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日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

反省させると犯罪者になる!?

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「悪いことや問題を起こしたら反省するのが大事だよね。」

 

こう言われた時に頷く方は多いと思います。反省しなきゃまた同じことをやるに違いない。だから、何よりもまず反省しなければならない。反省から全てが始まるのだと。これは僕らの常識からすると疑う余地のない当たり前のことなのかもしれません。

 

ですが、みんながいいと思っている「反省させる」という行為が実はプラスの効果ではなくマイナスの効果をもたらす可能性があるとしたらどうでしょうか?反省っていいもんだと思っている人からするとちょっと驚きますよね。今回はそんな「反省させる」という行為について注意喚起をしている本とその内容をざっくり紹介したいと思います。 

 

著者の岡本さんは高校で教員を務めた後、刑務所で受刑者の更生を支援された方です。本書は岡本さんのそうした経験をもとに書かれています。

本当に反省してる?

さて、これからちょっとした事例を出すので、この人が本当に反省しているかどうかを考えてみてほしいと思います。

 

とある薬物を使って捕まった芸能人がいたとします。のちに拘置所から釈放されたその人は記者や芸能リポーターなどを集めて記者会見を開きます。

 

「反省しています!今回の事件は私の弱さが招いたものです。もう2度と致しません!申し訳ありませんでした!」

 

深々と頭を下げ謝罪と反省の言葉を述べる芸能人。目には涙を浮かべ髪はボサボサ、顔の血色もよくなく憔悴しきった様子です。彼は反省しているでしょうか?

 

パッと見は反省してそうですよね。涙流して見た目もなんか疲れ切ってたらテレビ越しに「この人反省してるなぁ」と思ってしまいそうです。でも、本当に反省しているかどうか外から見ただけで判断できるのでしょうか?実は単に反省しているように見せるのがうまいだけなのかもしれないわけです。

 

実際、この本で岡本さんは少年院に何度も入った経験のある人は反省の技術がうまくなると述べています。それはなぜか?彼らは何度も指導を受けているため、反省や反省文を書くのに慣れてしまってることが多いそうです。何度も問題を繰り返して指導を受けるうちに彼らは理解するわけです。「なるほど、こういう態度や文章だと反省していると思われるのか」と。

 

罪を犯して少年院なり刑務所に入った人間の心情を考えればわかりますが、彼らは「できるだけ早くここから出たい」と思うことがほとんどです。そのためには、反省していないように見えるよりも、反省しているように見えた方が心象がいいこともわかっている。だから、本当に心から反省しているかどうか関係なく、小手先の技術で反省を表現してしまうわけです。皮肉にもそうした技術にまんまと騙されてしまうケースも多くあります。

 

これは何も犯罪を犯した人だけに限りません。たとえば、学校で喫煙や飲酒など問題を起こした生徒にも当てはまります。こういったケースの場合、生徒を自宅謹慎処分などにして反省文を書かせたりしますよね?その反省文も結局その生徒が本当にどう思っているかよりも「反省しているように見えるかどうか」が重視されます。その内容で、謹慎処分が長くなったり短くなったりするわけですから、生徒だって仮に反省の気持ちがなくても反省しているようにみえる文章を提出するのはごく自然のことです。

 

結局、こうしたケースでもわかるように問題を起こした際に「反省がまず第一」となると人は「とりあえず反省しているように見せよう」という思考になりがちです。なぜならその方が得なことがわかってるから。裁判での心象も良くなるし、教師や親、あるいは何らかの指導者からのウケもいいわけですからね。

 

こういうことを言うと眉をひそめる人もいるでしょう。問題を起こしたのになんてやつだと。では、これは反省していない本人たちだけが悪いのでしょうか?そんなことはないですよね。この社会や僕らが何か問題を起こした人間に対して「とにかく反省の態度を示せ!」となっているのも原因なわけです。

 

反省の前にやることがある

だからといって、反省しなければいいというわけではありません。あくまで順序が逆であるということを岡本さんは言っています。最初は反省ではないんです。まず自分の内面と向き合うことから始めなければなりません。つまり、自分はなぜそういう問題を起こしてしまったのかをしっかりと考えるということです。

 

人が何か問題を起こすとき、そこには何かしら理由があります。何か不満があったり、鬱屈した感情を内に秘めていてそれを解消するために、問題行動を起こしている可能性があるわけです。

 

たとえば、学生で思いつく問題行動には喫煙があります。タバコはかっこいいからとか好きな俳優が吸ってたからとかそういう理由で吸う人もいますが、そうではなくて何かイライラしていたり、満たされていない思いを解消したいから吸う人もいるわけです。

 

でも、そうした生徒に「タバコを吸っちゃダメなんだよ!とにかく反省文書いて反省の気持ちを示せ!」と指導してしまうとどうなるでしょうか。おそらく生徒は丁寧な教師ウケのいい反省文を書いてくるでしょう。そして、そんな反省文を見て教師も「よし!反省しているな」とその生徒を学校に戻すでしょう。

 

ですが、生徒がタバコを吸う原因になった根本のところは何も解決されていません。相変わらずその生徒は不満や鬱屈した思いを抱えたままです。この状態の生徒は果たしてどうなるでしょうか?

 

もちろん、反省して二度と問題を起こさない場合もあるでしょうが、もしかしたらもっと大きな問題行動を起こしてしまう可能性もあります。たとえばイライラして喧嘩をしたりとか万引きなどといったケースに発展する可能性もあるわけです。こうなると喫煙とは違って、被害者がいるわけですから生徒にはより重い処分が下される可能性があります。場合によっては退学ということも‥。はたしてそれは生徒にとっても指導する側にとっても望ましい結末なのかと思ってしまいます。

 

そうならないためにも、本人には「なぜその問題を起こしたのか?」を考えさせることが大事ですし、周囲でサポートする人間も「この人はなぜこんなことをしたんだろうか?」とその理由や背景を一緒に考えていかなければなりません。そうやって、根本の問題を取り除いていった先に本当の反省が見えてくるというわけです。この順番を間違えてはいけないと岡本さんは述べています。

 

最後に

今回は『反省させると犯罪者になります』という本の内容をざっくり紹介してみました。反省させることを第一と考えていた人からすればびっくりする内容かもしれません。ですが、非常に理にかなった考え方だと思いました。確かに反省しているフリで罪が軽くなったり、許されるならうまく反省するフリをする人は出てくるよなと。

 

それは結局問題の根本の解決にもならず、後々より大きな問題につながる可能性もあることもお伝えしました。このブログではざっくり紹介しましたが、本書にはより具体的な対応の仕方が書かれています。ぜひ、親や教師、あるいは誰かをサポートする立場にある人には読んでほしい一冊です。