抗はなくなったように思います。

 

まぁ、そんなことより、とにかくこの暑さをどうにかしたいという思いが圧倒的に上回ったというのもあります。ほんと、やってられん暑さですよね。

 

日傘いいぜ!

これまで日傘について、メリットやデメリットを書いていきましたが、僕個人としては圧倒的にメリットの方がでかいなと思いました。

 

猛烈な暑さも一日ならまだ耐えられるかもしれませんが、それが1週間、1ヶ月と続けば、確実に身体にダメージは蓄積されていきます。

 

身体へのダメージが大きくなれば、回復にも時間がかかるでしょうし、年齢を重ねれば回復力も低下するでしょう。であるならば、日光に対して防御力を高めてくれるであろう日傘を使うのは、一つの選択肢としてアリだと思います。

 

熱中症で体調を崩されたり、亡くなる人のニュースも頻繁に目にするようになりました。繰り返しますが、この暑さを前になりふり構ってなんかいられません。日傘に抵抗ある方もいるかもしれませんが、暑さから身を守るための手段として、日傘を使うというというのも、ぜひ考えてみてください。

上野、御徒町で男だらけのオフ会に参加してきた!

 みなさま久し振りでございます。いやぁ、ほんと油断すると俺ってやつぁ全然ブログを更新しないんだからどうしようもねぇなぁと思いながら、今こうして文章を書いております。

 

 ちょっと確認してみると、最後にブログを更新したのは2ヶ月前とな。ほんと、最近はどんどん更新間隔が空いてしまっていて、このままだとそのうち半年とか一年更新しなくなるんじゃないかと自分でもヒヤヒヤしておりますが、とりあえず2ヶ月ちょいで更新できたということで、お許しいただければと思います。

 

 で、最近僕がブログを更新できていなかったのには何か大きな理由があるのではないかと思っていた方が、もしかしたら一人や二人はいるかもしれませんが、はっきり言って「否!!」でございまして、ひとえに僕の怠惰さのせいですね。はいっ、ほんとお許しください。まぁ、ちょいと生活に変化があったのもありますが、それでも振り返るとブログ書く時間ぐらいあっただろうがい!と自分で突っ込めるぐらいには、時間はあったと思うので、やっぱり単に僕のダメさのせいだなと思うわけです。

 

 前置きという名の言い訳が長くなりましたが、久々のブログ更新は、4月の終わりに行われた、男だらけのオフ会に参加した時のことなんかを書こうと思います。ぜひ、最後までお付き合いくださいませ。

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【レンタル】久しぶりにレンタルされてきた!

 前回レンタルの依頼をもらってから約1年半。ひっさびさにレンタルの依頼がありました!いやぁ、びっくりですよ。最近は、特に宣伝もしてなかったし、いわば開店休業みたいな状態でしたから、まさか依頼が来るなんてね。ダラダラとでも続けてみるもんですね。

 

 レンタル内容は「観たい映画があるので一緒に観ませんか?」というものでした。こういう「一緒に何かしませんか?」系の依頼も大歓迎でございます。今回はその時の様子なんかをお伝えします。

 

久々のイオンレイクタウン!

今回写真を撮り忘れたので、だいぶ前の写真を貼っときます。

 

 今回依頼主さんとお会いしたのは、イオンレイクタウンという馬鹿でかいショッピングモールでございます。まぁ、僕が住んでいるところから割と近場にあるのが、ここの映画館っていうことで、こちらでお会いすることになりました。

 

 ただ、のちに判明したのですが、依頼主さんからするとここは結構遠い場所だったみたいなんですよね。電車で軽く1時間は超えちゃうみたいで、来るだけでも一苦労の場所だったようです。おそらく僕に気を遣ってくださってのことだと思います。

 

 レンタルでは交通費さえいただければ、僕の家からの距離と関係なく、依頼主さんの行きやすい場所とか、距離的にも時間的にも負担が少ない場所にも伺います。依頼の際は遠慮なく希望を伝えてもらえたらと思います。

 

 まぁ、そんなこんなで依頼主さんと無事お会いしまして、映画を見る前にレイクタウン近くのサイゼリアでちょいとおしゃべりを。依頼主さんは、僕と共通の知り合いがいる方でして、その方に関連する話を話したりして、割とすぐに打ち解けることができたような気がします。実は、久々の依頼だったので、内心ちょっとドキドキしてたりもしたんですよね。なんか、会話弾まなかったらどうしようとか。でも、幸い共通の知人がいるということで、話せることも多くてホッとした次第でございます。

 

機動戦士ガンダムジークアクスを観る!

 サイゼリアでお話をした後は、映画鑑賞です。今回は『機動戦士Gundam GQuuuuuuX-Beginning』という作品を観ました。制作してるのは、ガンダムシリーズを製作しているサンライズと、エヴァンゲリオンの新劇場版や『シン・ウルトラマン』なんかを手がけたスタジオカラーです。ちなみにこれ、初代の『機動戦士ガンダム』のパラレルワールドを描いた作品なんですね。まぁ、それはいいとして…

 

「俺、ガンダム一切触れてこなかったんだけど大丈夫かなぁ…」

 

 というのが正直なところ。いやぁ、ほんと僕ってロボットものとかほとんど触れてこなかった人間なんですよ。初代ガンダムに関しては、アムロとかシャアを知ってるぐらい。後は、そもそもなんでアムロ達が戦ってるのかとかそういうのも全然知らない、そんなほぼ知識ゼロの状態なわけです。

 

 基本一緒に映画を観たらその映画の感想をあーだこーだ言い合ったりもしたいじゃないですか。依頼主さんは、ある程度ガンダムの知識がある。その一方で、僕は素人丸出しである。これだと、依頼主さんとしては話してて物足りなさを感じるんじゃないかなと。

 

 まぁ、そんなわけであらかじめ「自分はガンダムとか一切見たことないのですが、大丈夫ですか?」と確認をさせてもらったところ、大丈夫とのことでしたので、気張ることなく映画を観ることができました。

 

 ここでは映画の感想は省きますが、唯一と言っていいレベルで知ってるキャラであるシャアが出ていたり(公式サイトでも紹介されてます)、映画館の巨大なスクリーンならではの迫力のある戦闘シーンが見られたり、ガンダムの作りがエヴァっぽいなぁと思ったりと、ガンダム初心者の僕でも結構楽しめたんじゃないかと思います。まぁ、ただやっぱり、初代ガンダムを知ってた方が、ストーリーやキャラクターの違いだったり、その良し悪しだったりっていうのが評価しやすいと思うので、やっぱり初代ガンダムは観た上で行った方がよかったんだろうなぁとも思いました。 

 

 ちなみにこの作品、けっこう中途半端というか続きが気になる形で終わるのですが、どうやら続編をテレビシリーズでやるんですね。Amazonプライムで4月9日から配信されるとか。一応、アマプラ入ってるので観てみようかな。

 

映画鑑賞後は食事をしたり、レイクタウンをぶらつく

 映画鑑賞後は、依頼主さんと軽く食事をしながらガンダムやそれ以外映画の話をしたり、雑談をしながらレイクタウンをぶらついたりしました。ちょっとした雑談の中でも、その人の個性が見えて楽しいし、もちろん自分の知らない世界を知っていたりして、毎回新たな発見があるので、レンタルされるのはやっぱり楽しいなぁと思いました。自分からだとまず、今回のようにガンダムの映画とか観ませんからね。下手したら一生触れない可能性もあったガンダムに、このタイミングで触れることになるとは思いませんでした。そういう思わぬ出会いが楽しめるのも、レンタルのいいところなのかもしれません。

 

最近は閑古鳥が鳴いているレンタルサービスですが、また、時々レンタルされて、いろいろな場所に行ったりいろいろな話を聞く経験をしたいもんです。

 

レンタル終了!

 そんなわけで、今回のレンタルは無事終了!午後からお会いして数時間ご一緒させてもらいました。

 

 こんな感じで、ゆるくレンタルされてますので、興味があれば気軽にご連絡ください。今回のように映画を一緒に観ようとか、お出かけしようみたいなものも大歓迎です。一応、下にルールとか利用方法書いたものも貼っておきます。では、また!

 

『レンタル同行人』のルールや利用方法についてまとめてみた。 - オバログ

 

参考サイト

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) 公式サイト

TVシリーズ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』2025年4月9日(水)より Prime Videoで国内最速配信決定! | GUNDAM.INFO

2024年もお世話になりました!

 気がつけば2024年も終わりに近づいております。っていうか、今月1回もブログ更新してねーということで、慌てて書いております。いやぁ、油断するとすぐに間が空いてしまうので困ったもんですね。ということで、年内ラストのブログ更新は今年を軽く振り返りつつ、来年のことについてもちょこちょこ触れていこうと思います!

 

2024年を振り返る

コロナがしんどかった

 2024年も何か大きな出来事があったかと言われると、なかなかパッと出てこないんですが、まぁ一番印象に残ってるのが「コロナにかかったこと」ですかねぇ。何か印象に残ってるのが病気って寂しい気もするけどね。まぁ、でもなかなか衝撃的だったんですよね。

 

 「マジで寝れねぇ!」

 

 いやぁ、もうこれがしんどくてね。僕の場合、熱もまぁまぁ出たんだけど、喉と口の間(扁桃腺の辺り)に炎症がありまして、こいつがすごく厄介でした。水や食べ物どころかツバを飲み込んでもすごい痛みが走るんです。だから、寝ようと思ってもちょっとツバ飲むと、激痛で目が覚めちゃう。それで、全然寝れなくてそれもまたストレスでっていうのが数日続きました。寝不足だしろくに食べられないしで、ほんとどうしようもなかったですね。

 

 おまけにようやくコロナが治ったと思ったら、しばらくは味覚障害ですよ。何を食べてもほとんど味がしねぇ。味がしねぇ生活ってほんとに味気ねぇ。全部ほぼ無味。食べて味わうことは生活を彩るんですね。味覚の大事さを嫌というほど味わいました。

 

 幸い今は味覚も戻りまして、食べ物も美味しくいただけております。こういう病気の影響が長引くなんてこともこれまでの人生でなかったので、とても印象的でございました。ぶっちゃけ2度と味わいたくない経験ですね。

 

 コロナの話題もだいぶ少なくなったとはいえ、まだまだ感染者はいるみたいなので、引き続きうがいやら手洗いやらやりつつ、免疫が落ちないように栄養をしっかり取ったり、適度な運動や睡眠をとっていかなかきゃなぁなんて思っております。ほんと健康大事。

 

英語の勉強を始めた!

 そんでまぁ、こっちが割とポジティブというか前向きな活動かなぁっと思うんですが、7月ごろからちょこちょこ英語の勉強を始めました。まぁ、きっかけは他の国の言語を勉強すると、脳のいい刺激になるからみたいなことだった気がします。でも、案外やってみると楽しくて、とりあえず12月現在まで、何かしら英語に触れるということは続けてこれてます。

 

 やってる内容は単語と文法、リスニング、スピーキングとわりとベタな内容です。単語帳は一冊8割ぐらいの習熟度にはなったんで、そろそろ次のレベルをと思ってるんだけど、まだ完璧じゃないからなぁとか思っちゃって、なかなか次に手が出せないっていう感じ。文法はまぁ、ノロノロとではあるけど、問題解いてわかんないところを参考書開いて復習してっていうのを地道にやってます。文法はすぐ忘れちゃうのでヒーコラ言ってます。

 

 スピーキングはわりと短めのフレーズを、毎日3つずつぐらい覚える感じで進めていますね。やっぱり、少しずつ言えることが増えてくるっていうのは楽しいっすね。スピーキングが英語学習で一番好きかな。まぁ、なかなか使う機会がないから、どこかでそういう機会をつくんなきゃなぁと思ったり。

 

 今は短めのフレーズが書かれた本を集中的にやってるので、これが終わったらもう少し長めのフレーズの参考書をやろうかとか、もしくは自己紹介に特化した本をやろうかなんてことを考えたりもしています。

 

 リスニングはスピーキングの練習と併用して行ってるって感じですね。今は短めのフレーズとか英文をシャドーイングしたりしてます。(シャドーイングは流れてくる音声を少し後から追っかけて発音する練習方法)後は、古本で英検の『文で覚える単熟語』っていうやつを買って、単語とか熟語を覚えつつ、文章をリスニングしたりもしています。

 

 

 いまやってるのは英検3級のやつですね。英検3級っていうと中学レベルなので、文法や単語も難しくないから、簡単に聞き取れるんだろと思うんだけど、速いスピードで文章読まれると案外聞き取れなかったりする。でも、全然意味わからんっていうわけじゃないから、全くできんって落ち込むこともなく、今の自分にはちょうどいい感じかなぁなんて思ってます。

 

 自分的には継続するためにはハードル下げまくるの大事だと思ってるので、背伸びしすぎず少しずつハードルを超えていく感じです。英検の本だと3級の次は準2級というように、自分の進捗状況も計測しやすいし、レベル上がってる実感も持てるのでそれもいいかなぁと。

 

2025年の目標

 2025年についても少し触れておきます。とはいえ、まぁ未来はどうなるかわからんしなぁという感じなので、あまり先のことを言ってもなぁとは思うんですが、とりあえず大まかに次の3つを意識してやっていきたいと思います。

 

  • 健康の維持
  • 英語学習の継続
  • 食い扶持の確保

 

健康については、やっぱりコロナでガーンとダメージ受けたというのもあるし、僕も来年40なんですよね。もう数字的には立派な中年なわけですよ。まぁ、まだ体は動くし、筋トレやってて今は人生で一番筋力とかはあるわけだけど、確実に衰えてるものもあるわけですよね。

 

 例えば視力なんかはそうで、もう完全にメガネがないと車の運転とか無理なわけですよ。僕子供の頃は裸眼で確か1.5とかあったはずなのに(泣)それに、内臓とかそういう目に見えないところだって、やっぱり歳を重ねれば衰えるわけだし、多分これまで以上に気を遣って、食べるものから生活習慣まで整えていかなきゃいかんだろうなぁと思うわけです。

 

 英語学習についてはまぁ、長い目で見てやっていこうと決めてるので、まずは1年続けようと。でも、ある程度英語で聞けて話せてというレベルを考えると、多分1年では無理だと思うので、引き続き上がったり下がったりしながら、学習を続けていきたいと思ってます。幸い、英語の勉強は楽しめてるんですよね。単語や文法がわかるとかもそうだし、英語の教材で取り上げられている内容が結構面白かったりしてね。時事問題わりと最近のテクノロジーのこととか、「へぇ、そうなんだ!」って思うことも多くて、好奇心を刺激されてます。

 

 食い扶持については、実家暮らしで40歳になるおじさんですが、いまだにしっかり確保できていないのが現状でしてね。ぶっちゃけ社会は怖いし、年齢に伴ったキャリアや経験、スキルもないので自分に自信もないくて、ため息しかないっちゃないわけです。将来のことを考えると不安しかありません。でも、そういうダメな自分をダメだなぁと思いつつ、サポステ行ったり、就労支援施設に相談に行ったりしながら、一歩ずつ踏み出そうと思っています。

 

 自分のダメさを受け入れながら、少しだけでもいいから前に進む。これが2025年のテーマですかね。その結果、食い扶持を確保できたり、次に繋がる動きができたらいいなぁと思っております。

 

まとめ

 そんなわけで今回は2024年の振り返ると、2025年のちょっとした目標なんかを語ってみました。今年も多くの人にお世話になり、どうにかこうにか無事に過ごすことができました。また、来年もよろしくお願いします。

 

 それではみなさん良いお年をお過ごしください。

【質問への回答】他人に提供できるものがないと何の価値もないのか?

 久々に僕のブログにコメントをいただきましてね。それについて、コメント欄で返そうと思ったんですけど、長くなりそうだったのでこちらで改めてブログに書こうと思いました。で、そのコメントですが、下の投稿のコメント欄に書き込まれたものだったんですよね。

 

ニートで生きる価値がないと思ってしまう人へ - オバログ

 

  この投稿で僕は、「稼いだり働いている人間だけが価値があるという考え方があまり好きじゃない」ってことと、「何に価値を感じるかは人それぞれだし、色々な価値提供の仕方があるんでないの?」ってことを書きました。まぁ、興味があれば元の記事もちょろっと読んでみてください。

 

※ただ、コメントに関して人によっては、ちょっとネガティブになっちゃう人もいるかもしれないので、ちょっとしんどいなって人は見ないようにしてください。

 

他人に何かを提供できるか否かで人の価値を決めるのは苦手

 で、その投稿に対してついたコメントを、かなり短くまとめると、「他人に提供できるものがない場合は、何の価値もない人間ではないですか?」というものだったんです。実際に書いてもらったのはもっと具体的なんだけど、ちょっと言葉として強い気もするので、かなりざっくりと紹介してます。

 

 で、繰り返すけど僕個人としては、「何かを提供できるか否か、働いているかいないか、生産性があるかないか」みたいな形だけで人の価値のあるなしや、大小を決めるのは好きではありません。むしろ苦手です。

 

 社会的に評価される、わかりやすい指標や行動だけが、その人の価値ってわけじゃないでしょう。実際に、接してみて初めてわかる良さもあったりする。いるだけで何だかホッとするみたいなのだって、その人の価値だったりするわけじゃないですか。でも、それは社会的には評価されないし、数値としても出てこないですよね。すると、それは価値がないことになってしまうわけです。

 

 なんつーか、ある人を分かりやすい評価の枠組みに当てはめて、そこだけでその人の価値を判断しようとするのが、苦手というかすげぇ単純だなぁと思うんですね。いやっ、人間もっと多面的だし、その人の価値だって多面的に評価されるべきだろうと思うわけです。まぁ、実際はできないから、分かりやすいもので人の価値を図ろうとしちゃうんでしょうけど。

 

 そういうわけで僕は何かを提供したりとかそういうのだけで、その人の価値を決めるのは嫌だなぁと思うわけです。っていうか、価値がある人、ない人みたいな人の分け方が好きじゃないです。

自分の元の投稿を改めて読み返して

 僕の考えはそんな感じなんですが、改めてコメントをもらった元の自分の投稿を読んでみると、あちゃーって思いました。元の投稿で僕が「こういう価値提供の仕方もある」と例を出したのが、お金はもらってないけどYouTubeで、動画を投稿してコメントもらったり、評価されている人だったんですね。これは、完全に挙げた例を間違えてたなと。

 

 動画投稿で評価される人なんてどっちかと言うと「分かりやすい価値提供をしている人」じゃないですか。動画の視聴者とかコメントとか数値化されてるし。まぁ、一応動画投稿でお金はもらってないという条件付きで例として出してはいるけども。いやぁ、すんません。何でこういう例を挙げたのかなぁ。完全に矛盾してますね。

 

 で、多分コメントくれた方は、僕が挙げた例をみて「結局なんかわかりやすいものを提供できなきゃ価値ないってことじゃん」って思って、コメントを残してくれたんだと思います。これは、僕の書いた内容が良くなかったです。ごめんなさい。

 

 ぶっちゃけもう6年も前の投稿なので、当時の僕がどういう考えだったのかは曖昧ですが、僕の意図としては「バリバリ働いて稼ぐみたいな、分かりやすい価値だけじゃない価値もあるし、そうじゃなくても人にあげられるものもあるよ」ってことを言いたかったのだと思います。それこそ、その本人が価値があることだと気づいてないことすら、誰かからすれば価値になることもある。いるだけでホッとするとか、何か悩んだ時に話しやすいとかそういうもの。だから、「自分は皆から無価値だと思われてる人間だ」とか「何の価値も提供できない人間だ」なんて思わなくていいんじゃないの?ってことを言いたかったんじゃないかと。

 

 本人が気づいてないだけで、色々な価値提供の仕方があるし、色々なことに価値を感じる人がいる。だから、分かりやすい指標に乗っかれない自分を責めなくてもいい。そんな考えだったと思います。

 

それでも価値を提供できない人について 

 ただ、それでもこう思う人はいると思います。そういう価値すら提供できない場合どうなのかと。それこそ、僕のブログにコメントくれた方なんかはまさにそういう疑問を持っているのだと思います。

 

 僕の考えを言えば、別に価値なんか提供できなくても、その人がその人なりに楽しく生きていればそれでいいじゃないかと。

 

 社会で働くことが難しいのであれば、福祉を活用して生きていけばいい。うまく人の力を借りながらやっていけばいい。できないところは誰かを頼り、もし自分にできることがあれば力を貸せばいい。人によっては困り事の数が多かったり、その度合いが強ければ人や制度に頼る割合も増えるでしょうが、僕はそれでいいと思います。頼ることを躊躇して、困ってる人が困ったままでいるより、少しでも生きやすくなってくれて、人生を肯定できたほうが嬉しいです。

 

 それに価値ある人間にならなきゃ意味がないとか、価値提供しなきゃ存在できないみたいなのは、今、社会的に評価されている人、そうでない人、若い人、年老いた人、病気の人、健康な人、誰にとっても息苦しいはずです。そんな条件付きの生を誰が望むんでしょう?それは自分たちで自分たちの首を絞めることにはならないでしょうか?だって、いつ誰が価値を提供できない人になるかなんてわからないでしょう?怪我や病気もそうだし、歳をとって認知症になったり、思うように体が動かない人だっているわけで。

 

 僕の親戚には歳をとって施設に入った人もいるし、子供の頃から障害持ってて、大人になってからずっと施設で暮らしている人もいるのでなおさらそう思いますね。

 

最後に

 そんなわけで今回は僕のブログにコメントをしてくれた方へのアンサー的なものを書いてみました。大晦日にちょいと重たいテーマのことを書いてしまいましたが、昨日(12月30日)頂いたコメントなので、できたら今年のうちに回答しておきたいなと思って、このタイミングでのブログ投稿となりました。はたしてアンサーになっているのかわかりませんが、今の僕はこんなふうに考えております。

 

 なんかきれいごとのようにも聞こえるなぁと、書いている自分でも思ったりもするし、実際きれいごとなのかもしれない。社会はわかりやすい価値で人を判断しがちだし、僕だってニュースやらなんやらで、わかりやすい実績やら数字やらを残した人を見て、「すげぇなぁ」と思うし比較しちゃうしね。僕なんか今年はひたすら大谷すげ〜って言ってましたよ。で、ふと我に返って何もない自分を情けなく思ったりね。

 

 それでも、そういうわかりやすいものだけが人の価値じゃないって思いたいっていうのがあります。他人が気づいていないもの、自分が気づいていないその人ならではの価値ってあると思うんです。

 

 えっ、負け惜しみじゃないかって?そうかもね。でも、いいじゃないですか。負け惜しみだって。それで、前向けるなら、自分に力を与えてくれるならそれでいい。

 

 後は、やっぱり他人から見た時の価値みたいなもんを気にしすぎず(気にしちゃうのはしょうがない)生きていこうぜって思います。

 

 ああ、なんかまとまりが無い締めになっちゃいましたが、この辺で締めたいと思います。それではまた。