オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

『PLAN75』安楽死制度が導入された日本を描く

以前、SNSか何かで誰かが『PLAN75』の感想を述べていて気にはなっていたんですよね。作品は75歳以上の人たちに自らの生き死にを決める権利を与える「プラン75」という制度が当たり前になった日本が舞台。この制度の対象者である78歳の女性を主人公として、制度をすすめる役所の人間や、利用者に関わる人たちの群像劇を描いています。

 

 

 

概要だけ見ると、テーマは重いし人によってはしんどくなるかもなぁと思いつつ、僕はこの映画を観ていてアレコレ考えることもあったし、結果的に「観てよかったなぁ」と思えたので、今回はこの映画の感想を書いていきたいと思います。

 

※ここからはネタバリありなのでご了承ください

ハードルが低すぎる安楽死制度という問題

この映画は先述したように「プラン75」という制度が、日本に導入された社会を描いてます。まぁ、この制度は平たくいえば安楽死制度ですね。75歳になったら自分で生きるか死ぬか選べると。ただ、この制度は実際に安楽死するためのハードルがメチャメチャ低いんですね。具体的にはこんな制度です。

  • 役所に申請すればいい
  • 住所はなくてもいい
  • 無料で使える。遺言信託や、葬儀、お墓の手配をしてくれる
  • 24時間相談可能の電話サポート
  • 自分だけで決められる。家族や医師への相談や了承はいらない

ねっ、ハードル低いでしょ?ちなみに、現在の日本では安楽死制度は導入されてませんが、ヨーロッパの国々では導入されてたりもします。例えばオランダなんかはこんな条件付きで安楽死を認めています。

 

  1. 患者自身による熟慮された要請がある

  2. 患者に絶望的で耐え難い苦しみがある

  3. 患者に対して、現状や予後について十分な情報が提供されている

  4. ほかに合理的な解決策がない

  5. 実施した医師のほかにもう一人の医師によるセカンド・オピニオンを行う

  6. 生命の終結を行うにあたり、医療的に注意を怠ることなく実行した

引用元:オランダでは年間1万6千人以上が安楽死を依頼する!その条件とは?日本では法律的に認められておらず|ニッポンの介護学|みんなの介護求人

 

見てもらうとわかるように、結構厳格でしょ?越えるべきハードルがいくつもあります。そりゃ、そうですよね。だって、一旦実行されたら二度とやり直しがきかない命の問題ですから。慎重に慎重を重ねなきゃならないわけですよ。

 

ところが、作品内の「プラン75」という制度のあまりのハードルの低さですよ。一応、75歳という年齢の区切りはあるけども、他に条件が一切ないんですよ。しかも、CMまで流してさ、赤ん坊の映像の後に「未来を守りたいから」なんて文言を入れてのナレーション。そんで、その後には「この制度を利用するのに迷いはなかった」なんて、実際に利用を決めた人にこの制度の良さを語らせてたりするわけです。一見すると、とても高齢者に寄り添ってるように見えるけど、この「未来を守りたいから」って文言がある時点で、つまりは「未来ある子供のためにお年寄りはわかってるよね?」っていう圧なわけですよ。

 

おまけに利用者には支度金10万ですよ。お金までくれちゃう。そりゃ、その後に国が負担する介護費やら医療費やらに比べたらもう「ご利用ありがとうございます」ですよね。この辺、とてもうまいし姑息だなぁと思います。10万だったら、死ぬ前にパーっと美味しいもの食べてとか、ちょっと旅行してみたいな使いやすい額だし。なんなら最後にちょっと得した気分を味わえちゃったりする。

 

一応、プラン75は自分の意思で利用を決められます。でもさ、こういう「未来のために」みたいのとか、あとは「迷惑かけちゃいけない」みたいな圧とか世間の空気があったら、それって果たして自分の意思って言えるんかなって。自分で選んでるようで、誰かから選ばされてるじゃんって思うわけですよ。しかも、選ばされてるとは思わないように、親切さとか寄り添いをアピールしつつ周到にね。気持ち悪いなぁって思います。

 

ただでさえ、日本って国は「空気を読む」とか「世間体」とか「同調圧力」みたいなものが強いなんて言われてるわけですよね。そんな国で、こんな制度が通っちゃったらほんと続々と使っちゃうのでは?と思って怖くなりました。まぁ、あくまでフィクションではあるけども。

 

数字やカテゴリーとして見るか人として見るか

本作の主人公は78歳の角谷ミチという女性だけど、彼女以外にも役所に勤める岡部ヒロムや、「プラン75」を利用する人からの電話を受けるコールセンターで働く成宮瑶子、フィリピンから来た介護士(後にプラン75の施設で働く)マリアの視点も描かれます。

 

岡部や成宮は当初、この制度を当たり前のように受け入れちゃってるんですよね。機械的に制度の利用を勧めるし、機械的に利用者をサポートをするわけです。彼らにとって、「プラン75」の利用者は単なる高齢者というカテゴリーに属する人でしかないわけです。ところが物語が進むにつれて、それぞれが単なる高齢者の1人とではなく、名前と人生がある1人の人間と向き合うことになります。

 

岡部の場合、行方不明になってた自分の叔父が制度の利用申請をしにくるんです。叔父は仕事と家を失っての申請です。成宮は角谷と実際に会って身の上話をしたり一緒に遊んだりする。それまでカテゴリーとしか見ていなかった高齢者の顔がはっきりし、名前とその人となりが見えてくることで、機械的に対応ができなくなっていきます。

 

この辺りの描写を観ていてふと、ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』という映画を思い出しました。こちらは病気をして失業した男が、イギリスの複雑な制度にたらい回しにされて追い詰められるって話です。こっちも単なる一人の失業者という、カテゴリーや数字で扱われることの冷たさみたいなものと、人との交流で希望を取り戻していく様子が描かれます。タイトルの『わたしは、ダニエル・ブレイク』っていうのはまさに、「自分はダニエル・ブレイクという名前のある人間なんだぞ!」っていう主人公の叫びですよね。

 

もちろん、行政システムっていうのは法律に則って機械的に処理が行われるものだし、そこにいちいち感情を挟んでいたら仕事にならない面もあります。ある種の冷たさみたいなものも必要ではあります。でも、あまりに機械的な合理性とか効率性とか生産性といった考え方に侵食されすぎてはいないか?機械的からいつの間にか機械になっているのではないか?そんな疑問を本作では訴えているように感じました。そんな世界は息苦しい。

 

そして、今の日本という国は政治家が特定のカテゴリーの人たちに生産性がないとか軽々しく口にし、その意見に乗っかる人が一定数いるわけです。一見、荒唐無稽な制度と社会のようですが、遠いようで遠くない。そんな世界を描いているように思いました。

 

まとめ

今回は『PLAN75』という映画の感想を書いてみました。個人的に本作のテーマとかメッセージは刺さりましたし、改めて高齢化社会の問題とか生産性とかそういうものを考えるきっかけになったと思います。

 

個人的には「プラン75」の非人道性とか欺瞞の部分を、もう少し具体的な描写で表現したりしていたら、より良かったのかなぁなんて思ったりもします。ちょっとリアリティがないなぁと思う場面もあったりしたので。

 

その辺も含めて、ぜひ本作をご覧になってあれこれ考えてもらえたらなぁと思います。興味がある方はぜひ!

 

 

参考サイト

早川千絵監督が語る『PLAN 75』 理不尽さに対する若い人たちの気づきこそ希望と感動につながる - otocoto | こだわりの映画エンタメサイト

脚本賞 早川千絵「PLAN 75」 弱者切り捨て社会への違和感 苦労して形に:第77回毎日映画コンクール - ひとシネマ

『PLAN 75』が示す不寛容な社会に対する危機感と、そこにある希望 - TOKION

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