つい、先日『情熱大陸』という様々なジャンルのトップランカーに密着する番組で、プロゲーマーのときどさんが紹介されていました。
プロゲーマーといえば、日本で初めて格闘技のプロゲーマーになった梅原大吾さんが有名ですが、ときどさんも負けず劣らずの実績を出されている方。
ときどさんは東京大学を卒業後、大学院にまで進みます。その後大学院を中退しプロゲーマーになったという異色の経歴の持ち主です。
番組ではそんなときどさんの現在に密着。プロゲーマーについての基本的な情報から、彼のストイックな日常やゲームへの情熱を垣間見ることができ、改めて「プロゲーマーってすげぇな」と思わされた一時でした。
ただ、番組では現在のときどさんについての情報が多く、「なぜ彼がプロゲーマーという職業にたどり着いたのか?」その理由があんまりはっきりしなかったんですよね。やっぱり、そこ気になるじゃないですか?東大からプロゲーマーってやっぱり前代未聞だと思ったのでね。
で、調べてみたらときどさんが本を出されていることを知ったんです。それが『東大卒プロゲーマー』という一冊。
本書はときどさんが、自身の半生を振り返りつつ「なぜ彼がプロゲーマーになったのか」 が明らかにされています。また彼がプロゲーマーになる前やなった後に立ちふさがった壁をどのように乗り越えてきたのも詳しく書かれており、とても読み応えがある一冊でした!!
そんなわけで、今回はときどさんの『東大卒プロゲーマー』を読んで思ったことや、読者の方と共有したいなと思ったことについて書いていきたいと思います!
プロゲーマーときどの原点
本書ではときどさんの半生を垣間見ることができるわけですが、やっぱりといっては何だけど彼の人生はゲーム一色!小学1年生の時にストリートファイター2というゲームをプレーしたところから彼のゲーム人生はスタートしたというわけです。
ここで意外だったのが、ときどさんは最初からゲームに夢中でハマったというわけではなかったということ。
大体○○のプロの人とかって、最初からドはまりしてそのまんまきちゃいましたっていう人が多い気がするんだけど、ときどさんはそうじゃなかったんです。ただ、ここで彼の運命を変える出来事が。それは、年上の従兄にぼろ負けをしたこと。
ときどさんはそれまで、ゲームも含めてどんなジャンルでも人に負けたという経験をしたことがほとんどなかったんだそうです。そこへ来ての衝撃的な敗北。しかも、その従兄曰く「格闘ゲーマーの人たちは自分よりももっと強い」という衝撃的な事実を告げられるわけです。
自分がぼろ負けした従兄よりも強い相手がゲームの世界にはいる。その時のことをときどさんはこんな風に語っています。
僕は、嬉しかったのである。世界には、努力なしに勝てない相手がいるという事実は、僕をワクワクさせた。こう書くとなんとなく鼻につくガキのようだが、でもこれが僕のゲーム人生の始まりだ。そしてその決意どおり、僕はそこから格ゲーに打ち込み、のめりこんだ。
引用元:『東大卒プロゲーマー』p46 著者 ときど PHP研究所
このコメントから、彼がトップゲーマーになれた理由っていうのが読み取れると思うんですよね。
まず、負けず嫌いであること。大抵の場合、何らかのジャンルで相手にフルボッコされて負けると「なんだよ、もういいわ!!」ってなりがちなんだけど、ときどさんはそうはならなかった。むしろ、勝てない相手がいることで燃えてそこからゲームにドはまりしていったわけですね。特に「誰かと競う」っていうジャンルの場合、この負けず嫌いの要素はメチャメチャ大事なんじゃないかなと思うわけです。
で、もう一個はときどさんがゲームに負けてワクワクしたということ。個人的にはこの「ワクワクした」っていうのもメチャメチャ大事だと思ってるんですよね。ワクワクすることに対して人って受け身じゃなくて自ら行動するようになるので。当然能力の伸びも早いわけです。
実際、そこからときどさんはゲームにドはまりしていき、家にいる時間はずーっとゲームをするみたいな生活。で、彼のご両親もときどさんがゲームをやることを止めることはせず、むしろそのゲームを上手にエサにして「いい成績とったらゲーム買ってあげる」とときどさんに提案。
「ゲームのためなら勉強する!」
ということで、ゲームと勉強の成績を同時並行で伸ばすことができたわけです。それが、後に東大に入るための基礎となるんですね。
世の親御さんたちはどちらかというと、「ゲームなんて‥‥‥」という立場をとる人が多いと思うんですよ。人によってはゲームを取り上げちゃったり、隠しちゃったり、もっと激しいと壊しちゃったりとかね。
でも、このときどさんの話を聞いていたら勉強とゲームは共存できないわけじゃない。むしろ、うまく活用すれば勉強をするためのモチベーションになるってことを、世の親御さんたちは頭の片隅にでも入れておくといいんじゃないかな?
なぜ、大学院をやめてプロゲーマーになったのか?
大きな挫折を経験
ときどさんは、中学受験をして都内の麻布中学に入学。麻布中学は中高一貫校なので、高校受験はなく、彼はその間もゲームに没頭し続けます。
で、一浪をして東大に入り、大学に入ってからもゲーム一辺倒‥‥‥かと思いきや、一時期ときどさんはゲームを離れるんですね。なぜかというと、大学4年時の研究室での研究にハマったからなんです。ジャンルはバイオマテリアル。
バイオマテリアルとは、人間の体の失われた機能を補うマテリアル。わかりやすいところでいえば、人工骨とか、人工臓器とか、そういったものである。
引用元:『東大卒プロゲーマー』p95
ゲーム同様、ここでも研究に没頭したときどさんは大学院1年生の時にとある論文を制作し、それが国際学会で賞を受賞。
ただ、順風満帆な研究生活かと思いきや、実はこの時のときどさんは大きな挫折を経験していたんですね。
東大理系学部の学生の多くは大学院に進むと書いた。僕もそうだった。もちろんこれまでと同じバイオマテリアルコースの研究室に残って研究を続けたかったし、当たり前のように残れると思っていた。ところが、僕はしくじったのだ。
自分が望む研究室に入れるかどうかは、大学院入学試験(院試)の結果、つまりテストの点数にかかっていたのだが、僕はこの試験で他大学生に負けた。
引用元:『東大卒プロゲーマー』p116
いくら研究に没頭し、成果を出していたとしても、大学院に進み研究を続けるには院試を突破しなければならないわけです。ところが、没頭気質のときどさんは研究に力を注ぎすぎてしまったため、院試のための勉強をおろそかにしてしまった。その結果、試験に不合格。
自分の力を注ぎこんでいた研究がもうできない。このいかんともしがたい現実に、ときどさんは失望をしてしまいます。
希望の研究室には入れなかったものの、就活のときにも強い研究室に入ることができたときどさん。ところが、彼にとってそれは不本意なものでしかなかったし、それまで自分の力を注ぎ込んできた研究がもうできないという、失望感は相当なものだったのでしょう。
ときどさんは、結果的に大学院を修了することはできなかったんです。希望していたジャンルでの研究者にはもうなれない。自信を失ってしまったときどさんはここで就職という道を考えます。ターゲットは公務員。この時のときどさんにとって、公務員の一般的なイメージである安定という言葉は癒しを与えてくれるものだったそうです。
日本初の格闘プロゲーマーに会いに行く
とはいえ、ときどさんもすんなり公務員への就職という道を受け入れることはできませんでした。そこで、彼が思ったのは、既に格闘技のプロゲーマーとしての道を歩み始めた梅原大吾さん。
ときどさんが大学院に進む直前にプロ宣言をした梅原さん。ときどさんにとっても印象的なことだったそうです。なんせ、それまで国内で格闘技のプロゲーマーは存在してなかったわけですからね。
で、人生の大きな岐路に立っていたときどさんは、格闘ゲームの仲間から梅原さんに会って話を聞いてもらうといいとアドバイスを受けます。
そして、梅原さんと会ったときどさん。ところが梅原さんのアドバイスはある意味ではとても保守的というか、誰もが考えるであろうものだったんです。
「俺が東大を出ていたら、こんな(プロゲーマーみたいな)生き方はしないよ」
「東大卒で就職して、そこでまたモチベーションの湧く仕事が見つかるかもしれない。それはやってみないとわからないから、『東大』を捨てる手はないと思うよ」
引用元:『東大卒プロゲーマー』p136
プロゲーマーとして道を切り開いてきた梅原さんから出たこのアドバイスは、ときどさんをがっかりさせるものでした。こんなありきたりなアドバイスであればわざわざ彼に話を聞く必要はなかったのかもと思いつつ、席を立とうとしたときどさん。
ところが、その後に梅原さんからさらにアドバイスが。内容ははっきりとは覚えていないそうですが、こんなメッセージだったそうです。
「本当に好きなことなら、チャレンジしてみるのも悪くないと思うよ。1回しかない人生なんだから」
引用元:『東大卒プロゲーマー』p137
このアドバイスがときどさんの心を揺さぶります。挫折を経験し、安定した公務員への就職を考えていたところに、安定とは程遠いであろうプロゲーマーの先駆者からの「好きなことをやるのも悪くないよ」というアドバイス。
少しずつではあるけど、プロゲーマーというものを意識し始めるきっかけになった出来事でした。
その後ときどさんは就職活動を開始するのですが、やがて違和感を覚えるようになります。というのも、「受かりたい」とか「ここで働きたい」という情熱とかやる気がなくても試験に受かってしまうからです。
このままだと、情熱を持てないまま仕事をすることになる。
ゲームにせよ研究にせよ、情熱をベースに没頭し続けてきたときどさんにとって、これは怖ろしいこと。彼自身「これは自分のやりたいことではない」ということがわかっていたんですね。
なので、なおさら梅原さんから貰ったアドバイスというのがときどさんにとっては、日に日に大きなものになっていったというわけです。
ゲーム業界の発展がプロゲーマーへの道を後押しする
ときどさんが就職を含め、将来についてあれこれ考えている時に、格闘技ゲームの世界では動画配信をする流れが生まれていました。
ときどさんも動画配信にチャレンジ。動画配信の反響は予想以上で視聴者はどんどん増えていきました。
これまでの格闘技ゲームというのは、ゲームセンターであったり、大会が主な活動の場でしたが、そこに動画配信という新たな活動領域の場が出来た。それに伴い、さらにファンは増えていき、それに伴い賞金額も上がり、ビジネスとして成り立つ可能性が見えてきたわけです。
ただ、ときどさんはここでもまだプロゲーマーに進むということを決心したわけではありませんでした。
確かに、今後ゲーム業界はさらに発展する。それでも一旦公務員として就職をすると決めたことが彼を迷わせます。
さらに、公務員の最終面接が迫るころ、なんとときどさんにアメリカの企業からプロのオファーが来るんです。ただ、それも決していい条件というわけではなく、食べていくだけの収入ではない。だけど、プロゲーマーへの道がすぐそこにある。
プロゲーマーか公務員か。
ときどさんは改めて自分の進む道を考えることになります。
色々な人に相談しついにプロゲーマーになることを決意!!
迷ったときどさんは人に相談することを思いつきます。
社会人の知人や友人達は、プロゲーマーという道に対して否定的。唯一肯定してくれたのは大学院の研究員の先輩のみ。
さらに、親御さんにも相談。この時のお父さんがすごいんですよね。ときどさんが公務員かプロゲーマーかで悩んでいることを伝えると一言「好きにやれ」とアドバイスをするわけです。
ちなみに、ときどさんのお父さんは大学に勤めている方です。つまりどちらかといえばお固い職業なわけですよね。そういう場合、大体子供にもお固い職業をすすめがちだと思うんですよね。ましてや、プロゲーマーなんてできたばかりの、この先どうなるかどうかも分からない道を肯定することなんてまずないでしょう。
でも、お父さんはときどさんの選択を尊重した。公務員だろうがプロゲーマーだろうが好きにやればいいよと背中を後押ししてくれたわけです。これはなかなかできることじゃないと思いますね。
お父さんからの後押しもあり、ついにときどさんはプロゲーマーになることを決意します。ここから、彼は「東大卒プロゲーマーときど」として歩み始めることになります。
まとめ