オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

ゆるい読書会をやったのでその時の様子をお伝えする

先日、ふと「本を読んでもなかなかアウトプットする場がないから読書会でも開きたいなぁ」と思ったので、Twitterで「ゆるい読書会やるので来ませんかー?」という内容のツイートをした。場所は特に決めていなかったが、ファミレス辺りでゆるくやれればいいし、誰か来たい人がいたら具体的な場所を決めようと考えていた。まぁ正直、急だったしおそらく誰も来ないだろうけど、それならそれで自分一人でファミレスのドリンクバーをフル活用しながら読書すればいいかなぁと。

 

すると、ちょっと前にわざわざオフ会に来てくれたOさんから「積読している本があるので参加したいです」というコメントが入った。Oさんはアクティブな方だと思っていたが、まさかこの急な募集にも反応してくれるとは。

 

このツイートの後、何度か募集してみたが反応がなかったので今回はOさんと一対一で、読書会をすることに。場所はOさんと僕のどちらも行きやすい秋葉原のファミレス。ここ最近は秋葉原ばかりでオフ会をしているのだが、メイドカフェに行かないのは久々かもしれない。

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ゆるいオフ会開催!アキバをブラブラ散歩&メイドカフェでまったりしてきた

先週、急遽「アキバでゆるいオフ会やるよー」と募集をした。特に何をやるとも決めてなかったし、平日の午後からということもあって一人もこないかなーとも思っていたのだが、幸いにも僕の他に二人参加してくれた。

 

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僕らはアキバを少しブラブラした後、以前秋葉原に詳しいM氏に教えてもらったメイドカフェに行くことにした。このメイドカフェは秋葉原の駅から10~15分程度歩いたところにある。立地は少し悪いのだが、ほどよくメイドさんとの絡みもありながら、基本的には放置スタイルでまったり過ごすことができるカフェだ。飲み物はコーヒーやジュースを始めアルコールも飲むことができる。料理もオムライスやちょっとしたつまみも頼むことができる。値段はそれほど高くなく客負担は少ないのでおすすめだ。僕はすでに何度も訪れている。教えてくれたM氏に感謝!!

 

店内に入ると平日の午後という普段なら空いているであろう時間にほとんどの席が埋まっていたことに驚いた。どうやら、観光客の団体がドカッと入店していたらしい。平日のこの時間にこんなに人がいることは珍しいと、僕らに対応してくれたメイドさんも驚いていた。しばらくしてその団体が退店すると店内は一転してガラガラになり、一気に空間に余裕ができた。正直、僕にとってはこのちょっと寂しいかなぐらいの人入りの方がリラックスできる。まぁ、店側からすればできるだけお客さんを入れたいと思うのだろうけど。

 

今回このオフ会に来てくれたのは、以前僕をレンタルしてくれてそれからちょくちょくあっているKさん。そしてもう一人は『0円で生きる』などの著書がある鶴見さんが開催している『不適応者の居場所』という集まりで会ってからTwitterなどでちょくちょく絡ませてもらっているOさんだ。どちらも男性である。Oさんはこの後バイトがあるということで一時間ほどしかいられないとのことだったが、このためにわざわざアキバまで寄ってくれたのだ。ほんとにありがたい。

 

席に着くとメイドさんが挨拶にきて、「このお店は始めてですか?」と質問される。僕以外の二人は始めてですと答えると、メニュー表を開きながら店のシステムをレクチャーしてくれる。おそらく多くのメイドカフェがそうだろうが、勝手にメイドさんの写真を撮ることは禁止。料理や飲み物の写真を撮ることはOKとのことなので、僕は頼んだキャラメルラテ(だったと思う)の写真をパシャリと撮っておいた。

 

 

このように頼んだ食べものや飲み物によっては、メイドさんが絵を描いてくれるものもある。メイドさんから「何か描いてほしいものありますか?」と聞かれたので僕は「特異なものでお願いします」と答えると、写真のキティーちゃんを描いてくれた。普通にうまい。ちなみにOさんはオムライスを頼んだのだが、今度は別のメイドさんがケチャップを使ってイラストを描いていた。描いたのはウサギ2匹。(写真はなし)ライスの上に乗っかている黄色い卵焼きが真っ赤なケチャップで埋め尽くされる。

 

「これはケチャップの味しかしなくなるのでは・・・。」

 

と懸念したがOさんはバクバク食べていたので、問題なさそうだ。(内心はしょっぺーと思っていたかもしれないが)

 

ちなみにこうしたラテアートなどのイラストを描くサービスはお店で練習するのかと聞いたところそんなことはなくて、「ぶっつけ本番で習うより慣れろってスタイル」とのことで、意外と適当なんだなーと笑ってしまった。この辺の程よくゆるい感じもこのお店の魅力だと思う。

 

メイドカフェのことばかり書いてしまったがオフ会についてもちょろっと。といっても、今回のオフ会はほんとにコンセプトも何もなくて、ただ時間がある人に来てもらって、適当にだべるというスタンスなので本当にゆるゆるだったと思う。

 

ただ、そんなゆるすぎるオフ会であっても、やはり人と会うことは大事だと思った。KさんもOさんも僕にはない経験をしているし知識も持っている。当然互いの興味関心も違うので、話を聞いているだけでも新鮮で面白い。

 

特にOさんとお会いするのは久々ということもあって、彼のやっている仕事の話や仕事探しの際に使っているアプリのこと、あとはウーバーイーツの現状などを教えてもらった。ウーバーイーツは時々やたらと遠い場所に行かされるなどハードなこともあるようだが、そこそこは稼げるらしい。色々な配達先があるのでそういうところを観察するのも楽しいとのことだ。自転車で運動しながら色々なところに行くのが苦でなければやってみるのもいいかもしれない。ただし、繁華街とかある程度人が多いエリアでしかサービスをやっていないみたいなので、その辺りは要確認といったところだろう。

 

そんな話をしていたらあっという間に1時間が経って、Oさんとお別れする時間になった。僕らも一緒に店を出てOさんと一緒に駅まで歩きお別れをした。このあとバイトってすごいよなぁ。オフ会とバイトという単語が並び立つことがない人生なので、Oさんんのバイタリティには驚嘆するばかりだ。また、いろいろとお話をしたい。

 

その後、夕方になりちょっとお腹もすいてきたので僕とKさんはアキバでラーメンを食べて、「どうせなら歩きますかぁ」ということで上野まで歩いた。秋葉原から上野まで歩いて20分かからないぐらいなので、腹ごなしの運動にはちょうどいい。道にはスーツ姿のサラリーマンたち。なんだか表情が明るい人も多く「そうか、今日は花の金曜日かぁ。」と気づく。僕は日常的にスーツを着る人生とは無縁の生活を送ってきたので、花の金曜日的な感覚はあまりわからないのだけど、道行く人たちの開放的な表情を見ると、ちょっと体験してみたかったなぁと思うこともある。まぁ、ないものねだりをしてもしょうがない。

 

上野に着くとこれまた人が多い。するとKさんが「アメ横はじめてなので歩きたい」とおっしゃったので一緒にプラプラと歩く。お菓子、魚介類、干物などを売っている店から、もんじゃ焼き、海鮮丼、居酒屋など様々な業態の店が並ぶ。とてもゴチャゴチャしているけど、活気があってアメ横を歩くのはいつも楽しい。

 

Kさんからは「こういう機会がないとまず行くことがないので良かったです」という言葉をもらった。オフ会を開く意義は色々あるがこうした偶然の出会い(人や場所などに限らず)をもたらすということもあるだろう。

 

人はどうしても自分の知っている領域にとどまりがちだ。それは会う人もそうだし知識もそう、行く場所などもある程度決まっている人が多いだろう。決まりきった日常を送ると時に飽きが来てしまったり、視野が狭くなってしまうこともある。そうした決まりを自分でガラッと変えるのはなかなか難しい。そんな時にフラーっと来たオフ会で、その人の人生にちょっとした気付きや出会いをもたらすことができたら、それは意味のあることなのかもなと思った。

 

今後もこうしたゆるいオフ会は開いていきたい。ただ、何するかわからないオフ会は参加しづらい人もいると思うので、明確に「○○します」みたいな会もやっていければと思っている。

 

もし、こんなオフ会やってほしいなどの案がありましたらメッセージなどいただければ嬉しいです。では、また!!

レイトショーが好きだ

ここ最近は以前に比べて映画への興味が高まっていて、月に1本ぐらい映画館で映画を観ている。(それでも多くはないが)

 

映画館と言えばやはりあの大きなスクリーンに目いっぱいに映る迫力のある映像や音楽、そして見知らぬ観客同士で同じ作品を共有するという独特の体験こそが映画館の醍醐味だという人もいるだろう。おそらく映画館は見知らぬ他人と同じ場所で感情を共有する希少な場で、そこに魅力を感じわざわざ映画館まで足を運ぶのかもしれないし、僕もそこが楽しくて映画館に行っているところもある。

 

だけど、それ以上に好きなのが誰もいないレイトショーの映画館だ。もちろん映画館の場所や上映されている作品にもよるのかもしれないが、僕が普段通っている映画館はレイトショーともなるとほんとに客が少ない。最低でも100席はあろうキャパのところに人が5人とかザラにあるのだ。一番少ない時は僕ともう1人という時もあった。

 

このレイトショーの何が魅力かというと、とにもかくにもリラックスできるというのがある。僕はどちらかというと人混みが苦手だし両隣に人がいるような状況だと、知らず知らずのうちに緊張してしまっていたり、隣の人にぶつからないように縮こまり体に力が入ってしまったりして映画が終わるころには肩がガチガチに凝ってしまったりする。血流も悪くなるせいか、イマイチ映画に集中できていないときもあるのだ。

 

だが、レイトショーは違う!!基本両隣にはだれもいない!!それどころか同じ列にすら誰もいないこともざらだ!これがもう僕にはとてつもなくありがたい。たとえ肩が凝っても、少し首を回したりストレッチをしたりしても誰にも迷惑をかけない。隣にぶつからないだろうかとか、後ろの人の妨げになっていないだろうかとか一切気にしなくていい。俺は自由だ!!そんなことを叫びたくなる開放感がレイトショーの映画館にはあるのだ。

 

そして、もう一つレイトショーの魅力をあげるとやはり「あの大画面をたった数人で占有している」という贅沢感を味わえるところにある。言うまでもないが映画館のあのバカでかいスクリーンはたった数人に映像を見せるための大きさではない。百人単位の観客に同時に作品を見せるための大きさなのだ。それを少人数で占有している時の謎の贅沢感、「おぉ、こんだけでっかい画面をこんな少ない人数で見ているぜぇ」という謎の高揚感。映画を観るために払った金額は変わらないが、この感じはガラガラのレイトショーでしか味わえないのかもしれない。(あるいは早朝や人気のない作品でも体験できるかもしれないが、朝早くは正直しんどい。)

 

そんなわけで僕はこれからもレイトショーに行く。開放感、贅沢感、高揚感を味わうために。

『うつ病とサッカー』ドイツ代表にまでなったGKはなぜ自ら死を選んだのか?

久々にブログで本を紹介します。紹介するのはうつ病によって、自殺にまで追い込まれてしまったサッカー選手の人生を綴った『うつ病とサッカー』という本です。

 

サッカー選手の名前はロベルト・エンケ。亡くなったのはもう10年以上も前のことなのでご存知のない方も多いでしょう。彼は29歳とやや遅咲きながらもGK大国ドイツで代表GKにまで選ばれた実力者です。本書はそんなトップアスリートであったエンケが選手として一人の人間としてうつ病と戦い抜いた人生をたどることで、「うつ病とともに生きるとはどういうことなのか?」を僕たちに教えてくれています。

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2019年もお世話になりました。今年の振り返りと来年についてつらつらと書きました

最近こちらのブログはめっきり更新頻度が少なくなってしまい、それに比例するかのようにPVなんかも落ちていってしまっているのだけど、過去記事を読んでくれたりする方もまだまだいて時々コメントやメッセージをいただいたりすることもありありがたいなと思います。

 

さて、今日が2019年最終日ということで簡単に今年の振り返りをしておこうかと思うのだけど、うーん、そこまで大きな変化があったのかというと何とも言えないところ。バイトに定期的に入ることである程度貯金が増えたりもしたけど、それだって雀の涙だし、ブログから発生するお金も雀の涙ということで、金銭的にはあんま充実していないのは相変わらずかな。実家だからどうにか生きていられるわけで、そこには感謝しつつ来年もうちょいお金面でも頑張んなきゃなーと思います。

 

今年は3歩進んで2.5歩ぐらい下がった感覚かな。まぁ、一応前に進んだのだからいいのかもしれないけど、やろうとしていたことが僕のせいでとん挫したり、うまくいかなくなってしまったことがいくつかあってそれに関してはほんと申し訳ないなと。自分はダメ人間なんでですませちゃいけないんだろうけど、改めて自分はダメ人間で色々へたくそなんだなということを再認識した年でもありました。もっと生きるの上手くなりたい。楽しませたりするのはなかなか難しいけどせめて他人のことを不快にさせないようにしたいし、仮にそうさせてしまったとしたらすぐ謝れるようにしたい。とっくに30過ぎたおじさんが言うことではないのかもしれないけど。

 

こういう振り返りってどうしても僕の場合はネガティブになりがちなんだけど、究極的には「とりあえず死ななければいい」というところに目標を置いているので、そこはとりあえずクリアできたのでよかった。それに、なんやかんやで1年前よりは人とも会ったし本も読んだし映画も見た。進歩のスピードはノロノロで時に高速で走る他人を見て焦ることもあるわけだけど、昨日の自分より今日の自分が少しでも成長していればいい。それぐらいの方がハードルが低くて自分を嫌いにならずに済むような気がするから。

 

2020年はどうしようか。とりあえずブログは継続するし、『価値』のライターとしても活動は継続する。あとは、自分主催のオフ会みたいなものを定期的に開催していきたいとは思う。僕はこういうオフ会とか開くのどちらかというと苦手なんだけど、もう少し人と会う機会を増やさないと声帯が死ぬ(笑)これほんとにびっくりするんだけど、しゃべらなすぎると、ちょっと会話するだけであっという間に声がかれるんだよね。来年はそんなことにならないようにしないと。

 

まぁ、それは冗談としておいといてやっぱり2020年以降は居場所づくりみたいなものにも力を入れなきゃなとは思ってる。それがどういう場になるのかはわからないけど、ちょっとずつやっていく予定。

 

あとは、顔出しとかした方がいいのかどうかをちょっと迷ってる。特にイケメンでもないおっさんが顔出ししたところで誰得なんだという話ではあるんだけど、オフ会とか開くのであれば顔が見えた方が安心感はあるかなとも。でも、恥ずかしさもあったりするしなぁ。そんなことを考えてたらまたあっという間に1年が終わってしまいそうだ。

 

最後に年末なのでたまにはまじめなことも。年末ってどうにもおめでたいムードが社会全体を覆っててそれがしんどいななんて人もいるのかもしれない。テレビを付ければ大してめでたくもない、むしろ辛いのに「おめでとう!」と言うことを強制させられているように思ってしまうこともある。僕も20代前半ぐらいのころはそんなおめでたいムードと正反対の自分の将来が不安で仕方がなくて「来年の俺はどうなってしまうんだろうか………」と暗い部屋の中で一人うずくまって涙を流していた記憶がある。ただ、悲しいけど救いの手が目の前に差し伸べられることはなかった。(もしかしたら気づいてなかっただけかもしれないが)基本的に他人は自分のことで精いっぱいだし、他人にそれほど多くの関心を向けているわけではないということもあるだろう。

 

自分を救ってくれるのは自分だけというのは残酷なようでもあるが、ある意味ではすがすがしくもある。なぜなら他人に自分の命運を握られなくて済むからだ。それはこの年になってそう思うようになった。他人に振り回されるよりうまくいかなくても「俺の人生は俺のもの」でいた方が圧倒的に気持ちは楽だ。ただ、だからといって他人や社会を拒絶したり自分を救ってくれないと絶望する必要もないとは思う。別に自分だけですべてをやる必要なんてないし、うまくいかないときは他人の力を借りればいい。大事なのは自分で自分を救うという考えを持ちつつ、ほんのちょびっとでもいいから動いてみること。そうやって自分でアクションを起こした時、もしかしたらその先に見えていなかった救いの手が見えてくるのかもしれない。

 

もちろん、必ず誰かが救ってくれるなんてきれいごとは言わないし、現実は救われない人がいることもわかってはいる。だけど、それでもやはり最初は自ら動くしかない。それは大それたことじゃなくていい。「助けてほしい」と誰かに相談するのも最初の一歩だろうし、本を読むのだっていいだろう。もしかしたら笑ってしまうかもしれないぐらい些細なことだってかまわない。動けない人がちょっとでも動き出せたならそれは進歩であり胸を張っていいことだ。ちゃんと自分をほめてあげてほしい。誰もあなたをほめてくれる人がいないのであれば、すばらしい、よくやったと、頑張ったと自分で自分をほめてほしい。ネガティブな部分ばかりに目を向けてしまう人は自分の良い部分を見つけてみてほしい。きっと、気持ちが楽になるから。

 

まぁ、僕自身が社会の中で遭難している身なので偉そうなことは言えないし「お前みたいなやつが何を言ってるんだ」と思う人もいるかもしれない。これは人に向けてでもあるけど、どちらかというと自分に向けてのメッセージでもある。そのメッセージがもしかしたらちょびっとでも過去の自分に近い立場にいる人に届いて、何かこうポジティブなアクションに繋がればいいなぐらいに思ってる。

 

2020年ははたしてどんな年になるのだろうか?まぁ想像したところで仕方がないし、わかりっこない。なるようにしかならないし、とりあえずは死なないことを目標にちょっとずつ動いていくつもり。

 

今年お世話になったみなさんに感謝します。ありがとうございました。そして、来年もお付き合いいただければ幸いです。よい年をお過ごしください。