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日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

『超孤独死社会』孤独死の現場の過酷さとそこにある課題がよくわかる一冊でした!

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「日本では孤立状態1000万人、年間孤独死3万人。」

 

そんな衝撃的な数字が帯を飾るのは菅野久美子さんの『超孤独死社会』という本です。

 

孤独死の問題が叫ばれて久しいですが、孤独は日本社会全体を徐々にむしばんでいるような気がします。ニュースなどで取り上げられることも増えてきました。とはいえまだあまり実感がないという人も多いでしょう。実際僕も自分の身の回りで孤独死をしたという人は知りませんし、どこかこれまで人ごとのように感じていたんですよね。

 

ただこの『超孤独死社会』を読むとそれが決して他人ごとではないということを実感します。孤独死は誰にでも起こりうるし、それがいつ起こってもおかしくないという現実を突きつけられます。

詳細に書かれた孤独死の現場は壮絶そのものだった。

『超孤独死社会』には孤独死をされた方々の部屋を片付ける特殊清掃の人たちがどのように部屋を片付けるのか、遺体のあった場所を処理していくのかが詳細に記されています。彼らの仕事現場から見えてくるのは何らかの生きづらさを抱え、社会から弾き出され孤立した人々の最後の姿です。

 

それにしてもその現場は壮絶そのもの。ある現場では焼酎のペットボトル尿がつまったものがあちこちに転がっていたり、ゴミの山でどうにか人が生活できるスペースだけがあったり、おむつにくるまれた汚物の山が積み重なっていたりと、想像のはるかに上をいく世界が孤独死の現場では少なくありません。

 

さらに衝撃的なのが遺体があった場所についての描写です。気分が悪くなる人もいるかもしれませんが、ここは本書から引用します。

 

それは、部屋のまさに中央だった。どす黒い液体が約2メートル四方にわたってゴミの上をヒタヒタと侵食している。周囲の雑誌やプラスチックは、墨汁のような黒い液体をたっぷりと吸い込んで変色し、そこだけひしゃげていた。

そう、佐藤はまさにこの場所で、絶命したに違いなかった。

引用元:『超孤独死社会』p27 著者 菅野久美子 毎日新聞出版

 

孤独死の現場で本人の遺体がすぐに見つかることってほとんどありません。理由は単純で「他人や社会とのつながりを断っているケースがほとんどだから」です。なので、急病など何らかの理由で家の中で息絶えてしまったとしても、そのまましばらく放置されてしまうわけです。すると遺体は腐り強烈な死臭が広がります。夏であれば腐敗も早いので体液があっという間に溶け出して、遺体のあった場所周辺に染みついてしまう。

 

遺体の損傷は激しく警察も遺族などにその姿をみせるのを躊躇してしまうほどだそうです。誰だかわからないし、生前の姿を知る人からするとあまりに変わってしまっていてショックを受けるだろうからというのが理由とのこと。僕は今まで祖父母や知人の親御さんなどの遺体を目にしたことがありますが、生前とほとんど変わらないきれいな姿しか見たことがないので、そんな現実があるのかとここでもまたショックを受けてしまいました。

 

孤独死は他人ごとではないと気づかせてくれる一冊

孤独死する人には、「生きづらさ」を抱えた人が多いと感じる。人生で躓いたまま立ち上がれなくなって、そのままになった人たちだ。

 引用元:『超孤独死社会』p64

 

菅野さんは本書の中でこうおっしゃっていますが、実際世の中にはこういう人って多いと思うんですよ。学生時代や20代とかまでは順調だったんだけど、その後何らかの理由で躓いてしまってそこから立ち上がれなくなってしまった人たち。この本でもそういう人たちが紹介されてるんですが、実際その辺にいる人たちと何ら変わりはないんです。むしろ途中までは順調だったりする。

 

僕はこういう本を読むときに自分と何が違うのだろうかそんなことを考えてしまうんですよね。孤独死した人と自分とで何が違うのかと。正直僕はもう30を超えていて結婚もしていなければ安定した職業にもついていません。両親がいなくなったらあるいは友人との付き合いがなくなったら僕の孤独死まっしぐらじゃないかなんて思うわけです。

 

じゃあ彼らと自分の違いは何なのか?それは単純に周りに助けてくれる人達がいたかどうかの違いでしかなくて、ただ単に僕は運が良かっただけなのではないかとしか思えないんですよね。

 

僕は貧困とか犯罪とかに関連した本を結構読むのですが、環境が違えば出会う人が違えば何かのタイミングが違えば自分だってそうなる可能性は十分にあったよなと。だから困っている他人がいたとして「その人だけのせいだ」なんて思えない。孤独死に関しても他人事とは思えないし、孤独死をした人たちが最後に何を思っていたのかを想像すると胸がギュッと締め付けられてしまいます。これ俺かもしれないじゃんってね。

 

特に本書では著者の菅野さんが孤独死をした人たちの家族や近くにいた人たちからしっかり話を聞いてくれていて、本人と読者との間の共通項とか似ている部分を発見しやすいと思います。

 

「孤独死?そんなの自分には関係ないね」

 

そんな風に思っている人には「いやいや、そんなことないっすよ。周りにいくら人がいようがあなただって孤独死に陥る可能性ありますよ」って伝えたいですね。全く無関係だと思っている人にこそぜひ読んでみてほしいなと思います。

 

孤独を解決するのは難しい・・・

孤独が問題視されてだいぶ時がたったように思います。とはいえ今の社会構造からすると今後ますます孤独に陥る人は増えていくと思うんですよね。結婚をする人も減ってきているし、非正規雇用も減り職場の人との関係も希薄で、引きこもってなかなか外に出れないような人たちも大勢いるわけです。社会全体を孤独が覆っているといってもいいかもしれない。

 

ではどうすればいいのか?本書にもITを活用したみまもりや行政や郵便局などがiITシステムを使った対策が紹介されてはいますが、劇的解決策はないというのが現状みたいです。今後テクノロジーの発展によってどこまで孤独死が防げるのかっていうのは今後も注目していきたいと思います。

 

でね、もう一個これは本書を読んだり、実際この本を買うきっかけになった

【緊急開催】「おとなのひきこもり」になった時、考えてほしいこと 菅野久美子×赤木智弘×常見陽平――孤独死3万人の道しるべ | Peatixというイベントに参加していて思ったことなんだけど、「孤独を完全に解消することは難しいんじゃないか」ってことなんですよね。

 

孤独死に至るには孤独であるということが大前提なわけですけど、先述したように今の社会っていうのは孤独になりやすい構造になってきちゃってます。そういう状況の中で、全員を孤独じゃなくするっていうのは相当難しいなと。

 

こういう時ってコミュニティの力が大切だとか、人と繋がる仕組みを作ろうってなりがちで、実際僕もそういうことを考えたりするしそれが全く無意味かというとそうではないと思うんです。実際コミュニティに入って孤独じゃなくなった人もいるでしょう。ただ、ずーっと孤独でいた人が「コミュニティ作ったので来ませんか?」とか言われてもなかなか出てこれないと思うんですよ。そもそもそういう声が届く人ならまだいいけど、本当に孤独な人って他者からの声が届かない状況に陥っちゃってる人もいるわけで。

 

そうなると考えなきゃいけないのは、孤独にさせないという対策とともに「孤独でも生きていける」みたいな仕組みも用意しておくってことなんじゃないでしょうか。

 

うーん、まぁ具体的にどういう仕組みなのかっていうとそこが難しいところなんですけどね。パッと答えが出ないのが孤独対策の難しいところかなぁ。なんか有効な方法があったら教えてほしいぐらいです。

 

個人や社会の考え方の変化が孤独を防ぐために必要

あとは個人や社会全体の考え方も変えていかなきゃとは思います。まず孤独に陥っている人が大勢いて、その中には人知れず亡くなってしまう孤独死という現実がこの社会にあるということを認識すること。もしかすると隣人や友人や離れた家族が孤独に陥っているかもしれないし、いずれ自分がそうなるかもしれないということを想像すること。

 

そしてもし誰かの孤独に陥っていることに気づいたら、 その人が何を求めているのか、どうすればその人が生きづらさを減らすことができるのかを考え続けていくこと。そして可能ならサポートに回ること。それが孤独死を防ぐために必要なのではないでしょうか?

 

あとは失敗したり躓いた人がもう一回動き出しやすい社会っていうのも大事ですよね。いったん躓いたら「もうダメだ」ってなってしまうと自暴自棄になってしまって、いわゆるセルフネグレクト(自分を放任する)なんて言いますが、そこから人とのかかわりを避けたり、身なりを気にしなくなったり、住んでる家がゴミ屋敷になったりして、孤独になってしまうこともあるわけで。

 

「自分なんて社会から必要とされてないんだ。もうどうでもいいんだ」なんてことを本人に思わせちゃいけない。そうじゃなくて、「別に一回失敗してもいいじゃん。あなたの居場所とか必要としてくれる場所はどこかにあるよ」っていう空気を個人でも社会全体にも作り上げていくということ。それが人の生きづらさや挫折感を減らしてくれて「じゃあ、もう一回動いてみよっかな。人と繋がってみようかな」って方に繋がるんじゃないかと。

 

挫折とかうまくいかないこととかって本人の責任だけじゃないですか。少なからず身を置いた環境が悪かったり、本人の資質とマッチしてなかったり、合わなすぎる人間関係がきっかけだったりするわけですから。そのすべてを本人のせいにしちゃいかんよね。失敗や挫折を前提としている社会の方がみんな生きやすいんじゃないし、それが孤独を減らすことにも繋がるような気がしています。

 

まとめ

というわけで、今回は『超孤独死社会』という本を読んだ感想を書いてみました。孤独死の現場は決してきれいごとだけで片付けられるような現場ではないことは、本書を読んでもらうとよくわかると思います。そしてそれが決して他人ごとではないということも。

 

まずは他人ごとじゃないって思うことが大事ですね。そこから「じゃあ、どうすればいい方向に進むだろうか?」って考えるきっかけになると思うので。本書は孤独死を他人ごとから自分事に変えてくれるきっかけになる一冊なので、ぜひ一度読んでみてほしいなと思います。