「酒は飲んでも飲まれるな」という言葉がある。酒を飲みすぎることで、理性を失い誰かに迷惑をかけたりすることから生まれた言葉であろう。まさにとうなずきたくなる言葉だと思う。
だが現実的に酒は飲んでも飲まれるなという言葉は役に立たないことが多い。なぜなら、「酒を飲みすぎると誰でも飲まれてしまうからだ。」ちょっとの酒ならいいが深酒をすれば大抵の人間が理性を失い、ふだんの自分とは違う姿をさらけ出す。
ある者は泣き上戸、ある者は笑い上戸、怒り上戸といった具合に、酒を飲みすぎなければ出てこないであろうその人の隠された一面が表に出てくるというわけだ。そんな人間に対して「酒は飲んでも飲まれるな。」と忠告したところでその言葉が届くわけがない。「そんなの関係ないよー。飲もうぜ!ウェーイ!!」と理性は麻痺しよく分からないノリのようなものが発動される。そして、酒に飲まれた日のことは何も覚えてないことすら多い。
なぜ僕がこの「酒は飲んでも飲まれるな」という言葉が役に立たないと思うのだろうか?それは酒に飲まれてきた父親の存在があるからだ。
ベロベロになり、血まみれで帰宅した父親
父親は60半ばだが、未だに外で知り合いなどとお酒を飲むことがある。ある日、いつものように知り合いと酒を飲みに行った父親だったが、夜遅くになっても帰ってこない。
こういう時は危ない。これまでも、帰宅時間が遅くなればなるほどベロベロに酔っ払い、前後不覚、家族に言葉の暴力を浴びせたりしてきた父親だ。別にアル中ではないのだが、深酒をすると人格が悪い方にチェンジすることを、僕は長年の経験からそのことがわかっている。
彼がサラリーマン時代には連日連夜酔っ払い家族に暴言を吐いたりしていて、すごく嫌な思いをしたことがあり僕の中ではいまだに父親と酒が結びつくとろくなことがないという思いがあるわけだ。
そんな時は顔を合わさずにさっさと自室に退散するに限る。ベロベロになった状態で顔を合わすと何が怒りの着火剤になるかわからない。いきなり難癖をつけて怒り始めることもある。「触れざる父にたたりなし」なんて言葉はないが、酔っぱらった父親に接しないことが唯一の対処法であることを僕は理解している。
案の定、日がかわるかどうかという時間に父親は帰ってきていた。酔っ払い独特(あるいは父親独特)の「フゥー。」というやたらと大きい呼吸を繰り返すことから「あ、やっぱり酔っぱらってるな。」ということを確信するには十分であった。
そのため、この日は父親とは顔を合わさずに彼が寝静まることで事なきを得たわけだ。まぁ、ここまではいい。平和で良かったねでおしまいだ。
ただ、僕には嫌な予感があった。というのも以前父親はベロベロに酔っぱらってどこかで転んで、まぁまぁの出血をした状態で家に帰ってきたことがあったからだ。
酔っぱらいだからどこで転んだかも覚えていない、アルコールのせいで痛みもマヒしている。本人からしたら大したことないのだろう。だけど客観的にみると「ちょっと引くわ‥‥‥。」というレベルのケガであった。結果的に夜中に車で病院まで連れていき、傷口を縫うはめになったのだ。もしかしたらまたあの時の悲劇が繰り返されているのではないか?と僕は思った。
とはいえ、帰宅してから父親とは顔を合わせていない。いやっ、正確にいえばトイレに行った際にリビングでテレビを見る父親の姿を目にしているが、それは後ろ姿だったのでケガをしているかどうかはうかがい知れなかった。
「確かめねばなるまい‥‥‥。」
父親が酔っぱらって帰ってきた次の日の朝、僕はグーグ―とイビキをかく父親の部屋のふすまをほんの少しだけ開けて、隙間から彼の様子を除いてみた。
「やっぱりか‥‥‥。」
ふすまの隙間から見えた父親はスヤスヤと眠りについていた。だが、その顔にはパックリと開いた傷と、既に固まった血が随所にこびりついていたのだ。
※あくまでイメージ図です。
しかも目の周りには青タンのようなものもできていたのだ。
その後父親が起きてきたあとに確認してみたところ、さらに顔だけでなく手も青く変色し少し腫れていた。
「昨日何があったか覚えてるの?」と聞いてみるが、全く記憶がないらしい‥‥‥。ふぅ、やれやれだぜ。まぁおそらくは酔っぱらってベロベロになったところ足がもつれてどこかでぶっ倒れたんだと思う。その際受け身もとれず顔面と手を地面に打ち付けたのではないかと予測した。
とはいえ、それはあくまで予測に過ぎない。もしかしたら父親が酔っぱらって誰かに悪態をつきぶん殴られたりしたんじゃないか?とも思った。いくら酔っぱらっているとはいえ、そんな大胆に転ぶことがあるかね?と思ったからだ。だが、誰かに殴られたならさすがに帰ってこれないだろうと思うし、多少なりとも覚えているんじゃないかと思う。まぁそうでないことを願うばかりだ。
ただなんといっても「彼は昨晩の記憶がまったくない」のだ。これが恐ろしいよね。なんせ酔っぱらった時の父親の沸点はものすごく低い。もしかしたら何かの拍子で人をぶん殴ってる可能性だってあるわけで‥‥‥。そう考えるといくら楽しいとはいえ記憶がなくなるまで飲み過ぎるのはやっぱり考えものだなと思う。もちろん、気分が良くなる程度に飲むのは僕も大賛成なのだが‥‥‥。
酒に飲まれないための仕組みが必要。
父親は今回の件だけでなく何度も酒で失敗をしている。その度に家族に注意され、特に母親にはこっぴどく怒られてきたし、おそらくその度に父親も反省はしてきたのだと思う。
でも、やはりだめなのだ。いくら反省したように見えてもしばらくするとまた今回のようにお酒の魔力に負けて前後不覚に陥ってしまう。結局のところ酒というのは飲み過ぎてしまえばそんな大人の自制心など簡単に消し飛ばしてしまうぐらいの力を持っている。
実際優秀だとされる人間が酒に飲まれ失敗をするケースをちょいちょい目にすることもある。「なぜあの人が?」というような人物が酒に酔った勢いで訳のわからんことをするわけだ。もしかしたら普段自制心で無理やり押さえつけられているものが、アルコールの力によって解き放たれてしまうのかもしれない‥‥‥。
もちろん世間にいる大多数の人がお酒とうまく付き合えているのだと思う。記憶をなくし前後不覚になるような飲み方をする人間はまれな方だと思う。だが、そういう人がいるのもまた事実。
そうなるとやっぱり酒に飲まれないための仕組みが必要だと思う。まぁパッとすぐにいいアイディアが思いつくわけでもないが、たとえばお酒を2杯飲んだら次はコップ1杯の水を飲むとか。一緒に飲みに行く酒に飲まれないタイプの人にあらかじめ飲み過ぎにそうになったら指摘してもらうとか、飲む時間は自分が記憶を失うぐらい深酒をしない時間にするとか、タイムリミットを2時間までにするとかね。
そんな風に上手くコントロールしないときっと、この先も酒に飲まれる人は飲まれ続けるのではないか?と長年父親が酒で失敗をする姿を見ていて思った。そして僕も決して酒に強い方ではないので、自戒の意味も込めて今回は書いてみた。
最後に
勘違いしてほしくないが、僕はお酒を悪者にしたいわけじゃない。僕自身お酒を飲むことはとても好きだし、学生時代はけっこうな頻度で友達と飲みに行ってたと思うし、それなりに酔っぱらってバカなこともした。
ただ、やはり前後不覚になるような飲み方だけは注意した方がいいと思う。記憶を失い次の日に何も覚えていなかったとしても、その記憶がない時に何かマズいことをすればその責任はアナタが背負うことになる。
僕の父親だって転んで血を流した程度でよかったが、仮に道路で熟睡などしていたらそのまま車にひかれて死ぬ可能性だってあるわけだ。実際そういう交通事故のニュースを時々目にすることがあるだろう。
気持ちよくお酒を飲んでいたはずが、気づいたら命を落としていたななんて笑えやしない。
逆に気持ちよく飲んでいたはずなのに、酔った勢いでカッとなって誰かを傷つけることもあるかもしれない。いくら記憶がないとは言っても、やったのは自分なわけだから下手すりゃ警察に捕まる。それだけじゃなく、相手に何か障害が残るような怪我でも追わせたら後悔してもしきれないだろう。それは酔っぱらって前後不覚に陥らなければもしかしたら防げたかもしれないのに‥‥‥。
まぁちょっと煽り気味になってしまったけど、もしあなたが酒に飲まれ過ぎているなぁという自覚があるのなら、今は何も起こってなくてラッキーだと思った方がいいかもしれない。
「酒は飲んでも飲まれるな。飲まれる自覚があるなら仕組みを作って飲み過ぎを防ごう。」
けっこう長くなったけど言いたいことは言えました。みなさん、楽しい飲酒ライフをお過ごしください♪
それでは今回はこの辺で。
最後までご覧いただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いします♪