ニート気質な僕の生きる道

自分の経験を活かして、無職やニートや、ひきこもりなど自分と同じように、「生き方」や「働き方」に悩んだり立ち止まった人が前向きになったり、自分の進みたい道に一歩踏み出すきっかけになるブログを目指しています。

ひきこもりのノンフィクション 家族幻想「ひきこもり」から問うという本を読んでみました。

僕自身、大学を卒業して家から出ることが出来ないような状態にあったので、「ひきこもり」という言葉に対しては興味や関心を持っています。そんな時に興味深いタイトルの本を発見したので読んでみることにしました。その本がこちら。

 

 

目次

第一章 ひきこもり七〇万人の時代ー閉じてゆく核家族

第二章 家族という幻想―近代日本のイエ制度

第三章 私の中のひきこもり―内在的に問う

第四章 家族の絆という神話ー価値を継承する装置

第五章 親たちの苦悩ー親を降りられない父と母

第六章 見えないイエ制度ー自己卑下という地獄

第七章 ひきこもりの女性たちー家族が解体されるとき 終章 家族をひらく―自分の場所を社会につくる 

 

ここからは本書の中で僕が印象に残っていることを中心に書いていいこうと思います。

 

ひきこもるのは価値観による縛りから 

この本で筆者はとても印象深い事を話していました。ひきこもる人達を追いつめるものは何かというのを分かりやすく説明していると思うと思うので本文から引用してみます。

 

ひきこもる人達を追いつめているのは、その人を縛る内面化された価値観だ。内なるその人の価値観を作り上げるのは、時代の常識であり、それぞれの家庭が引き継いできた価値観でもある。

さらに、いじめを体験するなど、自分が学校という共同体に受け入れられないと言う体験を重ねれば、自分を変形させなければ社会には受け入れられないと実感して育つ。

今のままの「私」では、家の外に出ていけないと感じている人たちは自分自身の本音を隠す。時には、自分自身、本音を隠していることにすら気が付かないまま、マイナスな自分を人に見せようとはしない。

引用元:家族幻想: 「ひきこもり」から問う (ちくま新書)著者 杉山春 筑摩書房 

 

この価値観は非常に厄介だと思うんですよね。「こうでなければならない」という価値観に縛られるとなかなか動けない。僕にも経験があります。そういう価値観から外れてしまった自分を凄く否定してしまうんですよね‥‥‥「親のように会社員として働いて立派でなければ」とか「社会に適応してちゃんと仕事に就いてなければだめだ」みたいな価値観は引きこもり当事者をかなり苦しめているように思います。

 

 の価値観からはずれた生き方をしている自分が恥ずかしい。恥ずかしいし人に見せたくないから引きこもってしまうというのは納得できますね。僕も半分ひきこもっていたような生活の時は恥ずかしいとかそういう感情があったから、なるべく自分の存在を消すためにひっそりと生活するようにしていました。

 

僕の家は団地なので外に出るときも、まず玄関ののぞき穴から外を確認し人がいないことを確かめるんですよ。その後静かにドアを開き、階段を上り下りしている人がいないかどうかも確かめます。当然、人と会わないためですよね。そして、その音がなくなったらようやく静かに家を出ていくといった感じでした。それ位自分という存在を否定し恥ずかしいと思っていたわけです。

 

実際に筆者が取材したひきこもりのと家族の話

親の価値観をそのまま生きようとして、生きられない自分を激しく責め、痛めつける。

引用元:『家族幻想「ひきこもり」から問う』p39 

 

そうして、親の期待に応えようとすることで、 自分の中の感情を殺してしまうことがあるます。「親の期待を裏切れない」「親に心配をかけてはいけない」そうした規範にがんじがらめになって動けなくなってしまうわけです。

 

そういった抑圧のなかで当事者は感情を殺すことになります。他者の感情を優先して生きるようになってしまうんです。それが主体的な生き方を難しくさせることにもつながっていく。つまり他人からどうみられるかとかいった他者からの目線を常に気にするような生き方になってしまうわけです。

 

他者からの目線を常に気にしていると社会に出るのがしんどくなりますよね。常に誰かの評価とかが気になってしまうし、「こういう風に思われているんじゃないか」といった余計な不安まで抱えてしまうことになるからです。

 

また長期間、子供が引きこもっている親御さんの言葉も印象的でした。

「親も子も取材を受けられない。自分の存在を知られたくないというのが、この問題の本質なんですよ」

引用元:『家族幻想「ひきこもり」から問う』p148

 

ここでも、また恥ずかしいとか存在を知られたくないっていう考えみたいなものが蔓延しているように感じましたね。ひきこもることは果たして恥ずかしいことなのでしょうか?ひきこもっている本人や家族自信が姿を隠してしまうので、なかなか支援を受けられないという現実もあると思います。そしてひきこもるという事は別に恥ずかしい事ではないという社会的な認識を広げる事も大事だと思いました。

 

「ひきこもってたの?へぇ、そうなんだ?まぁこれからまたやっていけばいいじゃない。」

 

こんな価値観の社会になったらきっとひきこもっている人も外に出てきやすいと思うんですよね。また、ひきこもりの人を養っている家族だって、ひきこもるということが恥ずかしくないという雰囲気になれば、もっと外に相談しやすくなるし、ひきこもっている人を隠すなんてこともなくなるんじゃないでしょうか?

  

自分の場所を作るのが大事

この本を読んでいるとかなりしんどい部分もあるのですが、最後に筆者はどのようにしてひきこもりと向き合うのか、あるいはどのように解決していけばいいのかという点についても述べています。ここに救いがあると思うし僕も特に共感できるなと思った部分です。

 

ひきこもりの背後には「自分に課す規範から自由になれないことがある。その規範が与えられるのは、多くの場合家庭=イエである」と私は書いてきた。

規範を求めるのは高度化した産業社会だ。人の能力を計り、選別し、社会に配置するシステムを持つ。

引用元:『家族幻想「ひきこもり」から問う』p108

 

規範とは「こうでなければならない」とか「こうあるべき」という固定観念のようなものですね。社会全体で求められているものが当然であると思いそれを自分の家全体に当てはめようとしてしまうわけです。ただ、この本の中でも出てくるように親世代の規範と子世代の規範というのは全く違うものなんですよね。

 

その違いに気づかない親御さんは多いと思います。「私たちはこうやってきた。だからあなたもこうしなければならない。」といって、子供をしばりつけてしまうんです。その規範に従う事を子供に望んでしまう。親自身はそれでいいと思っているんだけど、自分たちの時代と何もかもが変化していることに気づかないから、それを押し付けられる子供たちはそのギャップに苦しむことになってしまうわけです。

 

とはいえ、本書でも言っているように親自身が自分自身が生きてきた規範から自由になることは難しいんですよね。自分が生きてきた生き方が正しいと思っている人もいるだろうし、そういう生き方しか知らないし知ろうともしない人もいるからです。

 

そこで、行き詰ってしまった時には、家族を開くこと、そして社会に繋がることが重要だと筆者は述べています。

 

そうなんです。「子供や自分の家族をさらすのが恥ずかしい」と閉じてしまえば問題は先送りされさらに深刻化する恐があります。時代の流れは速いし、自分が生きてきた時代の規範と子供たちの時代の規範は違います。どこの家庭だってそのズレから問題が起きることもあるはずです。問題が起きるのは当たり前だし、どこの家庭にでも起こりうることなんです。だから、ひきこもっている子供を隠さない、むしろ積極的に外とつながって、家族だけじゃなくて色々な人を巻き込みながら少しずつ前進していく、そんな考え方を共有していくといいのではないでしょうか?

 

そんな規範や価値観のズレに悩んでいる家庭を受け入れてくれる相談場所や、ひきこもり本人が家庭以外の誰かと繋がれるような居場所が沢山あれば少し気持ちも楽になると思います。

 

公的にも自助団体のようなグループも意外とあるとのことですし、本書の中では実際にそういった機関を利用しながらひきこもりと向き合い仕事を始めたり生活を立て直そうとしている人達の事も紹介していました。

 

そういった外の世界のサポートも受けることで、一人では難しい部分だったりつまずいてしまう部分でも乗り越えることが出来るかもしれません。

 

「閉じずに繋がる」

 

狭い家庭の中では狭い規範に縛られてしまって本人も家族も苦しんでしまいます。そこに縛られないためには外とつながる事。それが大事なのだと思いました。

 

今はネットを通じて外とつながりやすくなっています。当事者もその家族もそうした支援をしてくれるところを探して行動してみるといいと思います。

 

いつからでもやり直せると思うし、やり直したい、どうにかしたいと思った時に支えてくれる、サポートしてくれるところはあるし、あるべきだと思います。実際にひきこもっている人に対して暖かいまなざしを向けてくれる個人や団体などもあるはずです。

 

そんな暖かい支援の輪が広がってもう一度社会でやり直そうと頑張る人達を受け入れてくれる社会であればほんとにみんな生きやすくなると思うんですよね。何度も言うけどひきこもったりするのは恥ずかしいことなんかじゃありません。誰でもなりうることです。恥じることなんてありません。苦しい時こそ外とつながりましょう。

 

最後に筆者はこう述べています。

 

「この社会はあなたのそして、私の場所だ」

とまず、子供と若者に伝えなければならない。そして、他者からの評価、目線に合わせて揺れるのではなく、、生きる主体としての自分を作り出す営みが不可欠だ。

引用元:『家族幻想「ひきこもり」から問う』p236

 

この言葉を言いきれる社会であってほしいと思います。社会に居場所がないと感じれば人は自分が安心できる場所つまり、自宅や自室にひきこもってしまいます。そうじゃなくて、社会に居場所があると若い人達が実感できる、安心して飛び込んでいける、そんな取り組みが必要なはずです。

 

長くなってしまいましたが、今回は以上になります。

 

ひきこもりの方やその家族の方の実態など詳細に書かれていて非常に勉強になりました。当事者の方、親御さんなどとても参考になる部分が多いと思いますので興味のある方はぜひ読んでみてください!

 

 

それでは今回はこの辺で。