オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

わらしべ長者のために渋谷の人混みを看板ぶら下げながら歩いて気づいたこと

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先日わらしべ長者をするために、渋谷に行ったんですよね。どうするかなーって考えた末にまずは渋谷の街を歩いてみようと。もちろん、ただ歩くだけじゃあわらしべ長者をやっているかどうかわからないので、自分の首に「わらしべ長者やってます!」って書いたホワイトボードをぶら下げて渋谷の街を練り歩いたわけです。

 

実際に首からぶら下げたホワイトボード。交換できるものも書いておきました

 

で、こういう看板みたいなのぶら下げてたら注目されると思うじゃないですか?場所は渋谷だし、あんだけ人がいるしね。

 

とりあえず僕はグルグルと渋谷のメインとなる場所、109付近も歩いたし、道玄坂も歩いた、センター街のあたりも歩いてみることにしたんです。さて、その結果はどうだったのかというと・・・。

 

「誰も俺のことなんか見ちゃいねぇ!!」ということでした。

 

いやっ、ちらっとは見るんですよ。で、中には「わらしべ長者?」的なことを一緒にいる友達とつぶやいたりもするわけです。でも、それ以外の人はほぼスルー。目の前ですれ違っても視界にすら入ってないように思えました。自分の予想だとすれ違う人ごとに、多少なりともリアクションをしてくれるものだと思っていたのですが、現実は違った。では、一体それはなぜなのだろうか?と考えてみたわけです。

 

この世界には情報が多すぎる!!

渋谷という街を歩いてみて僕が感じたのは、「あまりにも情報が多いな」ということでした。店の看板、歩く人々、交わされる会話、売っている商品などなどあの場には処理しきれないほどの情報が詰まっています。そして、道行く人々はその情報に注意を向けたと思ったら、今度は別の情報に目をやる。そうやってパッパパッパと色々なところに意識を奪われるわけです。

 

そんな中で、僕という人間が看板を首からぶら下げ歩いていることなど、とるに足らないこと。単なる街中の景色の一つにすぎません。多くの人にとっては関心の対象外、もしくは、多少関心は持って目を向けたとしても、数秒あるいは数十秒後には別の情報に興味の対象が移っていることでしょう。人に注目してもらうこと、人に興味を持ってもらうことというのは、予想以上にハードルが高いのだなとこの時改めて感じました。

 

人に注目されるのは難しいが………

そんなわけで、看板をぶら下げながらまず学んだのは「人に気づいてもらうこと、注目されることって難しいんだな」ということでした。ほんとに人って見てくれない。そう考えると、改めて企業の宣伝だとか、アーティストやタレントが自分を認知してもらうことに四苦八苦している理由がほんのちょびっとだけわかりましたね。これだけ情報があふれる時代で、誰かに見てもらうこと、誰かに知ってもらうことというのは想像以上に難しいことです。

 

ただ、その一方で僕の中ではこんな考えも芽生えてきました。

 

「あっ、っていうことはよっぽど馬鹿なことや悪いことでもやらない限り、俺みたいな一般人の行動に誰かが注目することなんてほぼないな。だったら恥ずかしがらずにもっと好きにやっていいんじゃね?」

 

ぶっちゃけたこというと、僕このわらしべ長者をやることって結構恥ずかしいなぁと思っていたんです。自分でやっといてなに言ってんのって話ですが、僕はどちらかというと恥ずかしがり屋で、やる前もやってる途中にも羞恥心みたいなものがあったんです。すげぇ注目されちゃったらどうしようとか変な想像しちゃったりね。

 

でも、多くの人にとって僕の行動なんて目にも止まらない。気づいたとしても数秒、あるいは数十秒もたてば忘却の彼方へと葬り去られる。であるならば、「何をそんなに恥ずかしがる必要があるのだろうか」と。どうせ注目もされないし、気づかれないなら恥ずかしがって自分の行動を制限するんじゃなくて、もっと「自分がやりたい」と思ったことをやればいいじゃん。

 

今回渋谷の人込みの中で看板をぶら下げて歩いてみて、そのことを改めて実感することができたんです。これはわらしべ長者をやって得た大きな収穫だったなぁと思っています。

 

まとめ

というわけで、今回は短めですが「わらしべ長者のために、渋谷の人込みを看板ぶら下げながら歩いて気付いたこと」という内容で記事を書いてみました。

 

もし、今この記事を読んでいて「恥ずかしい」とか「注目されるのが嫌だ」と考えすぎて行動を制限してしまっている人がいるとしたら大丈夫。

 

他人が興味あるのは、自分自身のことであり自分に関連する情報だけです。有名人でもないかぎり、良くも悪くも僕の行動もあなたの行動もめったに興味を持たれないし注目されることなんてありません。

 

だから、自分の行動を制限するのはやめましょう。むしろ、めったに起こりえないことにおびえて自分のやりたいことを放棄してしまうのは、ものすごいもったいないことです。

 

もちろん、いきなり行動を起こすのは怖いかもしれない。だから、小さな一歩でいいのだと思います。そうやって少しずつ行動に移していけば世界は開けていく、そんな風に思っています。