タイトル通りだ。
「弱い者同士で足引っ張ってどうする!?誰も得しないぞ!!」
というのを常日頃から思っている。例えば生活保護を受けている人間をやたらと攻撃しているのが、フリーターだったり、雇われている組織ではいまいちうだつの上がらない人間だったりするわけだ。(もちろん、中には強者が弱者を蔑んでいる場合もあるかもしれない)
なぜそんなことをするのか?僕にはまったくわけがわからない。なぜなら、誰も得をしないというのがわかりきっているからだ。
自分より弱い者の足を引っ張って、否定することで何かいいことがあるのだろうか?
弱い人間がさらに弱い人間を叩く、蔑む、見下す‥‥‥。世の中にはそんな事例が山ほど存在する。
確かに、上を見ればきりがない社会だ。金持ちは僕らが人生を何回生まれ変わっても稼げないような退勤を稼ぎ、豪華な食事をし、高い服飾品で着飾ったりしている。テレビなどで時々紹介されるあまりにまぶしい世界を直視が出来ないこともあるだろう。
また、ネットでは成功者たちの生活が可視化されより身近に感じられるようになったからこそ、彼らと比較をして「自分の存在意義とは何なのか?なぜ、自分はうまくいかないのか?」と暗い気持ちになってしまうのかもしれない。(僕だってつい比較してしまうことがある)
一方、自分よりも金を持っていないやつ、社会的地位が低い(と思い込んでいる)やつ、うまくいっていないやつを攻撃するのは簡単だ。そして、そうすることで、一時的に気持ちが楽になったり、快楽を得たり、気分が高揚したりするのであろう。そうすることで、「自分よりも下の奴がいるんだから、自分にはまだ価値がある」と自分を安心させられるのかもしれない。
ただ、現実をみてみよう。以下にその行為が虚しいかがわかる。自分より下であると決めつけ、馬鹿にし蔑んだところで現状というのは何か変わるのだろうか?今の状況から一歩でもプラスに働くのだろうか?僕はそうは思わない。
仕事で時給が100円でもアップするのか?自己肯定感を高めることはできるのか?生きやすくなるのか?違うだろう?そんなもんは一時的でしかないし、また時間が経てば自分の価値を感じられなくなる、他人を許せなくなってまた誰かを攻撃することを繰り返すだけだ。それで人生がずーっと過ぎていく。
もちろん、人それぞれの人生だから極端に言ってしまえば「ご自由にどうぞ」ということなのかもしれないが、その生き方は自分にとっても得じゃないし、何より社会全体にとってもいいことはなに一つもない。
考えてみてほしい。蔑まれ馬鹿にされた人間がいたとしよう。その人は気持ち的に少し弱っていて今は少し休憩していたのかもしれない。なかなか一歩が踏み出せずにそれでもどうにかしたいという焦っていたのかもしれない。うまくいかない人、お金がない人、動けない人には各々に事情がある。そこに自分を否定されるような言葉をかけられる。どうなるだろうか?その人は前向きな気持ちになるだろうか?じゃあ、頑張ってやろうと果たして動き出せるだろうか?僕はそうは思わない。
むしろ、ますます自分の価値を信じることができなくなり、社会との距離を置いてしまうのではないか?自分の価値を信じたいがために他人をあざけわらう行為。これは、結果的に多くの人間を傷つけ、自己否定に追い込み、社会に損失を与えるのではないだろうか?
さて、ここで冷静に考えてみてほしい。どっちの社会がいい?
一度や二度失敗したとしても、今は立ち止まっていても「前に進もう」「もう一回やろう」と本人が思えて周りもそれをサポートし続ける社会。
いったん失敗したら、自分の価値を信じられなくなり、他人や社会からは「価値がない」「全部お前のせいだろうが」と責められ続ける社会。
別に僕は聖人じゃあない。人の悪口だっていうし過ちもいっぱい犯してきたが、どっちの社会がいいのかと問われれば胸張って後者と言えるよ。弱者同士で足引っ張って、誰かが落ちていくさまをにんまりと見つめるのなんてごめんだ。そんな社会はくだらないと思っている。
弱い者を蔑み、価値がないとあざけ笑い、自己責任でしかないと責め続けることで社会はプラスに働くのか?このシンプルな問いに対してもう一度考えてみてほしいし、僕もそうならないように気を付けたい。