オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

父親が酒を飲んでキレるのは一生変わらないのかもしれない

ちょっと愚痴っぽい日記。もう何度目になるだろう。うちの父親がまた酒を飲んでキレた。理由は今回も些細なことというか、まったくわけがわからない。母親が台所で洗い物をしていて、シンクにあった袋に入っていた魚の骨が手に刺さったのがことの発端だ。母親の指を見ると血が出ていたので、それなりに深く骨が刺さったのだろう。母親が少しイラつき気味に「骨を袋に入れたの誰?」と聞いたところ、「魚の骨を袋に入れたかもしれないよ!でも、それがなんか悪いのかよ!!そんなことでゴチャゴチャ言ってるなよ!」みたいな事をデカい声で言い出した。はぁ、またこのパターンかよ。

 

ハッキリってうちの父親は酒癖が悪い。僕が高校とか大学ぐらいの時には、会社から帰ると毎日のように酔っ払って大声を出し母親にキレていた。時計が22時を回ってからだと大体酔っ払って帰ってくる。正直、その時は、家に帰って来んなぐらいに思っていた。

 

さすがに会社を辞めてからは毎日飲んだり、泥酔するまで飲むようなことも無くなった。それまでのこともあって、母親や姉が酒を飲む頻度を少なくさせ、飲む量も大きめのコップに2杯までとなった。だから、泥酔するまで酔っ払うことは無くなった。それでも時々、訳のわからないところでスイッチが入り大声を出してキレる。これ、この先もずっと続くのかと思うと母親が気の毒だし、書いていてため息が出てしまう。

 

だから僕は父親が酒を飲む姿が嫌いだ。いくら、本人が楽しそうに飲んでいたとしても、僕が10代から20代の頃の、いつか何かが事件めいたものが起こるかもしれないという緊張感のある日々が脳裏に蘇るからだ。

 

僕自身も酒を飲むのは嫌いではないし、友人や知人と外で酒を飲むことはあるから酒や酒を飲む人を否定するのではない。人と飲む酒はむしろ好きな方だ。だが、父親とは飲まない。絶対に。その理由はシンプルだ。目の前でいつキレるかわからないような人間と酒を飲むのが単純に楽しくないし、嫌だというのが第一。そして仮に僕も酒を飲んでいて同じ席で父親が理不尽なキレ方をし始めたら、理性のタガが外れて何をしてしまうかわからない。普段、暴力とは縁遠い人が酒の席で事件を起こすみたいなことは時々聞くし、僕だって決して温厚な人間ではないからそうならないとは限らない。

 

ムカつくし危ない。だから、一緒に酒を飲まない。

 

本当に愚痴っぽい日記になってしまった。腹が立ったので思わず書いてしまいました。まぁ、皆さん色々な意味でお酒には気をつけましょう。僕も気をつけます。

閉じた場所だと人は好き勝手に振る舞うのかもしれない

ちょっと前に購入した鶴見済さんの著書『人間関係を半分降りる』に「家庭は開いたほうがいい」という項目がある。人が見ていない場所では、人は誰かを攻撃するのに躊躇しなくなる。逆に、人が見ているところだと、人の目がブレーキとなって暴力や嫌がらせのようなものは起きにくい。だから、閉鎖的になるのではなく家庭は開いたほうがいいという意見であった。

 

この意見を僕はウンウン頷きながら読んでいた。いくら外面がいい人間でも、家庭内では全く別の暴力的な一面を見せることがある。家ではDVをする人間が外では案外人当たりが良くて慕われているなんてこともあるわけだ。

 

「閉じるのではなく開く」

 

とても大事なことだなぁと思うと同時に、これって家庭だけではないよなとも思った。社会におけるあらゆる場所にで閉じた場所というのは、人を好き勝手に振舞わせるのかもしれない。だからブレーキをかけるためにも、意識的に開いていかなければならない。

 

閉じた場所の危険性は家庭以外でも同じ

これはパワハラとかセクハラみたいなものにも当てはまると思う。つい先日、『スキャンダル』という映画を観たのだが、この映画もまさに閉鎖性が生み出す弊害を映していた。

 

物語の舞台はアメリカのFOXニュースだ。ベテラン女性キャスターが人気番組を交番させられたのをきっかけに、長年女性たちにセクハラを繰り返してきたCEOを訴える。

 

本作では、FOXニュースでキャスターになりたい若いキャスター見習いの女性が出てくる。彼女はある時、会社内にあるこのCEOの部屋に呼ばれる。部屋には彼女とCEOの2人だけ。映画ではこの時の生々しいセクハラの様子が描かれる。

 

これはまさに閉鎖性、閉じた場所における弊害を表しているといえるだろう。もし、仮にこのCEOの部屋がガラス張りで外から丸見えの状態であるならば、あるいは秘書なり別の人間が頻繁に出入りするような場所ならば、少なくとも彼の部屋でセクハラまがいのことは行われなかった可能性が高い。(それでも、別の場所でというのはあったかもしれないが)立場上、優越的な地位にあるものは、閉じた空間だとその力を抑えるものがなくなる。もちろん、理性的な人が大半だろうが、中には「誰にも見られていないから自分の思い通りにできる」と傍若無人な振る舞いをするものも出てくる。

 

これは何も会社だけではなく、あらゆる所で散見される。密室で行われる警察の取り調べが問題となったり、乗客と2人きりのタクシーの運転手が暴行を受けたりもする。鶴見さんも言及しているが、学校でのいじめなんかもそうだろう。社会のあらゆるところに閉じた場所があって、その中で暴力が振るわれたり、自分の意にそぐわぬことをさせられたりしている。

 

開くのが一番効果的

じゃあ、結局どうすればいいのかという話になるのだが、結局のところ鶴見さんがおっしゃっているように「開く」というやり方が家庭でもその他の場所でも一番効果が高いと思う。

 

鶴見さんは開くための方法として「人を招いて風を通す」というやり方を提案している。僕も概ね賛成だ。開くための一番のやり方は人を介在して風通しを良くすればいい。ただ、一方でややハードルが高いなぁとも思う。そもそも、人を呼べないシチュエーションもあるだろうし、そういう知り合いすらいないという人もいるかもしれない。

 

では、どうすればいいか?僕はテクノロジーの力を借りるといいと思う。といっても、そんな大袈裟なものではなく、録音、録画みたいなものでいい。要は「あなたの言動はこの閉じた空間で完結せず、外の世界にも繋がっていますよ」というのを相手に認識させる。直接的な人の目はないかもしれないが、テクノロジーの力で間接的に人を介在させる。こうすればその場に人がいなくても、それは閉じた空間においても力の暴発を抑える抑止力になるだろう。

 

といっても何でもかんでも録音、録画しろみたいな話でもない。それでは監視社会に一直線だ。(まぁ、既にあらゆる場所に多数の監視カメラが設置されてはいるが)僕は「自分が不利な立場にある」と思える時には、そういうものをうまく頼るといいのではないかと思う。

 

先ほど紹介した『スキャンダル』という映画を例に挙げると、CEOは女性キャスターに比べて圧倒的に立場が強い。なぜなら彼が人事権を握っているからだ。CEOが気に入れば女性キャスターは番組を担当させてもらえる(かもしれない)。仕事を与えるCEOと仕事をもらう女性キャスター。一目でCEOが有利で女性キャスターが不利であることがわかる。弱い立場のものが正面切って強い立場のものにぶつかっても大ダメージを受けるだけだ。

 

だから、こういう弱い立場に自分が立たされた時、あるいは立たされそうな時、そして閉じた場所で相手と対峙するときは、テクノロジーの力で相手の言動を外に接続できるようにしてしまえばいい。もしも、何らかの被害にあったとしても、録音や録画したものがあれば、後に被害を立証する証拠にもなるだろう。

 

まとめ

そんなわけで今回は、閉じた場所の弊害と開くことの大切さとその方法について書いてみた。必要以上に恐れることはないが、閉じた場所だと好き勝手に振る舞う人がいる可能性があることを覚えておきたい。そして、その対策として人を入れたり、テクノロジーの力をうまく使って外に開くことも忘れずに。

 

参考にしたもの

 

 

 

ハラスメントの定義|ハラスメント基本情報|あかるい職場応援団 -職場のハラスメント(パワハラ、セクハラ、マタハラ)の予防・解決に向けたポータルサイト-

日本弁護士連合会:取調べの可視化(取調べの可視化本部)

【2022年】自分が忘れたくないものを記録する

僕たちは日々、大量の情報にさらされている。どうでもいいゴシップから、政治の問題、身近なものから遠いものまで、情報の洪水は毎日のように起こってそれに押し流されてしまっている。

 

もちろん人は忘れる生き物だし、忘れることは時に必要でもある。これまでの人生の経験を全て記憶していたら、あっという間に脳はパンクしてしまうだろう。それに、忘れることで精神の安定をはかってもいるはずだ。自分にとって大切なものを失った時の悲しみをいつまでも鮮明に覚えていると辛い。自分の失敗をずーっと覚えていると自分が嫌になる。そうした辛い記憶を引きずることで、なかなか次の一歩が踏み出せないなんていうこともあるだろう。忘れることは必ずしもネガティブなだけではないのも確かだ。

 

ただ、忘れちゃいけないものもある。それも確かだと思う。そこで、僕は自分が忘れたくないものを毎年記録していくことにした。では、自分は一体どういうものを忘れたくないのか?それは以下のようなものだと思う。

 

  • その出来事が自分に考えさせるきっかけを与えたもの
  • 忘れないことで自分や社会が次に活かせそうなもの

 

そんな基準を持って、僕なりに忘れたくないものを記録していこうと思う。

 

※この記事は随時、追加していきます。

 

 

2月

ロシアによるウクライナ侵攻

やはり今年1番の衝撃といえば、ロシアによるウクライナ侵攻だろう。ロシアは2014年にクリミア侵攻を起こっているが、僕の中ではあくまで一部の地域を巡った争いという印象だった。だが、今回ロシアはウクライナを多方面から侵攻し、連日のように人や建物の被害が生々しい映像で届けられる。戦争が残す傷の深さは遠くにいる僕たちにまで突き刺さった。

 

ここで多くの人が考えたのは「なぜ、戦争を起こすのか?」ということだと思う。今回、僕も色々自分なりに調べて、ロシアの歴史、ウクライナの歴史、プーチンというリーダーの歴史や考え、国と国との位置関係など、様々な要素が絡み合って火種が燻り、戦争が起きるのだということを知った。

 

「戦争は絶対に起こしてはならない」というのは、今も昔も変わらない僕の考えだし、多くの人も思うところだろうが、その思いだけでは足りない。止めるためには、戦争を始める人間側の行動原理も考えなければならないのだと思う。

 

 

6月

Mr.Childrenのライブに人生初参加

10代の頃からずっと聴いていたMr.Childrenのライブに初めて参加した。ライブが始まる前には、天気が荒れたりもして開催されるかどうかヒヤヒヤしたけど、蓋を開けてみれば青空の下、メンバーたちの演奏に心躍るひとときを過ごすことができた。

 

「会いたいと思った人はいつまでもこの世にはいない」

 

というと大袈裟だけど、好きなミュージシャンだっていつまでも元気でいるとは限らない。タイミングがあってミスチルのライブに行けたことは、本当に良かったと思っている。

 

『Mr.Children 30th Anniversary Tour 半世紀へのエントランス』に参加してきた! - オバログ

 

7月

安倍元総理襲撃事件と旧統一教会に関する一連のニュース

この事件も、多くの人に衝撃を与えた。元総理が街頭演説中に射殺される。耳を疑うようなニュースに日本中が釘付けになった。当初は政治的な思惑が犯人にあると考えられ、「民主主義への挑戦」といった言葉が政治家などから発せられたが、やがて、犯人の動機が旧統一教会に家族をメチャメチャにされた恨みからくるものだということが明るみになると、今度は旧統一教会と政治家の関係性について取り上げるニュースがメディアを占めるようになった。

 

襲撃事件に関しては決して許されるものではない。だが、犯人が「人生をメチャメチャにされた」と考える団体、あるいは霊感商法などで社会問題にまでなった団体と繋がることが逆恨みのきっかけになったことを考えると、政治家は今後どういう団体と付き合うのかを考えなければならないのではと思うのが自然だろう。

 

ところが、この問題が取り上げられ始めても政治家たちの反応は様々だった。「何が問題なのかわからない」という驚きの発言をする人もいたし、関係性については曖昧な回答をする人たちもいた。大抵の団体には祝電を出すからという、開き直りのような発言をする人もいたりして、「政治家って繋がりのある団体について無頓着な人が多いんだな」という印象を受けた。それでいいのだろうか。

 

ただ、こういう団体と政治家がスパッと関係性を切れない理由も考えなければならない。一番はやはり「票が期待できる」というのがあるだろう。政治家は選挙に落ちればただの人なんて言われるように、それまで代議士だ先生だチヤホヤされ、良くも悪くも自分の発言がメディアで取り上げられる可能性もある政治家という立場に固執する人はいるだろう。そういう人にとって、票数を持ってきてくれる可能性があるのであれば、祝電なりスピーチなり行うなんてことはあるんだろうと思う。

 

もちろん団体側も政治家を利用している。人は肩書きや権威といったものに影響を受けてしまうことがある。「国会議員の〇〇先生」からの祝電や、その政治家がスピーチをすることで、団体の知名度や内外の信用度のアップにつなげることができる。

 

つまり、「互いに利益がある」というのが大きい。社会にはたびたび「こんなのおかしいだろ」という関係が明らかになることがあるが、お互いに何らかの利益がある場合、都合の悪いことには目をつぶって関係性を続けてしまうことはいくらでもある。ただ、こういう利益でつながっている関係は、利益がなくなれば切れることも多いと思う。どうすればいいのかは、まだまとまっていなかったりするので、今後別の機会にでも書いていきたい。

 

8月

8月31日の会見で岸田内閣総理大臣は、旧統一教会と関係をたつことを自民党の方針として徹底していくと述べた。今後本当に関係性が断たれるのかを注視していきたい。

 

岸田首相会見 “旧統一教会との関係断つ 党の方針として徹底” | NHK

 

9月

安倍元総理国葬

9月27日。安倍元総理の国葬が行われた。開催には賛否両論があり、世論調査では反対が賛成を上回る調査結果が多く見受けられた。

 

僕個人としては、「なぜ安倍元総理の時だけ国葬にするのか?」と疑問だったりする。国葬に値する考える人の意見としては、これまでの功績だとか、憲政史上最長の総理だったからだったといった意見がある。ただ、元総理の功績に関してはまだ亡くなって間もないわけで、功績云々に関してはこれから検証されるのではないか。当然、功績ばかりではなくネガティブな結果というものもあるわけで。

 

また、憲政史上最長という意見に対しては別に長けりゃすごいというわけでもないと思う。その時の野党の強さもあるだろうし、党内にこれといった人材がいないというケースもある。長さで言えばロシアのプーチンなんて何年大統領やってるんだとなるし、彼の行いを見て「長くトップにいるから素晴らしい」とは言えないだろう。

 

それに、長さで決まるなら今後安倍さん以外の総理経験者というのは、いくら素晴らしい功績を残したとしても国葬には該当しないのだろうか。例えば1年ぐらいしか総理ではなかったが、北方領土を返還させたとか、拉致被害者たちをみんな取り戻したみたいなことをしたとしたら?でも、1年じゃあ短いよねとなるのか。

 

また、そもそも論として国葬は国費が使われるわけで、これは行政のやることだ。行政のやることというのは当然法律で定められていなければならないけど、国葬に関してはどういう人がどういう功績を残せば該当するのかといった具体的な決まりがない。そうなると、その時々の政府の思惑によって、その人が国葬に値するかしないかが決まってしまったりする。それは不健全ではないかと思うのだ。

 

まぁ、そんなこんなで僕は国葬に関しては疑問だらけだったし、今回行われたことで、今後の国葬というものについても賛成はできないなぁと思う。

 

11月

社会学者の宮台真司さんが襲撃される

11月も終わりを迎えようかという日に、衝撃のニュースが入ってきた。社会学者の宮台真司さんが教授を務める東京都立大学のキャンパス内で何者かに襲撃された。宮台さんは命に別状はない様だが、刃物で切り付けられており重傷。この文章は事件当日に書いているが、犯人は逃走していてまだ捕まっていない。

 

無差別ではないようなので、宮台さんを狙った犯行なのかもしれないが、何にせよ犯人が捕まらないことには動機や背後関係も見えてこないので、続報を中止したい。

 

僕は宮台先生の本のも何冊か読んでいるし、先生の強いけどユーモアに溢れたお話が好きなので正直ショックだ。一刻も早く全快することを願う。

 

まとめ

そんなわけで、自分なりに忘れたくないものを自分の考えとともに記録してみた。また、先々で追加していくかもしれない。

 

参考記事

ウクライナ情勢のニュース一覧 | NHKニュース

旧統一教会と関係ある「安倍派議員35人」のリストがコレだ! 自民党内でも圧倒的な人数(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

「マザームーン」発言や教団との関係、回答せず 自民・山本朋広氏 | 毎日新聞

安倍元首相の国葬、世論調査で「反対」が圧倒的…毎日新聞53%、フジテレビ51%、テレ朝51%(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

都立大 宮台真司教授が切りつけられる 逃走した男の行方捜査 | NHK | 事件

『竜とそばかすの姫』を見てあれこれ書いてみました!

ちょっと前に『竜とそばかすの姫』が金曜ロードショーでやる予定だったんですよね。ところが、その日はあの元総理の銃撃事件がありましてね。急遽事件の特番に切り替わったため、映画の放送はされず「これはしばらく見れないかもなぁ」なんて思っていたところ、アマゾンプライムに本作が追加されてたので早速見てみることにしました。

 

 

 

まずは簡単な作品の説明を。本作は2021年に7月に公開の作品。細田守監督による長編オリジナルアニメーションの第6作目です。原作と脚本も細田監督が担当しています。

 

あらすじ

高知県の田舎町に住む17歳の女子高生すずが主人公。すずは、幼い頃に母親を水辺の事故で亡くしてしまい、それ以来大好きだった歌が歌えなくなっていた。同居する父親との関係もあまりうまくはいっていない。

 

それでも、母親と共に音楽を楽しんでいたこともあって曲作りだけは続けていたすずは、ある時、同じ学校に通う親友のヒロちゃんに誘われ、インターネット上の仮想世界〈U〉に参加する。そこでは、50億人以上の人々がAs(アズ)というアバターを作成し、現実とは違う姿と名前で活動をしていた。すずはベルというAsを作るのだが、ベルの時には歌うことができた。ベルの歌は〈U〉の中で評判を呼び人気者となっていくのだが、やがて〈U〉の世界を揺るがすある事件が起こる。

 

※ここからはネタバレありで感想や思ったことを書いていきます。

続きを読む

不快な対象からは離れるのも一つの手だ

我が家では両親ともにタバコを吸っている。特に父親は、1時間に何本吸うねん!?と思わず突っ込んでしまいたくなるほどしょっちゅう吸う。おかげでリビングは白い煙でモクモクしている時があって、タバコを吸わない僕からすると思わずイラッとしてしまうことがあるし、時々「いやっ、さすがに吸いすぎでしょ。」と口に出してしまうこともある。匂いはつくし喉も嫌な感じになるし、副流煙は健康への被害があるなんてことも言われているし。まぁ、だからといって親はタバコを吸うのもやめないし、一向に本数を減らす感じでもないのだが。

 

ちなみに今この文章を書いてるまさにこの瞬間に、父親は寝室から出てきて自分の椅子に座りタバコに火をつけている。いくら何でも起きてからタバコに行くまで早すぎるだろうと思うけど、数十年も続けてきた習慣は簡単に辞められないのだろうとも思う。座ったら目の前のタバコに手を伸ばしてライターを手に取り火をつける。この一連の流れが、もう体に染み付いてしまっている。

 

まぁ、だからタバコを辞めさせるのは無理だろうし、半ば諦め気味だ。でも、煙が蔓延する部屋にはなるべくいたくないので、ここ最近は「あぁ、煙たいなぁ」というレベルの時は自分の部屋に戻るようにしている。自分が動くことでイライラの対象から距離を置き、ストレスを溜めないようにしているというわけだ。

 

不快な対象からは離れてもいい

そんなわけで、タイトルに戻ると不快な対象からは離れてもいいんじゃないと思う。世の中にはイラっとすることが多い。もちろん、逆に自分が相手をイラッとさせてしまっている可能性もあることは忘れずに。まぁ、つまり人間というものは不完全でバラバラであり、自分の考えと相手の考え、自分の習慣と相手の習慣がミスマッチするなんてことはしょっちゅうあることだ。オンラインオフライン問わず、人と人はしょっちゅうぶつかり合ったりしている。

 

それは一緒に暮らす家族ですらそうで、僕のように自分はタバコを吸わないけど親は吸うみたいなレベルから、顔を見れば互いを否定しあう犬猿の仲みたいになってしまうこともある。自分にとって不快な対象が近くにあると、感情が逆立ちイライラしたりつい攻撃的になってしまう。殺人の半分は親族によるものというデータがあるように、距離が近いと物理的に攻撃もできてしまう。

 

だから、そういう相手だったり対象が近くにあって、それで自分が不快だと思うのであれば時には離れよう。家族や知人のような人間であったり、タバコの煙が充満している部屋や、人ごみの溢れた歩道のような場所でも同じだ。

 

その近くにいてイライラしてしまったり、ストレスが溜まって自分の生活に支障をきたしたりするぐらいなら、スパッと離れる。距離が遠くなればその相手は意識しづらくなるし、タバコの煙のようなものであればそれを感じることも無くなるだろう。

 

よく他人は変えられないが自分は変えられるという。まぁ、僕の考えでは他人も変えられるとは思うがメチャメチャ時間と労力がかかる。特に一度習慣化した行動をやめさせるみたいなものは、すぐにどうこうできるものではない。うちの親であればタバコをやめさせるというのはかなりハードモードだ。だったら、今とりあえず自分ができることを考えてみるといい。僕の場合、「タバコの煙がない部屋に移る」という選択をした。これはほとんど労力がいらない。ものすごくイージーな行動で、自分の不快感を押し下げることができる。

 

他者に自分の感情を左右されるのではなく、自分で自分の感情をコントロールする。そのために、どういう行動を取ればいいか考える。特に、日頃から不快感を覚えやすい人は、そういう対象からとりあえず距離を置くというのを考えてみるといいと思う。

 

参考記事

日本の殺人事件の半数以上は「親族間」 悲劇を防ぐためにできることは何か(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース