オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

ひきこもっているからこそ心理的なハードルを下げる

行動だけが世界を変えてくれるのは真理だが、行動に移すのはなかなか大変だ。多分、これを読んでいる人の中にも、何かを始めようとしたけど結局始められなかったなんて経験はあると思う。

 

次の行動になかなか踏み出せない人は、自分では乗り越えられないぐらい心理的なハードルがグングン上がってしまっている気がする。だから、何かを始めようと思うならハードルをぐっと下げるか、もしくは誰かに後押ししてもらいながらハードルを越えるといいと僕は考えている。一度ハードルを越えると、次のハードルは越えやすくなるものだ。

 

これはひきこもっている人にも当てはまると思う。家にずっとひきこもっていると、外に出たり人と会うハードルはめちゃめちゃ上がる。ましてや、働くとなると人によってはハードルどころか、まるで谷を飛び越えるような怖さを感じるものだ。それが数ヶ月のひきこもりならまだしも、数年、数十年ともなれば心理的なハードルの高さは想像を絶するものがあるし、軽々しく「外に出ろ」などとは言えやしない。多分、同じ立場になってみなければわからない恐怖なり葛藤なりがあるはず。

 

とまぁ、常日頃からこんなことを考えているのだけど、先日たまたまこんな記事を発見した。

 

「15分だけ」でもOK、気楽に働けるカフェ ひきこもりや不登校の若者に働きやすい場所を提供:東京新聞 TOKYO Web

 

ひきこもりや不登校の若者に働きやすい場を提供しようと、最短で「15分」勤務しただけで賃金を支払う珍しいカフェが今春、愛知県春日井市にオープンした。内閣府の調査では、ひきこもりの人たちは就労関連の理由でつまずくことが多い。15分という短さによって、心理的なハードルを下げる効果が期待できるとして、専門家も注目している。

引用元;https://www.tokyo-np.co.jp/article/193453

 

気楽さがハードルを下げる

15分から働けるカフェ。素晴らしくないだろうか。この記事にも書かれているように、これだけ短い時間から働ければ心理的なハードルはかなり下がる。こうした気楽さはとても大事だと思う。

 

だが、世の中の求人を眺めていると、最低でも1日数時間は働いてねという求人がほとんどだ。ひきこもっている人にとっていきなり見ず知らずの他人と数時間一緒にいるのはしんどい。仕事だってなんだかんだで向き不向きはある。職場の雰囲気はどうだろう。求人にはいいことが書いてあっても実際入ってみたら…みたいなことは、ネットを始め色々なところで見聞きする。これではどんどんハードルが上がってしまい、不安が強くなってしまっているひきこもりの人の場合、なかなか一歩踏み出すのは難しいだろう。

 

でも、この15分カフェのような超短時間から働ける職場であれば、こうした不安は払拭しやすい。ちょっと働くことで何をするのか、どういう人がいるのかも何となくわかる。もし、仮に仕事内容や人間関係などで「ここは合わないかも」と感じても15分で終わりなら精神的なストレスはだいぶ少ないだろう。

 

それに、15分といえど給料がもらえるのも大きい。「自分でもお金を稼げた」という経験は、本人にとって少なからず自信になる。微々たるお金でも稼いだお金で何か欲しいものを買えたりすれば、それもまた次のステップにつながっていくかもしれない。

 

気楽さをスパイスしてハードルを下げる。そういう場所がどんどん増えていけば、ひきこもっている人や、何らかの理由でなかなか一歩踏み出せない人がもっと動けるようになるかもしれない。動けない人が少しずつ動けるようになり、次の目標を見つけたり、誰かと繋がれるようになれば社会的な意義はとても大きい。

 

こういう場所がもっと世の中に増えてくれればいいなと思う。

健康のためにお酒の知識を身につけてみた

相変わらず暑い。今日も熱中症警戒アラートが出ていたし、僕の済んでいる地域は気温が40℃近くになった。テレビを見れば熱中症で運ばれた人のニュースが放送されているし、時々救急車のサイレンの音も聞こえる。まぁ、これはもしかしたらコロナの患者さんかもしれないが。

 

そういえば、先日体調を崩していた母親が回復した。2日程度だっただろうか。38度台の熱とだるさ、少し喉の痛みもあったそうで、ほとんどの時間を寝るか水分を取るかして過ごしていた。とりあえず、僕は常に水分を常備し母親が喉が渇いた時には、すぐに冷たいものが飲めるようにだけしておいた。

 

コロナの検査は受けていないので、母親がコロナなのか単なる夏風邪なのかは正直わからない。ただ、一応同居する僕と父親は無症状ではある。ただ、仮に母親がコロナだったらまぁまず感染している気がするので、しばらくはなるべく人と接しないようにするのがいいのだろう。

 

あと、こんだけ暑くて部屋にクーラーないのに今日も筋トレした。扇風機の風はこの暑さには心もとない。案の定、あっという間に僕の部屋は熱気に包まれた。この日鍛えたのは胸と背中。ダンベルを丁寧に振り回した。エライ。

 

話は変わって、この日は『名医が教える飲酒の科学』なんていう本を読んでみた。

 

この本は、「飲酒が体に及ぼす影響」について、病気のスペシャリストや酒と人体につい研究する専門家に話を聞き、解説してもらったものをまとめた一冊だ。

 

結論から言うと「お酒飲むより飲まないほうが健康には良い」という、ある程度想像がつく内容ではあった。ただ、飲酒の適量や飲酒と病気の関係、飲酒と依存症の関係など、今後お酒と付き合っていく上で必要な知識をざっくり学ぶことができた。多分、ネットでも探せる情報が多いだろうけど、本だと体系的に学べて頭に入ってきやすいのがいいと思う。

 

ちなみにこの本にも書かれてるけど、厚生労働省によると「1日平均純アルコール換算で約20g程度」が適量らしい。これは、ビールなら中瓶1本(500ml)、日本酒1合(180ml)、ワインならグラス2〜3杯程度だそうだ。まぁ、酒飲みからしたら少ない。ちなみに女性はアルコールの影響を受けやすいらしくこの3分の2程度とのこと。酒飲みの女性からしたらツラいかもしれない。

 

あと、役に立ちそうな計算式も紹介しておく。自分がその日に飲んだお酒の純アルコール量を求めるならこの計算式を使うといい。

 

酒の度数÷100×飲んだ量(ml)×0.8(エタノールの比重)=純アルコール量(g)

引用元;『名医が教える飲酒の科学 一生健康で飲むための必修講座』p43の計算式より

 

仮にあなたがアルコール度数5度の缶チューハイ(350ml)を1本飲んだなら計算はこうだ。

5÷100×350×0.8=14

 

この場合は適量であるということだ。ぜひ、普段お酒を飲んでいる人はご自身で計算をしてみてほしい。ひょっとしたら結構飲みすぎている可能性もある。

 

こういう知識を知っているかいないかで、少し体への意識も変わるものだと思うし、今仮に不健康な生活だったとしても、「自分はこういう病気になる可能性があるのだな」と知っておくだけで安心感も違うだろう。健康診断などできちんと備えておけば、そのリスクを避けることもできる。

 

お酒とはこの先も上手に付き合っていきたいものだ。

人は楽しそうなところに集まる

僕はメモアプリに気になるニュースサイトの記事なんかをストックしている。つい、先日ちょっとストックしている記事が増えてきたので、整理しようかなぁと思ってメモアプリを開いたところこんな記事が出てきた。

 

「楽しそうにしてんな」を発信するほうが人は寄ってくる 社長・さらば森田氏の「儲からん時は儲からん」の考え方 - ログミーBiz

 

この記事の中で僕は、さらば青春の光(お笑いコンビ)の森田さんが語った言葉に「そうだよなぁ」と頷いた。

 

「なんかおもしろそう」とか「楽しそうにしてんな」みたいなことを周りに発信しているほうが、人は寄ってくるんじゃないかと。人が寄ってくるってことは、金も寄ってくるんじゃないかという考え方やから。それかなぁと思います。

引用元;https://logmi.jp/business/articles/326137

 

森田さんは芸人であり個人事務所の社長でもある。単に人を笑わせる、芸を突き詰めるだけでなく自分達のところに人を集めることも考えなければならない。理由はシンプルで人が集まらなければお金がもらえず、お金がなければ個人事務所の経営が成り立たないからだ。そのためには、面白そうとか楽しそうと思ってもらえること。それが大事なんじゃないかと森田さんは語っている。僕はこれ、会社の経営とかに限らず、人となかなか繋がりにくいような人にも参考になるのではないかと思う。

つまらなそうにしている人の周りに人は集まりにくい

ごく当たり前のことかもしれないけど、「あの人なんかつまらなそうにしているなぁ」という人の周りには、なかなか人って集まりにくい。これは、学生時代とかを振り返ってみてもそうだし、SNSやYouTuber何かを見ていてもそう思う。あの人つまらなそうだからちょっと近づいてみようという発想にはなかなかならない。

 

「なんか楽しそう、なんか面白そう」

 

そう思わせてくれる人がいると、つい覗きにいってしまう。僕らは好奇心を刺激してくれるもの、ワクワクさせてくれるものを求めているんじゃないだろうか。楽しそう、面白そうには人を惹きつける吸引力みたいなものがある気がする。祭りとかやってたらちょっと覗いてしまったみたいな感じ。祭りってなんかワクワクするし楽しそうでしょ。

 

とまぁ、こんな考えを述べると多分こう思う人がいるはず。

 

「自分には誰かに楽しそうと思ってもらえることなんてない。そんなふうに思ってもらえるのは一部の人だけだろう。」

 

多分、それは順序が間違っている。自分が楽しくもないのに人から楽しそうと思ってもらえることなんてまずないだろう。森田さんにしたって、「お笑い芸人としての仕事が楽しいから」というのが根底にあるはずだ。つまり、「自分が楽しむ」というのが第一となる。そうでもなければ、嘘の楽しさで人を惹きつけていることになる。それは無理が出るし続かないだろう。

 

自分が楽しめるものを見つける

ここはシンプルに考えていいと思う。自分が楽しむためには、自分が楽しめるものに取り組めばいい。そして、それを発信してみる。本気で楽しんでいれば、同じものを楽しいと思う人の目に止まりやすい。さすがに、お笑い芸人さんのような規模で人を集めるのは難しいかも知れないけど、1人ぐらい「自分もそれやるの好きなんですよ」みたいな人はいるだろう。そういう人と繋がってみるといいのではないだろうか。

 

また、自分で発信するのはどうも苦手という人もいるだろうし、自分で人を集めたいと思わない人もいるとも思う。そういう人でも「自分は何が楽しいのか」を把握しておいて損はしない。もし、友達なり知り合いを作りたいなら、自分が楽しんでいるものを楽しんでいる人を探してみればいい。読書なのか、映画なのか、あるいは何かのスポーツなのかはわからないが、おそらく誰かしらいるだろうし、大なり小なり共通のものを楽しむコミュニティみたいなものも見つかるはずだ。

 

共通の話題があれば話がしやすいというのは、まぁ何となくわかることだと思う。雑談が苦手という人でも、自分が楽しいと思ってやっている活動についてならわりと話せると思うし、そういうところから繋がりを作ってみるといいのではないだろうか。

 

こんなことを語っているけど、僕も知り合いや友達が少ないので、まぁあくまで参考程度に。

サザエさんを見て大人になったなぁと思った話

日曜の夜。サザエさんをかなり久々に見た。いつからサザエさんを見なくなったのかわからないが、相変わらずサザエさんたちはサザエさんたちだった。今回観たのはマスオさんが副業をするという話だった。サザエさんも昨今の副業ブームに乗っかったのか、さてマスオさんはいったいどんな仕事するのかなと蓋を開けてみたら、自宅の外の掃き掃除だった。ちなみに同僚のアナゴさんは皿洗いをしていた。(一回100円)

 

その回を見ながら「それは副業じゃないのでは」と突っ込んだが、そうかサザエさんの家はわざわざ副業して外から金を引っ張ってこなくても、家の中のお金だけでやっていけるんだと思い直した。

 

昨今のサラリーマンが生活カツカツで副業に手を出したり、仕事がなくなるかもしれないからスキルを身に付けなければと思いながら新たな仕事に手を出すのとは違い、マスオさんは副業がなくても十分やっていける。そもそも持ち家で、義理の父親も働いているしなぁと妙に納得してしまった。

 

いくら今っぽいテーマをちょろっと取り入れようとも、サザエさんの家はサザエさんの家のままなんだ。相変わらず家には黒電話があるし、子供たちがスポーツをする広い空き地には家が立つ気配すらない。うちの近所の狭い土地には新しく家が立つというのに。

 

ちなみにこの回でマスオさんはアナゴさんを見習って、家で皿洗いをしようとするのだが、フネさん(サザエのお母さん)が、「そんなことはマスオさんにさせられない」みたいなことを言ってて、あぁ、この辺もサザエさんという作品が生まれた時代とあんまり変わってないんだろうなぁとか、多分このセリフちょっと引っかかる人がいるだろうなぁとも思った。男を台所に立たせちゃいけないみたいな考え方は、今だとおそらく通用しないだろうと。

 

でも、これはサザエさんだ。漫画版は1946年スタート、アニメ版は1969年に始まっている。基本的には昭和の家族の話であり、昭和の社会であるという前提で見ておけばいい。まぁ、ちょっとした昔話を見て「こんな時代もあったんだねぇ」と懐かしむみたいなものだ。だって、変わらない人たちの変わらない日常を延々と描いているのだから。何度も言うがいまだにサザエさんちは黒電話なんだ。カツオはずっと丸坊主で波平の毛は頭のてっぺんに一本、ワカメちゃんはスカートからパンツがはみ出たままだ。変わらないことに目くじら立ててもしょうがない。

 

とまぁ、こんな風にサザエさんを見てあれこれ考えてしまうようになって、子供の頃は遥か昔、僕もずいぶん大人になったものだなぁと思った日曜の夜であった。

 

またダラダラと日記を書いていく。

気づけば20日ほどブログを書いていなかった。こういうのは、一旦書かなくなると再開するハードルが上がってしまうのだが、幸い今日はなぜか「書けそうな気がする!」という考えが体の中にむくむくと湧いてきたので、今こうしてキーボードで文字を打っている。

 

それにしても、暑い。暑すぎる。発する言葉の半分ぐらいは暑いな気がする。それぐらい、暑い。僕のスマホには熱中症警戒アラートなるものの通知が入ってきていて、これは環境省と気象庁が運用しているものだ。要するに、あんたの地域は暑いですよ、油断してると熱中症でぶっ倒れますよとお墨付きをもらっているような状況ということ。そりゃあ、口癖が暑いになっても仕方がない。

 

幸い、今のところ僕は熱中症などにはなっていないのだが、同居している母親が体調不良になってしまったのは気になるところだ。今朝起きた時に体温計で熱を測ったところ、37度台だったとのこと。ご存知の通り、今、全国的にコロナの感染者数が多く、誰がいつ罹ってもおかしくないという状況なので、はたして母親が単なる風邪なのか、コロナなのかはわからない。一応、2週間ほど前にワクチン接種は済んでいるし、今のところ起き上がれないほど体調不良というわけでもなくて、ちょこちょこリビングに来ては水分補給などをしているので、ちょっと様子を見ながらというところか。

 

話は変わり、今読んでいる本や最近読んだ本をアウトプットも兼ねてざっくり紹介してみる。1冊目はジャーナリスト佐々木俊尚さんの『現代病「集中できない」を知力に変える読む力最新スキル大全』

 

 

 

スマホの登場で今を生きる僕らはますます集中しにくくなった。この本は、そんな集中できない現代において、むしろ「集中が続かないのが当たり前」というのを前提とし、注意散漫さをうまく活用しようという考えのもと、佐々木さんが普段行っている知識や情報の整理の仕方やその活用法、使っているツールを紹介している。

 

僕がこの本を面白いと思ったのは、集中できないことをネガティブに捉えるのではなく、それを長所と捉える発想の転換にある。現代人が集中できないというのは以前から指摘されているけど、大体その場合、「集中力の妨げになるものをなるべく遠ざけよう」みたいな提案がされがちだ。スマホを自分の目の届かないところに置く、SNSの通知が来ないように設定するなどなど。もちろん、それはそれで正しいやり方だと思うし、効果があると思うのだけど、これだけスマホがある生活が当たり前になり、他にも気を散らすものが溢れている中でそれを貫徹するのは難しい。

 

そうした中で、佐々木さんのこの本は「集中できない」ことに悩んでいる人にとって、ひとつ参考になるのではないだろうか。僕もまだ読んでいる途中なので、いいものがあれば積極的に取り入れていければと思う。

 

2冊目は波戸岡景太さんの『映画原作派のためのアダプテーション入門』という本。

 

 

映画には小説を原作としたものが結構ある。きっと、読者の中にもそうした作品を見て「原作版の方がよかった」とか「なぜ、自分の好きな小説を映画化するんだ!」など、様々な感想を抱いた経験があるはずだ。そういう人は、この本を読んでみると面白いかもしれない。

 

まぁ、ちょっと専門的な内容なので、興味のない人には全く響かないと思うけど、普段映画を観る人で、映画と小説の関係や、映像化にあたって監督にはどんな意図があるのかなどを考えてしまうような人は楽しめると思う。とはいえ、僕もこの本の内容はちょっと難しかったので、また読み返して自分の中で整理できればと思っている。

 

とまぁ、今日はこんなところだろうか。基本、本を読んだり映画を見たりする日常なので、今後もそうしたものを紹介しながら、日記を書くというスタンスだと続けやすいかもなぁと思っている。その中で、さらに内容を深掘りしたいものがあれば、また別の記事で紹介していくつもり。