オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

レイトショーが好きだ

ここ最近は以前に比べて映画への興味が高まっていて、月に1本ぐらい映画館で映画を観ている。(それでも多くはないが)

 

映画館と言えばやはりあの大きなスクリーンに目いっぱいに映る迫力のある映像や音楽、そして見知らぬ観客同士で同じ作品を共有するという独特の体験こそが映画館の醍醐味だという人もいるだろう。おそらく映画館は見知らぬ他人と同じ場所で感情を共有する希少な場で、そこに魅力を感じわざわざ映画館まで足を運ぶのかもしれないし、僕もそこが楽しくて映画館に行っているところもある。

 

だけど、それ以上に好きなのが誰もいないレイトショーの映画館だ。もちろん映画館の場所や上映されている作品にもよるのかもしれないが、僕が普段通っている映画館はレイトショーともなるとほんとに客が少ない。最低でも100席はあろうキャパのところに人が5人とかザラにあるのだ。一番少ない時は僕ともう1人という時もあった。

 

このレイトショーの何が魅力かというと、とにもかくにもリラックスできるというのがある。僕はどちらかというと人混みが苦手だし両隣に人がいるような状況だと、知らず知らずのうちに緊張してしまっていたり、隣の人にぶつからないように縮こまり体に力が入ってしまったりして映画が終わるころには肩がガチガチに凝ってしまったりする。血流も悪くなるせいか、イマイチ映画に集中できていないときもあるのだ。

 

だが、レイトショーは違う!!基本両隣にはだれもいない!!それどころか同じ列にすら誰もいないこともざらだ!これがもう僕にはとてつもなくありがたい。たとえ肩が凝っても、少し首を回したりストレッチをしたりしても誰にも迷惑をかけない。隣にぶつからないだろうかとか、後ろの人の妨げになっていないだろうかとか一切気にしなくていい。俺は自由だ!!そんなことを叫びたくなる開放感がレイトショーの映画館にはあるのだ。

 

そして、もう一つレイトショーの魅力をあげるとやはり「あの大画面をたった数人で占有している」という贅沢感を味わえるところにある。言うまでもないが映画館のあのバカでかいスクリーンはたった数人に映像を見せるための大きさではない。百人単位の観客に同時に作品を見せるための大きさなのだ。それを少人数で占有している時の謎の贅沢感、「おぉ、こんだけでっかい画面をこんな少ない人数で見ているぜぇ」という謎の高揚感。映画を観るために払った金額は変わらないが、この感じはガラガラのレイトショーでしか味わえないのかもしれない。(あるいは早朝や人気のない作品でも体験できるかもしれないが、朝早くは正直しんどい。)

 

そんなわけで僕はこれからもレイトショーに行く。開放感、贅沢感、高揚感を味わうために。

『うつ病とサッカー』ドイツ代表にまでなったGKはなぜ自ら死を選んだのか?

久々にブログで本を紹介します。紹介するのはうつ病によって、自殺にまで追い込まれてしまったサッカー選手の人生を綴った『うつ病とサッカー』という本です。

 

サッカー選手の名前はロベルト・エンケ。亡くなったのはもう10年以上も前のことなのでご存知のない方も多いでしょう。彼は29歳とやや遅咲きながらもGK大国ドイツで代表GKにまで選ばれた実力者です。本書はそんなトップアスリートであったエンケが選手として一人の人間としてうつ病と戦い抜いた人生をたどることで、「うつ病とともに生きるとはどういうことなのか?」を僕たちに教えてくれています。

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2019年もお世話になりました。今年の振り返りと来年についてつらつらと書きました

最近こちらのブログはめっきり更新頻度が少なくなってしまい、それに比例するかのようにPVなんかも落ちていってしまっているのだけど、過去記事を読んでくれたりする方もまだまだいて時々コメントやメッセージをいただいたりすることもありありがたいなと思います。

 

さて、今日が2019年最終日ということで簡単に今年の振り返りをしておこうかと思うのだけど、うーん、そこまで大きな変化があったのかというと何とも言えないところ。バイトに定期的に入ることである程度貯金が増えたりもしたけど、それだって雀の涙だし、ブログから発生するお金も雀の涙ということで、金銭的にはあんま充実していないのは相変わらずかな。実家だからどうにか生きていられるわけで、そこには感謝しつつ来年もうちょいお金面でも頑張んなきゃなーと思います。

 

今年は3歩進んで2.5歩ぐらい下がった感覚かな。まぁ、一応前に進んだのだからいいのかもしれないけど、やろうとしていたことが僕のせいでとん挫したり、うまくいかなくなってしまったことがいくつかあってそれに関してはほんと申し訳ないなと。自分はダメ人間なんでですませちゃいけないんだろうけど、改めて自分はダメ人間で色々へたくそなんだなということを再認識した年でもありました。もっと生きるの上手くなりたい。楽しませたりするのはなかなか難しいけどせめて他人のことを不快にさせないようにしたいし、仮にそうさせてしまったとしたらすぐ謝れるようにしたい。とっくに30過ぎたおじさんが言うことではないのかもしれないけど。

 

こういう振り返りってどうしても僕の場合はネガティブになりがちなんだけど、究極的には「とりあえず死ななければいい」というところに目標を置いているので、そこはとりあえずクリアできたのでよかった。それに、なんやかんやで1年前よりは人とも会ったし本も読んだし映画も見た。進歩のスピードはノロノロで時に高速で走る他人を見て焦ることもあるわけだけど、昨日の自分より今日の自分が少しでも成長していればいい。それぐらいの方がハードルが低くて自分を嫌いにならずに済むような気がするから。

 

2020年はどうしようか。とりあえずブログは継続するし、『価値』のライターとしても活動は継続する。あとは、自分主催のオフ会みたいなものを定期的に開催していきたいとは思う。僕はこういうオフ会とか開くのどちらかというと苦手なんだけど、もう少し人と会う機会を増やさないと声帯が死ぬ(笑)これほんとにびっくりするんだけど、しゃべらなすぎると、ちょっと会話するだけであっという間に声がかれるんだよね。来年はそんなことにならないようにしないと。

 

まぁ、それは冗談としておいといてやっぱり2020年以降は居場所づくりみたいなものにも力を入れなきゃなとは思ってる。それがどういう場になるのかはわからないけど、ちょっとずつやっていく予定。

 

あとは、顔出しとかした方がいいのかどうかをちょっと迷ってる。特にイケメンでもないおっさんが顔出ししたところで誰得なんだという話ではあるんだけど、オフ会とか開くのであれば顔が見えた方が安心感はあるかなとも。でも、恥ずかしさもあったりするしなぁ。そんなことを考えてたらまたあっという間に1年が終わってしまいそうだ。

 

最後に年末なのでたまにはまじめなことも。年末ってどうにもおめでたいムードが社会全体を覆っててそれがしんどいななんて人もいるのかもしれない。テレビを付ければ大してめでたくもない、むしろ辛いのに「おめでとう!」と言うことを強制させられているように思ってしまうこともある。僕も20代前半ぐらいのころはそんなおめでたいムードと正反対の自分の将来が不安で仕方がなくて「来年の俺はどうなってしまうんだろうか………」と暗い部屋の中で一人うずくまって涙を流していた記憶がある。ただ、悲しいけど救いの手が目の前に差し伸べられることはなかった。(もしかしたら気づいてなかっただけかもしれないが)基本的に他人は自分のことで精いっぱいだし、他人にそれほど多くの関心を向けているわけではないということもあるだろう。

 

自分を救ってくれるのは自分だけというのは残酷なようでもあるが、ある意味ではすがすがしくもある。なぜなら他人に自分の命運を握られなくて済むからだ。それはこの年になってそう思うようになった。他人に振り回されるよりうまくいかなくても「俺の人生は俺のもの」でいた方が圧倒的に気持ちは楽だ。ただ、だからといって他人や社会を拒絶したり自分を救ってくれないと絶望する必要もないとは思う。別に自分だけですべてをやる必要なんてないし、うまくいかないときは他人の力を借りればいい。大事なのは自分で自分を救うという考えを持ちつつ、ほんのちょびっとでもいいから動いてみること。そうやって自分でアクションを起こした時、もしかしたらその先に見えていなかった救いの手が見えてくるのかもしれない。

 

もちろん、必ず誰かが救ってくれるなんてきれいごとは言わないし、現実は救われない人がいることもわかってはいる。だけど、それでもやはり最初は自ら動くしかない。それは大それたことじゃなくていい。「助けてほしい」と誰かに相談するのも最初の一歩だろうし、本を読むのだっていいだろう。もしかしたら笑ってしまうかもしれないぐらい些細なことだってかまわない。動けない人がちょっとでも動き出せたならそれは進歩であり胸を張っていいことだ。ちゃんと自分をほめてあげてほしい。誰もあなたをほめてくれる人がいないのであれば、すばらしい、よくやったと、頑張ったと自分で自分をほめてほしい。ネガティブな部分ばかりに目を向けてしまう人は自分の良い部分を見つけてみてほしい。きっと、気持ちが楽になるから。

 

まぁ、僕自身が社会の中で遭難している身なので偉そうなことは言えないし「お前みたいなやつが何を言ってるんだ」と思う人もいるかもしれない。これは人に向けてでもあるけど、どちらかというと自分に向けてのメッセージでもある。そのメッセージがもしかしたらちょびっとでも過去の自分に近い立場にいる人に届いて、何かこうポジティブなアクションに繋がればいいなぐらいに思ってる。

 

2020年ははたしてどんな年になるのだろうか?まぁ想像したところで仕方がないし、わかりっこない。なるようにしかならないし、とりあえずは死なないことを目標にちょっとずつ動いていくつもり。

 

今年お世話になったみなさんに感謝します。ありがとうございました。そして、来年もお付き合いいただければ幸いです。よい年をお過ごしください。

【レンタル同行人】2019年最後の依頼は新宿のあの街に!?

ここ最近レンタルの依頼がなくて寂しいなぁなんて思ってたのですが、ありがたいことに2019年のラストに依頼を受けることができました。さて、その肝心な依頼内容はというと………

 

「一緒に新宿二丁目で気になってるバーに行ってほしい!」

 

というもの。依頼をしてくれたのは以前もレンタルしてくれた方です。今年二回目の依頼ということでありがたやありがたや。それにしても今年最後の依頼が新宿二丁目………最高じゃないか!!実は新宿二丁目には以前も行ったことがあって、その時はゲラゲラ笑ってものすごく楽しかった記憶が残ってて、いつかまた行きたいなぁなんて思ってたんですよね。そんな時に来たこの依頼を受けないわけにはいかんでしょうということで、今回はその時の様子をお伝えしようと思います。

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【レンタル同行人】意外な依頼を受けたのでその時のことを書いてみた!

前回のレンタルはこれまででやってきてはじめての依頼だったんだけど、今回もまたまた人生初の依頼を受けました。その内容は「自宅にて履歴書の出来栄えを残酷に評価してもらいたい」というものでした。

 

「履歴書の出来栄えを残酷に!?」

 

履歴書を評価してほしいという依頼にも驚きましたが、しかもそれを残酷に評価するというまさかまさかの依頼にちょいと驚きました。というか「えっ?正社員経験がない俺が履歴書を評価とかしちゃっていいんだろうか?」というちょっとした戸惑いもあったんですよね。あと、残酷にっていうのはどうすりゃいいんだろうと。(履歴書を破り捨てるのか?)

 

ただこれはこれではじめての依頼だし、人と一緒に履歴書を作るってあんまりない経験だし「まぁ、一緒にググったりしながら方向性を定めていけばいいか」と思いまして、依頼を受けることにしました。

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