先日こちらの記事で、現代社会において「人が孤立してしまう理由」を書きました。まぁ、詳細はそっちの記事を読んでもらうとして、もっと大事なのは「どうすりゃ人は孤立せずに済むのか?」ってことだと思うんですよね。
あっ、もちろん自分が一人でいたいとか、孤立することが別に嫌じゃないっていう人は別です。そういう人を無理やりつなげようとかじゃなくて、本当は人とつながりたいし、関係を築きたいのに結果としてつながれずに寂しい思いをしていたり、孤独を感じていたり、しんどかったりする人が孤立しないためにはってことですね。
まぁ、パッとすぐには答えがでない難しい問題ですが、今回も『孤立不安社会』(勁草書房、2018)に書かれていることを参考にしながら、この事について考えていきたいなと思います。
家族ってどうよ?
まず人と人とがつながる上で、パッと思いつくのが家族かと思います。たとえ友人や知人が少なかったとしても、家族をつくることができれば孤立をせずに済むのではと思いました。
ところが、読者の方も何となくご存知のように、日本では生涯未婚率が上昇し続けています。
国立社会保障・人口問題研究所の長期推計によれば、二〇三〇年において、男性の生涯未婚率は二九・五パーセント、女性の生涯未婚率は二二・六%、単身世帯率は三七・四パーセントになるとのことだ。
引用元:『孤立不安社会』p17 石田 光規 勁草書房 2018
超ざっくり言うと、男性のうち三人に一人、女性のうち四人に一人は結婚をしない社会が来るってわけです。もちろん、あくまで推計ではあるのでこの通りにはならないかもしれません。何か対策をとれば未婚率を低く抑えられるかもしれない。その一方でもっと未婚率が上昇する可能性だってあるわけですよね。
となると、「みんな~、家族作ろうぜ!そしたら孤立しなくて済むぜ!」っていう簡単な話ではなくなってきてるってことですね。そもそも結婚したくてもできない人もいるわけで。
かといって強制的に独り身の人を結婚させたり、家族をつくらなきゃダメみたいな空気になっちゃうのは息苦しい。うーん、家族だけで人々の孤立を防ぐことは難しいのかもしれません。
地域でつながるのはどーよ?
ここ最近では、地域にあるコミュニティを通じて人々を孤立させないようにという動きもあるようです。
政府は二〇〇八年三月に地域福祉とコミュニティにかんする報告書を立て続けに発行した。「これからの地域福祉のあり方に関する研究会」による『地域における「新たな支え合い」を求めてー住民と行政の協働による新しい福祉』と「高齢者が一人でも安心して暮らせるコミュニティづくり推進会議」による『高齢者等が一人でも安心して暮らせるコミュニティづくり推進会議(「孤立死」ゼロを目指して)』である。
引用元:『孤立不安社会』p138
だいぶ前に観たテレビ番組では、高齢者が多い街でコミュニティを作ってそこが居場所になっているみたいなことを言っていたし、一定の効果はあるのかなぁと思います。
ただその一方で、これだけ核家族化が進んで、隣に住んでいる人の顔も知らんという社会の中で、はたしてその地域を起点にしたコミュニティとか居場所づくりみたいなのがどこまで効果を発揮するのかは疑問でもあるんですよね。
かつての人々というのは地域と共にというのが当たり前でした。でも、それが現代になり住む場所は好きに変えることができるわけで、地域に根差してっていうのは今後ますます少なくなる傾向にあると思うんですよ。もう住む場所を変えないっていう高齢者ならまだわかるんですが、それが若い人とかってなるとはたしてどうなのかなってね。
で、実際に地域のつながりに関して人々の意識や、どの位付き合いがあるのかは調査されているようです。
『国民生活選好度調査』の結果から、隣近所とのつきあいは二〇〇〇年に比べ二〇〇七年は、「よく行き来」「ある程度行き来」「あまり行き来しない」が減少し、「ほとんど行き来しない」「あてはまる人がいない」が増えていることがわかる。この調査の結果だけを見れば、積極的な近所づきあいは急速に衰えていると言える。『社会意識に関する世論調査』からは、地域づきあいについて、多くの人が「ほどほど」にしかしておらず、積極的につきあう人が減っていることがわかる。地域の人と「ある程度つきあっている」人は一貫して五〇%前後いる一方で、「よくつきあっている」人は減少傾向にある。それに対して「あまりつきあっていない」人は増加傾向にある。
引用元:『孤立不安社会』p153
まぁ、そうだろうなぁっていう感じがしますよね。僕の親世代とかには近所づきあいを継続している人を見かけますけど、僕と同世代とかもっと年下になると地域の人とつながるとかそこのコミュニティに入ろうって人は多くない気がします。
地域にどっぷりつかってっていうのは、確かに孤立はうまないかもしれないけど、その一方で縛りも強くなるし、煩わしいと思うこともあるわけです。そもそもその地域にずーっといる必要もないわけだし、進学、就職などのイベントでまた別の場所に移動するなんてこともあるでしょう。さらにご近所トラブルとかそういうのもあるとなると、「色々めんどくさいから、そこそこの付き合いでいいんじゃね?」となるのは何となく想像できるかなと。
そもそもその地域に自分がつながりたいと思う人がいるかどうかもわかりませんしね。自分で人間関係を選ぶ自由を得て、どこにでも移動できることが可能になった現代の人たちは、別に地域に捉われなくてもいいわけです。
こう見ていくと、地域に人々の孤立化を防ぐ役割を期待するのも難しいのかもしれません。
弱いつながりが鍵になるかも?
「家族もダメ、地域もダメ。じゃあ、孤立防げないじゃん?どうすんの?」って話になるんですが、ここで注目してみたいのが弱いつながりです。
これはもう少し専門的な言い方をすると「弱い紐帯」なんて言葉で語られます。弱いという言葉からもわかるように、この場合、個々人はあまりガッチリとつながっているわけではありません。定期的に顔を合わせたり、友達のように他愛もない話を延々とできる近い関係性でもないのが弱い紐帯です。まぁ、紐帯だとなんかわかりづらいので、つながりにしておきましょう。
ここで疑問を持つ方もいるかと思います。「えっ?弱いつながりなんかで孤立を防げるの?すぐにそのつながりって切れちゃうんじゃないの?孤立しないためには強くつながることが大事なんじゃないの?」ってね。
確かに強いつながりは大事です。大事ではあるんだけど、そもそも孤立してしまうってことはその強いつながりを持てないから孤立するわけなんですよね。そこで「強いつながりが大事だ!強いつながりを持とう!!」なんて提案しても、「いやっ、そもそもそれが難しいんじゃん!!」ってツッコミが入るわけですよ。
そうではなくて、まずは比較的つながりやすい「弱いつながり」をたくさん持っておこうっていうことです。そこからがスタート。では、弱いつながりを持つとはいったいどういうものなのか?ちょろっと例を挙げて説明していきます。
弱いつながりの例
Aさんという30代のビジネスマンがいるとします。彼は一人暮らしで実家から遠い場所に暮らしているため、親とは疎遠になっています。昔からの友人は既に結婚している人も多いし、住む場所もバラバラでなかなか会う機会もありません。Aさんはそんな生活にある程度自由を感じてはいるものの、その一方で一人で過ごす日が多いせいか、少し孤立しているなぁと感じることもあるわけです。
そんなある日、Aさんは仕事帰りにふと気になるバーを発見。立ち寄ってみるとなかなかいい感じの雰囲気でAさん好みです。お酒もおいしくそのお店を気に入ったあなたは常連として通ううちに何人か顔なじみのような人たちとつながります。その中であなたは特に趣味の旅行や食べ歩きが共通していて、他にも好きなものがいくつか重なるBさんという友達ができます。休日はBさんと旅行をしたり、話題になっている飲食店に足を運び店構えや料理の味についてあーだこーだと語り合うように。いつの間にか、ここ最近Aさんが感じていた孤立しているという感覚はなくなったのでした。
とまぁ、こんな感じで例を挙げてみましたが、なんとなく弱いつながりってこんな感じかなというのがわかってもらえたでしょうか?
ここではたまたま入ったバーで出会った人たちを「弱いつながり」としていますが、これに関しては何でもいいです。たまたま行った地域のイベントでも、趣味のサークルでも、読書会でも、僕が所属しているNEET株式会社のようなゆるいコミュニティ的なところでもね。そういう「弱いつながり」をたくさん作っていきます。
もちろん、多くは弱いつながりのままかもしれません。だけど中には僕が例に挙げたAさんのように、弱いつながりでつながったことがきっかけで、それが強いつながりに変化をしていくこともあるわけです。弱いつながりがなければ、それが強いつながりに変化するということもないですからね。10人と出会うよりも20人と出会った方が、自分と合う可能性のある人が見つかる可能性高くなるでしょ?
ただ、この場合「弱いつながりをどう作るのか??」という問題点があるのかなと思います。
弱いつながりをどう作る?
僕が例に出したAさんの場合、会社帰りにバーに寄るというアクティブさが功を奏したと言えなくもありません。じゃあ、みんながみんなそういった場所にパッと飛び込めるのかというとそれは違うわけですよね。僕なんかも人見知りだし、あまり不特定多数の知らない人たちのいる場に行くのは積極的ではなかったりします。孤立してしまう人の中には、色々な理由からなかなか一歩が踏み出せないという人も多いわけです。では、そういう人はどうすれば弱いつながりをつくることができるのでしょうか?『孤立不安社会』の著者である石田さんは次のようにおっしゃっています。
孤立者のなかには、自ら支援を求めない人も多い。このようなケースでは、たまたま行く場所に支援があることが重要なのである。その偶然の確率を高めるためにも、日常生活の動線への支援の場の設置が求められる。弱い紐帯を介した支援との接近が、包摂の第一歩となるのである。
引用元:『孤立不安社会』p223
社会の側でするべきことは、孤立しがちな人たちが、ふだんから通う場所、例えばスーパーだとかコンビニだとか色々あると思いますが、そういうところにチラシなどを置いてサークルや集まり、イベントなどの告知をしておくというのも一つの手だと思います。とにかくまずは目に触れさせて、興味を持って動いてもらう。そういう機会を作っていくということですね。
一方個人ではどうすればいいでしょうか?先述した社会の側が設けてくれた機会をうまく活用するのも1つの手でしょう。あるいは今ならSNSをうまく活用してみるのもいいと思います。探してみると、コミュニティスペースや、趣味が共通している人たちから生きづらさを感じている人同士が語り合うオフ会や集まり、ちょっと変わったコンセプトの喫茶店やバーなどおもしろそうな場所はけっこう見つかります。
ちなみに僕の知り合いにはSNSがきっかけで付き合ったとか、結婚した人とかっていますからね。僕自身もSNSきっかけで出会った人と、色々な活動を始めたりしています。もちろん、SNSを使うことのデメリットもたくさんありますが、そうしたメリットをうまく活用していけばいいのかなと思います。
そうやってとにかく人とつながるきっかけをたくさん作ってみる。弱いつながりをたくさん作っていけば、たとえ割合としては少なくともその中から強いつながりへと結びついていくものもあるはずです。
まとめ
というわけで、長くなりましたが今回は「どうすれば人は孤立せずに済むのか?」ということをあれこれ考えてみました。
そもそも論として、今の社会というのは人々が孤立しやすいものになっています。家に縛られこともないし、地域に縛られることもない、無理やり結婚させられることもまずない、仕事も能力とか学歴とかもあるけどとりあえずは選べるし、「誰かと一緒に居なければならない」ということはほとんどありません。
僕たちは様々な縛りから自由になりました。ただ、自由がゆえに今度は自らつながりをつくっていくことを求められるようになったというわけです。それが上手くできないと孤立してしまう。
その対処法の1つとして僕がお伝えしたのが「まず弱いつながりをつくる」ということでした。趣味でも、スポーツでも、店でも、サークルでもなんでもいいので人と出会いきっかけを増やしていく。その中から「強いつながり」に結びつくこともあるよねって話です。
とはいえ、僕もこの孤立ということに関して「こうすれば万事解決」という答えが見つかってないんですよね。今後もいろいろな人たちのことを観察したり、今回参考にさせてもらった『孤立不安社会』のような本を読みながら、今後も孤立とか孤独といったことについて考えてみたいと思っています。
あなたはどうすれば孤立を防げると思いますか?良かったらこれを機に考えてみてくださいね。