ニート気質な僕の生きる道

自分の経験を活かして、無職やニートや、ひきこもりなど自分と同じように、「生き方」や「働き方」に悩んだり立ち止まった人が前向きになったり、自分の進みたい道に一歩踏み出すきっかけになるブログを目指しています。

『日本人は「やめる練習」がたりてない』の感想を書きました!

やめるという言葉に対してあなたはどんなイメージを持っているでしょうか?

 

「やめるなんてもったいない」

「できるだけやめないほうがいい」

「やめたらダメ」

 

なんとなくではあるけど、やめるという言葉に対してネガティブなイメージを持っている人が多い気がします。ですが冷静に考えてみてください。はたしてやめることはネガティブなことなのでしょうか?悪いことなのでしょうか?なんとなく「社会的にはこうだから」とか「誰かがやめることはよくないと言っていたから」といった理由でやめることを否定してしまってはいないでしょうか?

 

でも、実はやめるということにはメリットもある、うまくやめられるようになれば個人も社会もすごく寛容になって生きやすくなるかもしれない。今回はそんなことを教えてくれる一冊を紹介しようと思います。それがこちらです。 

 

 

著者の野本さんは現在マレーシアで暮らしながら、オンラインマガジンの編集長などをされています。本書は野本さんがマレーシアで仕事をし子育てをする中で学んだやめることのメリットや、なかなかやめられない日本人や日本社会とマレーシアの人々や社会を比較することによってやめることがいかに大切なのか、いかに生活の質を向上させてくれるのかを教えてくれる一冊です。

 

今回はこの本を読んだ感想や、ここは読者さんと共有したいなというところを紹介していきたいと思います。

 

なぜマレーシアではやめることが当たり前なのか?

著者の野本さんが、マレーシアに行ってまず驚いたのが現地の人が「やめることが当たり前」という考えを持っていたことです。

 

例えば、信頼していた学校の事務員さんが突然やめてしまったり、通っていた学校の先生たちがほとんどみんなやめてしまうなんてことは決して珍しくありません。しかも、先生に関しては学校側とけんかしてやめちゃったとのこと。

 

これ、日本だったらたぶん大騒ぎになることじゃないですか。「無責任だー」とか「学校の方針はどうなってんだ―」って。ところがマレーシアだとわりとこういう出来事が当たり前に起こるみたいなんですよね。先生たちも仕事自体向いてないと思ったり、給料が割に合わないと思うとやめちゃうんだそうです。

 

そんでもってこれまた驚きなのが、特に私立の学校やインター・ナショナルスクールのだと、今度はそういう学校に対して不満を持った生徒たちも転校しちゃったりするんだそうです。これも日本だとなかなかないことですよね。学校に対して不満があっても、学校自体を変えちゃうってことはあんまり考えないでしょうし、そもそも転校っていうと大抵の場合、親が転勤するとかで遠くの土地に引っ越す時ぐらいしか行わないのではないでしょうか?マレーシアだと転校に対するハードルがとても低いんですね。

 

じゃあなんでみんなそんなにスパッとやめちゃうのかっていうと、まずシンプルに「学校の選択肢が多い」というのが挙げられます。

 

複数言語が話されているマレーシアでは、子どもの教育言語をどうするのかが重要だ。公立学校ですら選択肢が存在する。

引用元:『日本人は「やめる練習」がたりてない』p62 著者 野本 響子 集英社

 

選択肢が多いからやめたとしても次に行くところがある。公立、私立、インター・ナショナルスクールに加えてホームスクールで学習する子供もいる。ね?シンプルでしょ?だから学校の教育方針が気に食わなくても辞めちゃうし、万が一自分の子供がいじめを受けていたりそれに近い状況にあったとしても、そこに居続けて我慢してボロボロになってしまうということがないわけです。

 

一方日本はというと、お世辞にもやめた後の選択肢は多くない気がします。先述したように転校という選択肢をとる生徒は多くはないですよね。親の仕事の都合とかそんぐらいのもので、マレーシアのように学校の教育方針が合わなかったからとか、いじめを受けたから学校変えますみたいにサラっとやめることができないというわけです。

 

あともう一個、これは大きいなと思ったのがマレーシアにいる人たちって、やめることに対してネガティブなイメージを持ってる人が少ないってことなんですよね。

 

野本さんのお子さんが学校を変えるという選択をした時に、周りの人たちは別に反対とかせず当たり前だよね感じで受け入れるんです。「何でやめるの!?やめるなんて信じられない!!」みたい反応がないんですよ。

 

環境が合わない、自分がやりたいことがあるなら学校をやめるなんて当然という考えがみんなに染みついてる。しかも、これ現地の人だけじゃなくて日本人もですからね。やめることに対して厳しい意見を持っていることが多い日本人ですら、マレーシアの環境に染まると「やめる?別に問題ないんじゃない?」となる。

 

やめやすい環境がありやめることを許容する空気がある。そりゃ、みんなやめるよねという話です。

 

やめることも含めて、自分で選択をすることがとても多い

本書を読んでいてもう一つ思ったのは、「やめることはあくまで何かを選択するという行為にすぎない」ということがマレーシアの人たちのに染みついているんだろうなということです。だからやめることを大げさにとらえることはないと。

 

野本さんのお子さんは学校の遠足や旅行に行くかいかないかの選択を迫られたし、その他さまざまなコンテストやイベントについても「やるかやらないか」を自分で選択していったそうです。

 

これも日本じゃああまり考えられません。多分日本だと学校主催のイベントってほぼ強制に近いものがあると思うんですよ。遠足とか「行くか行かないか?」なんて面と向かって聞かれたことないし、修学旅行とかも基本的には行くのが当たり前みたいな空気がある。その他のイベントも参加が当たり前ですよね。

 

でも、マレーシアは違います。各々が「自分はいったい何をしたいのか?」を考えて「じゃあこの行事にはでます」とか「このイベントは今回は参加しません」みたいな選択をしていく。

 

こうやって子供のころからどんどん自分で選んで始めたりやめたりを繰り返していくので、やめることはあくまで選択の結果であるという考えになるわけです。さらに自分で決めて色々なことを始めるので、挑戦が怖くなくなるというメリットもあります。で、挑戦する回数が多ければ多いほど経験値も増えるし「何が自分に向いてて何が向いてないか?」っていうのもだんだんとわかってくる。

 

これって今の日本社会に必要だと思うんですよね。今の日本社会って「失敗したくない」っていう人とか「何やりたいかよくわからない」って人が一定数いる気がします。それって、もしかしたら強制的に何かをやらされる環境に慣れすぎた弊害なのかもしれないなと。

 

強制的に何かをやらされるってことは、本人は無思考でいいから楽っちゃ楽なんです。なーんも考えないでいいわけですから。他人が自分のやることを決めてくれちゃいますし。そのかわり自分の欲とか好奇心を見失うことにもなりかねない。

 

で、自分で本当は向いてないと思ってたり、違うことに興味があるかもしれないのに、何となく今やっていることを続けてしまったりする。そうなると別のことにチャレンジする機会を失ってしまい、結果として自分の向き不向きにも気づけなくなってしまうのではないかと。

 

なので、もう少し「子供のうちから自分に選択をさせる」というのは日本にも取り入れていった方がいいのではと思いました。

 

いやぁ、マレーシアいいっすね。僕に子供がいたらこういうところで育てたいなぁなんて妄想してしまいました(笑)

 

まとめ

というわけで駆け足ではありましたが今回は『日本人は「やめる練習」がたりてない』という本の感想を書いてみました。

 

今回紹介した以外にも、本書にはやめ方を知らずに息苦しくなっている日本人や日本社会にとって参考になる話がたくさん書かれています。

 

もちろんマレーシアのすべてが日本よりも優れているかというとそうとは言い切れないでしょう。ただ、個人的にはですが自分で選択をし、やめるやめないが当たり前であるマレーシアのような社会の方が、今の日本のような「やめることはよくないことだ」といった空気や「苦しくても我慢することが当たり前ですぐにやめることをよしとしない」ような日本の社会や組織に身を置くよりも生きやすいのではないかと思っています。

 

他国の仕組みや文化から学べるところは学ぶということは、個人にとっても社会にとっても大切なことです。本書はそういったことを考える時にとても役に立つ一冊だと思います。ぜひ教育関係者や親御さん、あるいは社会の仕組みを考えるような人たちにも読んでみてほしいなと思います。