オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

鳥山明さんが亡くなったので、ちょっと昔を振り返った

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2024年の3月1日に漫画家の鳥山明さんが亡くなった。享年68歳。僕が言うまでもなく、日本を代表する漫画家の一人だ。『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』を大ヒットさせ、『ドラゴンクエスト』シリーズや『クロノ・トリガー』などのゲーム作品ではキャラクターを手掛けた。何らかの形で一度は鳥山先生の仕事を見聞きしたことがある人は、多いのではないだろうか。

 

鳥山先生が亡くなったニュースを目にしたとき、僕はいつの間にかボロボロと涙を流していた。誰かが亡くなるニュースは、さんざん目にしてきたし、涙目になるようなことは時々あるけど、これほどまでにハッキリ「泣く」というのはあんまりないことだ。ショックだった。自分の気持ちがわかりやすく落ち込んでいた。

 

X(旧Twitter)を開くと、鳥山先生が生前関わりのあった漫画家の人達をはじめ、多くの追悼コメントが流れた。それを見てまた泣けてきた。僕もニュースを引用して追悼のコメントを書いた。

 

鳥山先生の仕事は僕などが語るまでもなく、多くの媒体で多くの人達が詳細に語っているので、僕が語るまでもないだろう。なので、ここでは鳥山先生の作品と自分の過去について振り返ってみようと思う。

 

物心ついたときには鳥山作品が側にあった

僕が生まれたのは1985年。鳥山先生はすでに『Dr.スランプ』で人気作家となっていた。その『Dr.スランプ』が終わったのが1984年。代わりに始めた『ドラゴンボール』の連載も1984年にスタートしている。

 

物心ついたのは3歳か4歳ごろだっただろうか?そのころの記憶はぼんやりしていて、あまり覚えてはいないのだけど、まだ『ドラゴンボール』を読んではいなかったと思う。その代わり、我が家にはファミコンがあり、『ドラゴンクエスト2』をプレーしていた記憶がある。まぁ、ドラゴンクエストシリーズのキャラクターデザインが、鳥山先生だと知るのは相当後のことなんだけども。

 

その後、幼稚園から小学校に上がった頃はいわゆる「週刊少年ジャンプ黄金期」などと呼ばれ、ジャンプの売り上げは絶好調。さらに、その中でも常にトップクラスの人気を誇った『ドラゴンボール』は、僕たち少年のすぐ側にあった。漫画はもちろんのことアニメ、映画などの作品は話題の中心になった。また、特に小学校低学年の頃はペンケースや鉛筆、下敷きなどの筆記用具がドラゴンボールのキャラ入りのものを持っている人が結構いた。僕もペンケースをドラゴンボールのものにしていた。

 

あと、個人的に覚えているのは、孫悟空などのキャラクターが書かれた下敷きの上に、透ける紙を置いて線をなぞってキャラクターを綺麗に再現する遊び。休み時間中、結構やってる人がいた記憶がある。僕はというと不器用なせいか、なかなか上手く描けず途中からは、上手い人に描いたものをもらったりしていた。

 

また、僕が少年時代はスーパーファミコンなどゲームで遊ぶ子も多く、ドラゴンボールのRPG(ロールプレイングゲーム)やバトルゲームなどを、放課後友達の家でしょっちゅうやっていた記憶もある。特に『ドラゴンボールZ超武道伝』は、完全体セルのある技がやたら強くハメ技になっていて、友達にやられると「それずるいよ!」とイライラしたり、人造人間16号の両腕を横に振る攻撃の動作が面白くて友達と真似をしたりと、今でも鮮明に覚えているゲームの一つだ。

 

後はカードダスも少年時代の思い出だ。カードダスはドラゴンボールのキャラクターが描かれたカードで、スーパーなどに置いてあったガチャガチャを回すと手に入れることができた。確か1枚20円と5枚で100円の2パターンの買い方ができた記憶がある。特にレアなキラカード(キラキラ加工が施されている)をみんな狙っていて、キラが当たると「おぉ〜!」と喜び、まだ誰も持っていないカードだったりすると、ちょっとした優越感に浸ったりもした。

 

ただ、ガチャガチャは運ゲーなので狙ったカードが当てられるわけではない。少年のなけなしの100円を出して買った5枚のカードが、全く欲しくないキャラクターだったりすると、わかりやすく悔しがったりもした。また、既に持っているカードがかぶったりすると、友達と交換をしたりもした。僕はいつの間にカードを処分してしまっていたのだけど、大学時代に地元の友達と再会した時に、カードダスをしっかり保管しているやつがいた。当時欲しかったキラカードが綺麗に保存されているのを見て、テンションが上がったのを覚えている。

 

『ドラゴンボール』の連載は1995年に終了するが、1996年からは『ドラゴンボールGT』のアニメが始まり、1997年の11月まで放送された。つまり、僕の小学校時代は常に『ドラゴンボール』という作品とともにあったということになる。

 

もちろん、年齢が進むにつれて鳥山作品からやや距離があった時期もあった。だけど、ゲームやカラオケで歌うドラゴンボール関連の音楽など、なんだかんだで幼少期から今まで、僕の生活の側に鳥山作品はあった。

 

今振り返ると鳥山作品がコミュニケーションツールになっていたんだなぁと思う。漫画の展開やキャラクターについて語り合う。カードダスを買うために順番にガチャを引き、映画を一緒に見にいき、ゲームをしながら近況について喋り、カラオケでドラゴンボールの曲を熱唱した。

 

友達同士でかめはめ波を撃とうとしたり、元気玉を作るために空に手を伸ばしたり、スーパーサイヤ人になろうと拳を握って「ハァァァァァ!!」と全身に力を込めた。それだけで、僕たちはちょっとだけ強くなれた気がした。

 

もちろん、全てを事細かに覚えているわけではないけども、どの場面も思い出してみるとひたすら楽しかった。楽しいという記憶しかなかった。だから、その分、鳥山先生が亡くなったニュースを聞いた時に悲しかった。自分の人生に楽しみを与えてくれた鳥山作品は、意識しなくても僕の中に積み重なり心に残る大きな存在だったからか、特に、亡くなったニュースを目にした直後は、喪失感というのだろうか。そんなもので僕の心がいっぱいになった。だけど、少し時間をおいてみるとこう思えるようになった。

 

「これだけ自分の記憶に残る楽しい時間を与えてくれた鳥山先生には感謝しかない」

 

なので、今は悲しくもあるけど、前向きな気持ちにもなれている。だから、このブログを書けているのかもしれない。

 

過去を振り返ったところで、そろそろ締めようと思う。

 

鳥山先生の作品は僕の日々を鮮やかに彩ってくれました。本当にありがとうございました。天国でゆっくり休んでください。

 

世界中のどこにでもいるファンより。

 

参考サイト

訃報|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

Dr.スランプ - Wikipedia

ドラゴンボール ゲームポータルサイト | バンダイナムコエンターテインメント公式サイト

ドラクエ・パラダイス(ドラパラ)ドラゴンクエスト公式サイト | SQUARE ENIX

【公式】ドラゴンボールオフィシャルサイト(DRAGON BALL OFFICIAL SITE)