先日ニュースを見ていたらこんな事件が目に飛び込んできました。
男子学生、爆発で自殺図る? 名古屋大学生寮の火災:朝日新聞デジタル
志望した男子大学生は学業のことで悩んでいて、それを苦に自殺をした可能性があるとのこと。
まだ捜査中なので、何とも言えないところですが仮に学業を苦に自殺したのというのが事実であるならばこんな悲しいことはないと思います。
学業とは自分の命を捨ててしまうほど重たいものなのでしょうか?僕にはどうしてもそうは思えないんです。
「学業のことで死ぬことなんてない」
人の命は地球より重いなんて思いませんが、学業よりは確実に重い。(僕が学業に不真面目だったというのもあるのかもしれませんが)
この学生は両親がわざわ訪ねてきたほどなので、おそらく相当悩んでいたのでしょう。もしかしたらちょっとノイローゼっぽくなってしまって精神的に追い詰められていたのかもしれません。
彼はひょっとしたら両親がこちらに来た時すでに自ら死を選ぶことを決意していたのかもしれません。なんにせよ、ひとりの若者が自らの命を絶ってしまったのかもしれないと思うと胸がとても痛みます。
逃げてもいい、辞めてもいい、方向性を変えてもいいという考えが必要
僕には亡くなった大学生が何について悩んでいたのかわかりません。学業のことで悩んでいたとは言われていますが、はっきりとした理由は不明です。
学業と言っても成績が悪いことに悩んでいたのか、あるいは選んだ学部の勉強に興味が持てなかったのか、留年したことに悩んでいたなんて話もあるし、はたまたゼミなどで人間関係が悪かったのかもしれない。もしくは複合的な要素が絡み合っていたのかもしれません。(あくまで想像です。)
でもどの理由であっても僕が言いたいことは明確です。
「死んでしまうぐらいつらいならそんなものは全部捨ててしまっていい。」
たとえ親に止められようが、他人や社会にどーのこーの言われようがそんなものは一切気にしなくていい。だって、自分の命の方が大事じゃないか?僕はそう思うんです。
仮に留年したのならもう1年ぐらい通ったところで何の問題もないし、勉強していることに興味が持てないのなら、別の学部に映ることを検討してもいい。もしくは今の大学では満足できないのなら他大学へ入り直すことを考えてもいいでしょう。
命を捨てる前に出来ることはたくさんなる。選択肢は他にもある。まずそのことを認識するべきです。
「いやっ、死にたいと思っている人はそう冷静に考えれないから死んでしまうんだ。」
そう考える人もいるでしょう。確かにその通りだとも思います。追い詰められた人は思考が停止してしまう、極端に視野が狭くなってしまい冷静に物事を判断できなくなってしまうことがあります。
だったら、ここで必要なのは追い詰められてからの対処法を学ぶこともそうだけど、「追い詰められる前の段階で踏みとどれるようにする」って事が大事なのではないでしょうか?
具体的に言うと時には「逃げてもいい」「辞めてもいい」「方向性を変えてもいい」という考え方をもっと浸透させることだと思います。(常にではなくて時にはです。)その考えが普段から頭にあれば、追い込まれる前に別の道を考えられるのではないでしょうか?
日本だけなのかどうかわかりませんが、どうも「初志貫徹することが素晴らしい」とか「辞めてはいけない」「逃げてはいけない」「一度決めたことは最後までやりきること」という考えが強すぎる気がしていて、それが人々を追い詰められる原因の一つだと思うんですね。特にまじめな人はこの考えに縛られ過ぎてしまっているように思います。
もちろん初志貫徹することも、辞めないことも、逃げないことも、一度決めたことを最後までやりきることも素晴らしいとは思います。学業もスポーツも趣味もなんでもそうですがあまりにもすぐに投げ出してしまえば何も身につかないままです。
でもある程度継続して「これは自分には向いてない。」とか「自分はこれを続けるのがつらくてしかたがない」となった時にも初志貫徹して続けることははたして必要なことでしょうか?僕はそうは思いません。
「辞めたり方向性を変えるなんて情けないことだ。」と思い込み自分をだましながら日々を過ごしていく。それが行き過ぎて本人を追いつめ、心が病んでしまったり自らの命を絶ってしまうようになるならその考えって害悪でしかないと思うわけです。
であるならば時には「逃げてもいい」「辞めてもいい」「方向性を変えてもいい」という考えを浸透させることで、追い詰められる人というのは少なくなると僕は思っています。
ノーベル賞受賞者も方向性を変えてうまくいった
ものすごく有名な話かもしれませんが、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授も方向性を変えてうまくいったうちの一人です。
山中先生はもともと整形外科医を目指してトレーニングを積んでいました。ところが他の人が簡単にやっているように見える手術でも、山中先生がやるとうまくいかない。人が早く終わらせる手術でも山中先生がやるとものすごく時間がかかってしまう。そのうちだんだんと「自分は整形外科医に向いていないんじゃないか」と思うようになるんです。
そこで山中先生が選んだのが研究者の道。大学院に入り直した彼はのちにiPS細胞でノーベル賞を受賞をするわけです。もちろん研究の道で人一倍努力をしたのは言うまでもありません。
ここで言いたいのはもし山中先生が「いやっ、自分は整形外科医になりたかったんだからここから逃げてはダメだ。」と整形外科医に固執していたらどうだったかということです。
ある程度は手術の技術も向上していたでしょう。でもそもそもが不得意な分野だったわけでおそらくものすごく努力をしても人並み程度にしからならなかったはず。それどころか「何て自分はダメなんだ。」と追い詰められてしまっていたかもしれません。
続けることは大事だし、成長しようと努力することももちろん大事です。でも、本当に向いてない、うまくいかない、どうしようもないということがあるのなら、山中先生のように「今の場所から別の場所へ移ってみる、今やっていることをやめてみる、方向性を変えてみる。」というのも一つの道だと思います。むしろ、その考えを持てた方が追い詰められすぎずもうちょい楽に生きれる、またより自分の得意な分野を見つけることができるのではないかと思っています。
まとめ
今回は自殺を図ったとみられる名大生の事件について思ったことを書いてみました。亡くなった彼は残念ながらこの世にはもういないし、ご冥福をお祈りいたしますという言葉しかありません。
ただもしいま学業もしくは仕事やそのほかのことで「死んでしまいたい。」と追い詰められている人がいるなら、何も気にすることなく逃げてください。
また、そこまで追い詰められていないとしても「逃げてもいい」「辞めてもいい」「方向性を変えてもいい。」ということを頭の中に入れておきましょう。そのことがあなたの命を救う防波堤になります。
あなたの命を犠牲にしてまでその場所にいる必要はありません。あなたの命を投げ捨ててまで続けることに意味はありません。他人はあなたの命に対して無責任です。あなたの命に責任を持てるのはあなただけ。だから他人のいうことなんか気にせず自分の命を守りましょう。そのことをお忘れなく。
※今回のブログはあくまで、名大生が学業を苦に自殺したのではないかという前提の下書かれています。決して事件の動機や死因を断定するものではないのでご了承ください。