今回は僕が最近読んだ本の中でとても影響を受けた本をご紹介してみようと思う。
この本からは成功したいという人だけでなく人生を豊かにするうえで参考になる考え方を学ぶことができる。
人間の思考と行動の3類型
まずこの本で覚えておきたいのが人には3つのタイプがいるということ。それは
ギバー、テイカー、マッチャ―の3タイプ
各タイプを簡単に説明すると、
「ギバー」はギブ・アンド・テイクの関係を相手の利益になるようにもっていき、受け取る以上に与えようとする。他人を中心に考える人だ。
※ただし決して与えるだけではない。あくまで受け取る以上に与えるのがギバーである。
「テイカー」は常に、与えるより多くを受け取ろうとする。ギブ・アンド・テイクの関係を自分の有利になるようにもっていき、相手の必要性よりも自分の利益を優先する。こちらはギバーとは逆で自分中心に考える人である。このタイプの人は自分がもらうことを一番に考える。
「マッチャ―」は常に‶公平‶という観点に基づいて行動する。
人を助けるときは見返りを求めることで自己防衛する。
与えることと受けとることのバランスをとろうとする人がマッチャ―である。
世の中にはこの3タイプがいるというのがこの本の基本的な考え方である。
読者の方の中にはこの3タイプを聞いてもしかしたら身近な人の事を思い浮かべたかもしれない。「あの人はこのタイプだな。」と。そういう読み方をするとより本書の内容が頭の中に入って来るかと思う。
そういった3タイプのなかでも本書ではこれからは「ギバー」になることで成功をつかめる可能性が高いということをデータと具体的な事例をもとに説明をしている。
まずデータを見てみると面白い。ギバーというのは与える人だ。与える人というのは割を食うことが多い。時に与えることを優先しすぎて自分の成功や履歴を犠牲にしてしまうことがあるからだ。
実際本書の中でも
「成功から程遠い位置にいるのは、ほとんどがギバーだ。」
ということが語られている。早速ギバーが成功するという話にケチがついた。
「おいおい、話が違うじゃないか?ギバーの人が成功するんじゃないの?与えてるのに成功しないなんて意味ないじゃないか??」
そう思う人もいるだろう。これには続きがある。著者はこうも述べているのだ。
どうやら成功から最も遠いのはギバーのようだが、では、成功を収めるのはテイカーだろうか。それともマッチャ―だろうか。
実は、そのどちらでもない。データをもう一度見て、わたしは驚くべきことを発見した。何と、それもギバーだったのだ。
本書ではエンジニアの話を例に挙げているが、生産性が一番低いのもギバーであるが、最も生産性の高いエンジニアもギバーである。別の事例で販売員も同じように売り上げが低いのもギバーだが最も売り上げが高いのもギバーであったということが書かれている。売り上げが高いギバーはテイカーやマッチャ―よりも平均50%も年収が高いというデータもあるらしい。
同じギバーなのに生産性や売り上げが低いギバーもいれば、逆に最も高い位置にいるギバーもいる。ではなぜ低い位置にいるギバーと高い位置にいるギバーがいるのだろうか??その辺りの違いも本書を読むことで理解することができる。ここではただ、与えるだけでは駄目だということだけは述べておこう。
ギバーになれるのはどんな人?
ギバーが成功を収めるとしたら、ではどんな人がギバーになれるのだろうか?
まず即効性や、確実性を求めている人は、ギバーにはなることができない。これは大前提である。
自分が何かを教えたり、何か価値を与えてすぐに見返りを求めてしまう人はギバーとは呼べない。
なぜならば「与える人が成功する」というロジックは、現象として起きるまでに非常に時間がかかる。ギブの後テイクが起こるのはずっと先の話なのだ。
そしてその恩恵というのは思いがけず来るものである。決して意図的に計算してできるものではないということも頭に入れておくといいだろう。
先ほど例に挙がった販売員で考えてみよう。ギバーの販売員というのはお客様の事を第一に考える販売員の事だ。仮に洋服を売っていてお客様が「○○の時に着られる洋服がほしい。」と話しかけてきたとする。
ここで先ほどのギバー、テイカー、マッチャ―では対応が分かれてくるだろう。ここからは僕の予想だがおそらく3つのタイプではそれぞれ対応が違ってくるはずだ。
まず、テイカーの販売員の場合。
テイカーというのは自分の利益を第一に考える。この場合の利益というのは短期的な売り上げと考えてもいいだろう。店によっては「1日○○万円」というノルマのようなものがあるかもしれない。テイカーの場合まずそのノルマを上回ることを第一に考える。
その為、極端なことを言えば
「たとえ、お客様の要望に合った商品がなかったとしても巧みな話術で商品を買わせてしまう」
なんてこともあるかもしれない。ほんとに極端な例でいえば「より高いもの、つまりは自分にとって売り上げが上がる商品を売りつける」ということもあるわけだ。
この場合、確かにお客様はその場では一応納得して商品を購入したかのように見える。テイカーからすればいっちょ上がりとなるかもしれないが、時間がたつにつれて状況は変わってくる。
もしかしたら経験したことがある人もいるかもしれない。
「なんだこの服?よく考えたら全然自分に似合ってないし、用途にもあってないじゃないか。それによく考えたら結構値段も高いよ。店員のうまい話術にのせられてしまった。もうあの店では買わない!!!」
相手の利益の事を考えていなければ、当然相手は不利益を被ることになる。この場合「値段が不必要に高い。」「そもそも用途に合った服ではない」といったことが不利益に当てはまるかと思う。
こうしてテイカーは短期的な目先の利益のために一人のお客様を逃してしまうこととなった。おそらくこのお客様はこの店には二度と行かないだろう。一回こっきりしか来なければ売り上げはたかが知れている。あるいは、お店の商品自体は好きだったとしてもその販売員からは商品を買わないに違いない。どちらにせよテイカーの販売員は長期的な利益を失うこととなる。
マッチャ―の人ならどうだろうか?マッチャ―はバランサーだ。自分の利益とお客様の利益をバランスよく考えられる人である。
先ほどの例でいえばマッチャ―は無理やり高い商品のものを売りつけたりはしないだろう。おそらくではあるが「店の中にある商品の中で最もお客様の要望に近い商品」というものを選び出して提案するはずだ。(僕の勝手な想像)
それにより、お客様も一定の満足を得るし、自分にも売り上げが入る。場合によってはリピーターになるお客様もいるかもしれない。ほどよく与えほどよく受け取る。テイカーのように自分の利益中心ではないバランスのとれた対応だ。
では、最後にギバーだったらどうするだろうか?
仮に先ほどのお客様への対応をした場合ギバーならこんな事を考えるかもしれない。
「お客様が欲しがっている洋服はうちの店のテーマとはちょっと合わないかもな。ん?そういえば近くの○○というお店なんかこのお客様が要望されている商品が揃っているなぁ。」
あくまでお客様の利益を第一に考える。そしてこんな事を言うかもしれない。
「お客様。大変申し訳ございませんが、当店にはお客様のご要望に沿えるような商品がございません。しかし、近くの○○というお店でしたら値段的にも手ごろでお客様の要望に沿った商品が揃っているかと思います。そちらのお店をご覧になってみてはいかがでしょうか??よろしければお店の簡単な地図などもご用意させていただきます。」
自分の利益を第一に考えたら自分の店で自分から商品を買ってもらうのが一番だ。しかし、ギバーは他人の利益を第一に考える。つまり、別に自分から買ってもらわなくても「お客様の利益になればOK」というスタンス。そのためにお客様に最も利益になることが自分のお店以外の店舗から商品を買うことであればそちらを選択する。それがギバーである。
そういう対応をしてもらったお客様はその場では商品を買わないだろう。しかし、ギバーの親切で思いやりのある行動は記憶されている。
「あのお店の○○という店員は客の事を第一に考えている。」
そして、おそらくではあるが今後そのお客様はギバーのお店に再び来店することだろう。場合によっては長期的なリピーターになってくれるかもしれない。長期的なリピーターになってくれれば当然売り上げも長期的に発生することとなる。まさに見返りは遅れてやってくるという状態だ。
これは本書には書かれていないが僕なりに考えた一つの例だ。そうとう極端な例だがギバーとテイカーとマッチャ―の対応を考えてみるとこういう感じになると思う。
ちなみにあなたがお客ならこの3タイプの中でどの販売員から接客を受けたいだろうか??どの販売員から商品を買いたいだろうか??考えれば自ずとわかるだろうし、ギバーの売り上げが最も高い位置にいるという理由もなんとなくわかるはずだ。
ギバーのパフォーマンスの二極化
ではただただ与え続けていればいいかというとそういうわけではない。平均的なパフォーマンスが最も高いのはギバーのグループだったが、もっともパフォーマンスが低いのもまたギバーのグループなのである。
ではその違いはなんなのだろうか?
成功するギバーは「自己犠牲」のタイプではなく、「他者志向的」タイプのギバーである。
自己犠牲タイプのギバーというのは自分の利益の事をあまり考えていないタイプのギバーである。本書ではこんな人が自己犠牲的なギバーであると書かれている。
自分自身のニーズを省みず、時間とエネルギーを割いて、そのツケを支払う。むしろ虫無欲に与えることは病的な行為であり、生物学者のバーバラ:オークレイは「病的なまでに他人に尽くすあまり、自分自身のニーズを損ねること」と定義している。
本書では具体的な例として「自己犠牲タイプ」の大学生を挙げている。この大学生は学期がすすむにつれて成績が下がってしまっていたらしい。何故だろうか??
彼は友達の問題に時間を割きすぎてしまって講義に出れなかったり勉強をする時間が取れなかったからなのだ。つまり、相手の利益のために自分の時間を与え過ぎてしまい、その結果自分を犠牲にしてしまったというタイプである。
これでは与えれば与えるほど自分自身は辛くなるし、やがて燃え尽きてしまうだろう。
ボロボロになって自分の利益を失ってまで与え続けるというのはまさに犠牲的である。
一方「他者志向的ギバー」というのはどういうタイプなのだろうか??このタイプは先の自己犠牲タイプとは違い、自分の利益を見失わないというところがポイントである。
先ほどの大学生の例で考えてみると他者志向的ギバーは講義のにはしっかりと出るし、勉強の時間も確保する。自分の時間が全くなくなるというようなボロボロになるような与え方はしない。それは自分自身が犠牲になってしまうということが分かっているからだ。
「自分のことも考えつつ他者への利益を追求する」
並はずれた犠牲は必要ないのだ。自分自信が大切であるということは忘れてはいけない。自分を大切にしつつ他人の利益のために行動することを心がける人。それが成功するタイプのギバー、「他者志向的タイプのギバー」であると言えるだろう。
またカーネギーメロン大学の心理学者ビッキー・ヘルゲソンという人の調査でも自己犠牲的であるよりも他者志向的な方がいいという結果が出ている。
他人のことだけでなく自分自身のことも思いやりながら、他者志向的に与えれば、心身の健康を犠牲にすることはなくなる。
与えることは義務でなく楽しみへ
何かを与えるという行為について「与えなければならない」と義務的であっては気力が落ちたり、モチベーションが低下してしまう可能性が高いと書かれている。
では逆に与えることで気力が回復したり、モチベーションが上がるのはどういった場合だろうか??本書ではこう書かれている。
心理学者のネッタ・ウェインスタインとリチャード・ライアンは与えることによって気力が回復するのは、義務感からするのではなく、楽しく有意義だと感じる場合にかぎることを証明
この辺はすごくシンプルなことである。
「自分が楽しいかどうか?」
いくら崇高なことをしていても、社会的に意義があることをしていても「自分が楽しくない、義務的で目的もはっきりしない」ことに対してモチベーションを上げろというのは相当難しい。その状況で与え続けてもやがて燃え尽きるか、嫌になってしまうだろう。
それではなくてシンプルに自分が与える行為が楽しいかどうか??それが燃え尽きずモチベーションを保ちながらギバーでいられる条件だと思う。楽しければ燃え尽きることもなくどんどん与えることができる。結果的にそれが自分の評価や評判に繋がり、成功あるいはいい方向へと繋がっていくのだと思う。
まとめ
- 人にはギバー、テイカー、マッチャ―の3タイプがいる。
- ギバーの人が成功する可能性が高い。
- ギバーになるには即効性や、確実性を求めてはならない。見返りは遅れてやってくる。
- 「自己犠牲タイプ」ではなく「他者志向的タイプ」のギバーになろう。
なかなか難しいかもしれないが、今後は僕も
「人に与えること」
というのを意識していきたいと思う。自分を大切にしつつでも他者の利益を追求する。なかなか貫き通すのは難しいかもしれないが、今後の自分の行動指針としていくつもりだ。
とても読み応えがあり、なおかつ「自分もギバーになりたい」と思わせてくれる一冊だ。興味がある方はぜひ読んでみてほしい♪図書館にもあると思うのでお金がない方は借りてみてください♪
それでは今回はこの辺で!!
最後までご覧いただきありがとうございました!
次回もよろしくお願いします!!